カラマゾフの兄弟 01 上
著者:ドストエーフスキイ
カラマゾフのきょうだい
文字数:408,456 底本発行年:1968
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誠にまことに
ヨハネ伝第十二章第二十四節
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アンナ・グリゴリエヴナ・ドストイエフスカヤにおくる
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作者より
この物語の主人公アレクセイ・フョードロヴィッチ・カラマゾフの伝記にとりかかるに当たって、自分は一種の懐疑に陥っている。 すなわち、自分は、このアレクセイ・フョードロヴィッチを主人公と呼んではいるが、しかし彼がけっして偉大な人物でないことは、自分でもよく承知している。 したがって、『アレクセイ・フョードロヴィッチをこの物語の主人公に選ばれたのは、何か彼に卓越したところがあってのことなのか? いったいこの男が、どんなことを成し遂げたというのか? 何によって、誰に知られているのか? いかなる理由によって、われわれ読者は、この人間の生涯の事実の研究に時間を費やさなければならないのか?』といったたぐいの質問を受けるにきまっていることは、今のうちからよくわかっている。
この最後の質問は最も致命的なものである。
それに対しては、ただ、『御自分でこの小説をお読みになられたら、おそらく納得なさるであろう』としか答えられないからである。
ところが、この小説を一通り読んでも、なおかつ納得がゆかず、わがアレクセイ・フョードロヴィッチの注目すべき点を認めることができないといわれた暁には、どうしたものか? こんなことを言うのも、実はまことに残念ながら、今からそれが見え透いているからである。
作者にとっては、確かに注目すべき人物なのであるが、はたしてこれを読者に立証することができるだろうか、それがはなはだおぼつかない。
問題は、彼もおそらく活動家なのであろうが、それもきわめて
そこで、もしも読者がこの最後の主張に賛成なさらずに、『そうではない』とか、『必ずしもそうではない』と答えられるとすれば、自分はむしろわが主人公アレクセイ・フョードロヴィッチの価値について大いに意を強うする次第である。 というのは、奇人は『必ずしも』特殊なものでも、格別なものでもないばかりか、かえって、どうかすると彼が完全無欠の心髄を内にもっているかもしれず、その他の同時代の人たちは――ことごとく、何かの風の吹きまわしで、一時的にこの奇人から引き離されたのだ、といったような場合がよくあるからである……。
それにしても、自分は、こんな、実に味気ない、雲をつかむような説明にうき身をやつすことなく、前口上などはいっさい抜きにして、あっさりと本文に取りかかってもよかったであろう。
お気にさえ召せば、通読していただけるはずである。
ところが、困ったことには、伝記は一つなのに、小説は二つになっている。
しかも、重要な小説は第二部になっている――これはわが主人公のすでに現代における活動である。
すなわち、現に移りつつある現在の今の活動なのである。
第一の小説は今を去る十三年の前にあったことで、これはほとんど
自分はこの問題の解決にゆき悩んだあげく、ついに、全く解決をつけずにいこうと決心した。
もとより