序章-章なし
棚 ( たな ) から落 ( お ) ちる牡丹 ( ぼた ) 餅 ( もち ) を待 ( ま ) つ者 ( もの ) よ、唐様 ( からやう ) に巧 ( たく ) みなる三代目 ( さんだいめ ) よ、浮木 ( ふぼく ) をさがす盲目 ( めくら ) の亀 ( かめ ) よ、人参 ( にんじん ) 呑 ( の ) んで首 ( くび ) 縊 ( く ) らんとする白痴 ( たはけ ) 漢 ( もの ) よ、鰯 ( いわし ) の頭 ( あたま ) を信心 ( しん/″\ ) するお怜悧 ( りこう ) 連 ( れん ) よ、雲 ( くも ) に登 ( のぼ ) るを願 ( ねが ) ふ蚯蚓 ( み ず ) の輩 ( ともがら ) よ、水 ( みづ ) に影 ( うつ ) る月 ( つき ) を奪 ( うば ) はんとする山猿 ( やまざる ) よ、無芸 ( むげい ) 無能 ( むのう ) 食 ( しよく ) もたれ総身 ( そうみ ) に智恵 ( ちゑ ) の廻 ( まは ) りかぬる男 ( をとこ ) よ、木 ( き ) に縁 ( よつ ) て魚 ( うを ) を求 ( もと ) め草 ( くさ ) を打 ( うつ ) て蛇 ( へび ) に驚 ( をどろ ) く狼狽 ( うろたへ ) 者 ( もの ) よ、白粉 ( おしろい ) に咽 ( む ) せて成仏 ( じやうぶつ ) せん事 ( こと ) を願 ( ねが ) ふ艶治郎 ( ゑんぢらう ) よ、鏡 ( かゞみ ) と睨 ( にら ) め競 ( くら ) をして頤 ( あご ) をなでる唐琴屋 ( からことや ) よ、惣て世間一切の善男子 、若し遊んで暮すが御執心ならば 、直ちにお宗旨を変へて文学者となれ 。
我 ( わ ) が所謂 ( いはゆる ) 文学者 ( ぶんがくしや ) とはフィヒテ が“Ueber ( ユーバル ) das ( ダス ) Wesen ( ウエーゼン ) des ( デス ) Gelehrten ( ゲレールテン ) ”に述 ( の ) べたてし、七むづかしきものにあらず。
内新好 ( ないしんかう ) が『一目 ( ひとめ ) 土堤 ( づゝみ ) 』に穿 ( ゑぐ ) りし通 ( つう ) 仕込 ( じこみ ) の御 ( おん ) 作者 ( さくしや ) 様方 ( さまがた ) 一連 ( いちれん ) を云ふなれば、其職分 ( しよくぶん ) の更 ( さら ) に重 ( おも ) くして且 ( か ) つ尊 ( たふと ) きは豈 ( あ ) に夫 ( か ) の扇子 ( せんす ) で前額 ( ひたひ ) を鍛 ( きた ) へる野 ( の ) 幇間 ( だいこ ) の比 ( ひ ) ならんや。
夫 ( そ ) れ文学者 ( ぶんがくしや ) を目 ( もく ) して預言者 ( よげんしや ) なりといふは生 ( き ) 野暮 ( やぼ ) 一点張 ( いつてんばり ) の釈義 ( しやくぎ ) にして到底 ( たうてい ) 咄 ( はなし ) の出来 ( でき ) るやつにあらず。
我 ( わ ) が通 ( つう ) 仕込 ( じこみ ) の御 ( おん ) 作者 ( さくしや ) 様方 ( さまがた ) を尊崇 ( そんすう ) し其利益 ( りやく ) のいやちこなるを欽仰 ( きんぎやう ) し、其職分 ( しよくぶん ) をもて重 ( おも ) く且 ( か ) つ大 ( だい ) なりとなすは能 ( よ ) く俗物 ( ぞくぶつ ) を教 ( をし ) え能 ( よ ) く俗物 ( ぞくぶつ ) に渇仰 ( かつがう ) せらるゝが故 ( ゆゑ ) なり、(渠等 ( かれら ) が通 ( つう ) の原則 ( げんそく ) を守 ( まも ) りて俗物 ( ぞくぶつ ) を斥罵 ( せきば ) するにも関 ( かかは ) らず。)然しながら縦令 ( たとひ ) 俗物 ( ぞくぶつ ) に渇仰 ( かつがう ) せらる といへども路傍 ( みちばた ) の道祖神 ( だうろくじん ) の如く渇仰 ( かつがう ) せらる にあらす、又賞 ( め ) で喜 ( よろこ ) ばるゝと雖 ( いへ ) [#ルビの「いへ」は底本では「いへど」] ども親 ( おや ) の因果 ( いんぐわ ) が子 ( こ ) に報 ( むく ) ふ片輪 ( かたわ ) 娘 ( むすめ ) の見世物 ( みせもの ) の如く賞 ( め ) で喜 ( よろこ ) ばるゝの謂 ( いひ ) にあらねば、決して/\心配 ( しんぱい ) すべきにあらす。
否 ( い ) な、俗物 ( ぞくぶつ ) の信心 ( しん/″\ ) は文学者 ( ぶんがくしや ) 即ち御 ( おん ) 作者 ( さくしや ) 様方 ( さまがた ) の生命 ( せいめい ) なれば、否 ( い ) な、俗物 ( ぞくぶつ ) の鑑賞 ( かんしやう ) を辱 ( かたじけな ) ふするは御 ( おん ) 作者 ( さくしや ) 様方 ( さまがた ) 即ち文学者 ( ぶんがくしや ) が一期 ( いちご ) の栄誉 ( えいよ ) なれば、之を非難 ( ひなん ) するは畢竟 ( ひつきやう ) 当世 ( たうせい ) の文学 ( ぶんがく ) を知 ( し ) らざる者といふべし。
此故 ( このゆゑ ) に当世 ( たうせい ) の文学者 ( ぶんがくしや ) は口 ( くち ) に俗物 ( ぞくぶつ ) を斥罵 ( せきば ) する事頗 ( すこぶ ) る甚 ( はなは ) だしけれど、人気 ( じんき ) の前 ( まへ ) に枉屈 ( わうくつ ) して其奴隷 ( どれい ) となるは少 ( すこ ) しも珍 ( めづ ) らしからず。
大入 ( おほいり ) だ評判 ( ひやうばん ) だ四版 ( はん ) だ五版 ( ばん ) だ傑作 ( けつさく ) ぢや大作 ( たいさく ) ぢや豊年 ( ほうねん ) ぢや万作 ( まんさく ) ぢやと口上 ( こうじやう ) に咽喉 ( のど ) を枯 ( か ) らし木戸銭 ( きどせん ) を半減 ( はんまけ ) にして見 ( み ) せる縁日 ( えんにち ) の見世物 ( みせもの ) 同様 ( どうやう ) 、薩摩 ( さつま ) 蝋 ( らふそく ) てら/\と光 ( ひか ) る色摺 ( いろずり ) 表紙 ( べうし ) に誤魔化 ( ごまくわ ) して手拭紙 ( てふきがみ ) にもならぬ厄介者 ( やくかいもの ) を売附 ( うりつ ) けるが斯道 ( しだう ) の極意 ( ごくい ) 、当世 ( たうせい ) 文学者 ( ぶんがくしや ) の心意気 ( こゝろいき ) ぞかし。
さりながら人気 ( じんき ) の奴隷 ( どれい ) となるも畢竟 ( ひつきやう ) は俗物 ( ぞくぶつ ) 済度 ( さいど ) といふ殊勝 ( しゆしよう ) らしき奥 ( おく ) の手 ( て ) があれば強 ( あなが ) ち無用 ( むよう ) と呼 ( よ ) ばゝるにあらず、却 ( かへつ ) て之 ( こ ) れ中々 ( なか/\ ) の大事 ( だいじ ) 決 ( けつ ) して等閑 ( なほざり ) にしがたし。
俗人 ( ぞくじん ) を教 ( をし ) ふる功徳 ( くどく ) の甚深 ( じんしん ) 広大 ( くわうだい ) にしてしかも其勢力 ( せいりよく ) の強盛 ( きやうせい ) 宏偉 ( くわうゐ ) なるは熊肝 ( くまのゐ ) 宝丹 ( はうたん ) の販路 ( はんろ ) 広 ( ひろ ) きをもて知 ( し ) らる。
洞簫 ( どうせう ) の声 ( こゑ ) は嚠喨 ( りうりやう ) として蘇子 ( そし ) の膓 ( はらわた ) を断 ( ちぎ ) りたれど終 ( つひ ) にトテンチンツトンの上調子 ( うはでうし ) 仇 ( あだ ) つぽきに如 ( し ) かず。
カント の超絶 ( てうぜつ ) 哲学 ( てつがく ) や余姚 ( よよう ) の良知説 ( りやうちせつ ) や大 ( だい ) は即 ( すなは ) ち大 ( だい ) なりと雖 ( いへ ) ども臍栗 ( へそくり ) 銭 ( ぜに ) を牽摺 ( ひきず ) り出 ( だ ) すの術 ( じゆつ ) は遥 ( はる ) かに生臭 ( なまぐさ ) 坊主 ( ばうず ) が南無 ( なむ ) 阿弥陀仏 ( あみだぶつ ) に及 ( およ ) ばず。
されば大恩 ( だいおん ) 教主 ( けうしゆ ) は先 ( ま ) づ阿含 ( あごん ) を説法 ( せつぱう ) し志道軒 ( しだうけん ) は隆々 ( りゆう/\ ) と木陰 ( ぼくいん ) を揮回 ( ふりまは ) す、皆之 ( みなこ ) れこ の呼吸 ( こきふ ) を呑込 ( のみこ ) んでの上 ( うへ ) の咄 ( はなし ) なり。
流石 ( さすが ) に明治 ( めいぢ ) の御 ( おん ) 作者 ( さくしや ) 様方 ( さまがた ) は通 ( つう ) の通 ( つう ) だけありて俗物 ( ぞくぶつ ) 済度 ( さいど ) を早 ( はや ) くも無二 ( むに ) の本願 ( ほんぐわん ) となし俗物 ( ぞくぶつ ) の調子 ( てうし ) を合点 ( がてん ) して能 ( よ ) く幇間 ( たいこ ) を叩 ( たゝ ) きてお髯 ( ひげ ) の塵 ( ちり ) を払 ( はら ) ふの工風 ( くふう ) を大悟 ( たいご ) し、向 ( むか ) ふ三軒 ( さんげん ) 両隣 ( りやうどな ) りのお蝶 ( てふ ) 丹次郎 ( たんじらう ) お染 ( そめ ) 久松 ( ひさまつ ) よりやけ にひねつた「ダンス」の Miss ( ミツス ) B. ( ビー ) A. ( エー ) Bae. ( べー ) [#「Miss B. A. Bae.」は斜体字] 瓦斯 ( ぐわす ) 糸織 ( いとおり ) に綺羅 ( きら ) を張 ( は ) る印刷局 ( いんさつきよく ) の貴婦人 ( レデイ ) に到るまで随喜 ( ずゐき ) 渇仰 ( かつがう ) せしむる手際 ( てぎは ) 開闢以来 ( かいびやくいらい ) の大出来 ( おほでき ) なり。
聞 ( き ) けば聖書 ( バイブル ) を糧 ( かて ) にする道徳家 ( だうとくか ) が二十五銭の指環 ( ゆびわ ) を奮発 ( ふんぱつ ) しての「ヱンゲージメント」、綾羅 ( りようら ) 錦繍 ( きんしゆう ) の姫様 ( ひいさま ) が玄関番 ( げんくわんばん ) の筆助君 ( ふですけくん ) にやいの /\を極 ( き ) め込 ( こ ) んだ果 ( はて ) の「ヱロープメント」、皆之 ( みなこ ) れ小説 ( せうせつ ) の功徳 ( くどく ) なりといふ。
よしや一斗 ( と ) の「モルヒ子」に死 ( し ) なぬ例 ( ためし ) ありとも月夜 ( つきよ ) に釜 ( かま ) を抜 ( ぬ ) かれぬ工風 ( くふう ) を廻 ( めぐ ) らし得 ( う ) べしとも、当世 ( たうせい ) 小説 ( せうせつ ) の功徳 ( くどく ) を授 ( さづ ) かり少 ( すこ ) しも其利益 ( りやく ) を蒙 ( かうむ ) らぬ事曾 ( かつ ) て有 ( あ ) るべしや。
冒険譚 ( ばうけんだん ) の行 ( おこな ) はれし十八世紀 ( せいき ) には航海 ( かうかい ) の好奇心 ( かうきしん ) を焔 ( もや ) し、京伝 ( きやうでん ) の洒落本 ( しやれぼん ) 流行 ( りうかう ) せし時 ( とき ) は勘当帳 ( かんだうちやう ) の紙数 ( しすう ) 増加 ( ぞうか ) せしとかや。
抑も辻行灯 ( つじあんどう ) 廃 ( すた ) れて電気灯 ( でんきとう ) の光明 ( くわうみやう ) 赫灼 ( かくしやく ) として闇夜 ( やみよ ) なき明治 ( めいぢ ) の小説 ( せうせつ ) が社会 ( しやくわい ) に於ける影響 ( えいきやう ) は如何 ( いかん ) 。
『戯作 ( げさく ) 』と云へる襤褸 ( ぼろ ) を脱 ( ぬ ) ぎ『文学 ( ぶんがく ) 』といふ冠 ( かむり ) 着 ( つ ) けしだけにても其効果 ( かうくわ ) の著 ( いちゞ ) るしく大 ( だい ) なるは知 ( し ) らる。
英吉利 ( いぎりす ) は野暮堅 ( やぼがた ) き真面目 ( まじめ ) 一方 ( いつぱう ) の国 ( くに ) なれば、人間 ( にんげん ) の元来 ( ぐわんらい ) 醜悪 ( しうあく ) なるにお気 ( き ) が附 ( つ ) かれずして、ゾオラ が偶々 ( たま/\ ) 醜悪 ( しうあく ) のまゝを写 ( うつ ) せば青筋 ( あをすじ ) 出して不道徳 ( ふだうとく ) 文書 ( ぶんしよ ) なりと罵 ( のゝし ) り叫 ( わめ ) く事さりとは野暮 ( やぼ ) の行 ( い ) き過 ( す ) ぎ余 ( あま ) りに業々 ( げふ/\ ) しき振舞 ( ふるまひ ) なり。
さりながら論語 ( ろんご ) に唾 ( つ ) を吐 ( は ) きて梅暦 ( むめごよみ ) を六韜三略 ( りくとうさんりやく ) とする当世 ( たうせい ) の若檀那 ( わかだんな ) 気質 ( かたぎ ) は其 ( そ ) れとは反対 ( うらはら ) にて愈々 ( いよ/\ ) 頼 ( たの ) もしからず。
東京 ( とうきやう ) の或る固執派 ( オルソドキシカー ) 教会 ( けうくわい ) に属 ( ぞく ) する女学校 ( ぢよがつかう ) の教師 ( けうし ) が曾我物語 ( そがものがたり ) の挿画 ( さしゑ ) に男女 ( なんによ ) の図 ( づ ) あるを見 ( み ) て猥褻 ( わいせつ ) 文書 ( ぶんしよ ) なりと飛 ( と ) んだ感違 ( かんちが ) ひして炉中 ( ろちう ) に投込 ( なげこ ) みしといふ一ツ咄 ( ばなし ) も近頃 ( ちかごろ ) 笑止 ( せうし ) の限 ( かぎ ) りなれど、如何 ( どう ) 考 ( かんが ) へても聖書 ( バイブル ) よりは小説 ( せうせつ ) の方 ( はう ) が面白 ( おもしろ ) いには違 ( ちが ) ひなく、教師 ( けうし ) の眼 ( め ) を窃 ( ぬす ) んでは「よくッてよ」派 ( は ) 小説 ( せうせつ ) に現 ( うつゝ ) を抜 ( ぬ ) かすは此頃 ( このごろ ) の女生徒 ( ぢよせいと ) 気質 ( かたぎ ) なり。
例 ( たと ) へば地 ( ち ) を打 ( う ) つ槌 ( つち ) は外 ( はづ ) る とも青年 ( せいねん ) 男女 ( なんによ ) にして小説 ( せうせつ ) 読 ( よ ) まぬ者なしといふ鑑定 ( かんてい ) は恐 ( おそ ) らく外 ( はづ ) れツこななるべし。
俗界 ( ぞくかい ) に於 ( お ) ける小説 ( せうせつ ) の勢力 ( せいりよく ) 斯 ( か ) くの如 ( ごと ) く大 ( だい ) なれば随 ( したがつ ) て小説家 ( せうせつか ) 即 ( すなは ) ち今 ( いま ) の所謂 ( いはゆる ) 文学者 ( ぶんがくしや ) のチヤホヤ せらるゝは人気 ( じんき ) 役者 ( やくしや ) も物 ( もの ) の数 ( かづ ) ならず。
此故 ( このゆゑ ) に腥 ( なまぐさ ) き血 ( ち ) の臭 ( にほひ ) 失 ( う ) せて白粉 ( おしろい ) の香 ( かをり ) 鼻 ( はな ) を突 ( つ ) く太平 ( たいへい ) の御代 ( みよ ) にては小説家 ( せうせつか ) 即ち文学者 ( ぶんがくしや ) の数 ( かず ) 次第々々 ( しだい/\ ) に増加 ( ぞうか ) し、鯛 ( たひ ) は[#「鯛 ( たひ ) は」はママ] 花 ( はな ) は見 ( み ) ぬ里 ( さと ) もあれど、鯡 ( にしん ) 寄 ( よ ) る北海 ( ほつかい ) の浜辺 ( はまべ ) 、薯蕷 ( じねんじやう ) 掘 ( ほ ) る九州 ( きうしゆう ) の山奥 ( やまおく ) に到 ( いた ) るまで石版画 ( せきばんゑ ) と赤本 ( あかほん ) は見 ( み ) ざるの地 ( ち ) なしと鼻 ( はな ) うごめかして文学 ( ぶんがく ) の功徳 ( くどく ) 無量広大 ( むりやうくわうだい ) なるを説 ( と ) く当世男 ( たうせいをとこ ) 殆 ( ほと ) んど門並 ( かどなみ ) なり。
寄 ( よ ) れば触 ( さは ) れば高慢 ( かうまん ) の舌 ( した ) 爛 ( たゞら ) してヤレ沙翁 ( シヱークスピーヤ ) は造化 ( ざうくわ ) の一人子 ( ひとりご ) であると胴羅魔声 ( どらまごゑ ) を振染 ( ふりしぼ ) り西鶴 ( さいくわく ) は九皐 ( きうかう ) に鳶 ( とんび ) トロヽを舞 ( ま ) ふと飛 ( と ) ンだ通 ( つう ) を抜 ( ぬ ) かし、何 ( なに ) かにつけては美学 ( びがく ) の受売 ( うけうり ) をして田舎者 ( いなかもの ) の緋 ( ひ ) メレンスは鮮 ( あざや ) かだから美 ( び ) で江戸ツ子の盲縞 ( めくらじま ) はジミ だから美 ( び ) でないといふ滅法 ( めつぱふ ) の大議論 ( だいぎろん ) に近所 ( きんじよ ) 合壁 ( がつぺき ) を騒 ( さわ ) がす事少しも珍 ( めづ ) らしからず。
好奇 ( ものずき ) な統計家 ( とうけいか ) が概算 ( がいさん ) に依れば小遣帳 ( こづかいちやう ) に元禄 ( げんろく ) を拈 ( ひね ) る通人迄 ( つうじんまで ) 算入 ( さんにう ) して凡 ( およ ) そ一町内 ( いつちやうない ) に百「ダース」を下 ( くだ ) る事あるまじといふ。
夫れ台所 ( だいどころ ) に於ける鼠 ( ねづみ ) の勢力 ( せいりよく ) の法外 ( はふぐわい ) なる飯焚男 ( めしたきをとこ ) が升落 ( ますおと ) しの計略 ( けいりやく ) も更に討滅 ( たうめつ ) しがたきを思へば、社会問題 ( しやくわいもんだい ) に耳 ( みゝ ) 傾 ( かたむ ) くる人いかで此一町内 ( いつちやうない ) 百「ダース」の文学者 ( ぶんがくしや ) を等閑 ( なほざり ) にするを得 ( う ) べき。
若し惣 ( すべ ) ての文学者 ( ぶんがくしや ) を駆 ( かつ ) て兵役 ( へいえき ) に従事 ( じゆうじ ) せしめば常備軍 ( じやうびぐん ) は頓 ( にはか ) に三倍 ( さんばい ) して強兵 ( きやうへい ) の実 ( じつ ) 忽 ( たちま ) ち挙 ( あ ) がるべく、惣 ( すべ ) ての文学者 ( ぶんがくしや ) に支払 ( しはら ) ふ原稿料 ( げんかうれう ) を算 ( つも ) れば一万噸 ( とん ) の甲鉄艦 ( かふてつかん ) 何艘 ( なんざう ) かを造 ( つく ) るに当 ( あた ) るべく、惣 ( すべ ) ての文学者 ( ぶんがくしや ) が消費 ( せうひ ) する筆墨料 ( ひつぼくれう ) を徴収 ( ちようしう ) すれば慈善 ( じぜん ) 病院 ( びやうゐん ) 三ツ四ツを設 ( つく ) る事決 ( けつ ) して難 ( かた ) きにあらず、惣 ( すべ ) ての文学者 ( ぶんがくしや ) が喰潰 ( くひつぶ ) す米 ( こめ ) と肉 ( にく ) を蓄積 ( ちくせき ) すれば百度 ( ひやくたび ) 饑饉 ( ききん ) 来 ( きた ) るとも更 ( さら ) に恐 ( おそ ) るゝに足 ( た ) らざるべく、若 ( も ) し又惣 ( すべ ) ての文学者 ( ぶんがくしや ) を一時 ( いちじ ) に殺戮 ( さつりく ) すれば其死屍 ( しゝ ) は以て日本海 ( につぽんかい ) を埋 ( うづ ) むべく其血 ( ち ) は以て太平洋 ( たいへいよう ) を変色 ( へんしよく ) せしむべし。
文学者 ( ぶんがくしや ) は一の社会問題 ( しやくわいもんだい ) なり、貧民 ( ひんみん ) が、僧侶 ( ばうず ) が、娼妓 ( しやうぎ ) が社会問題 ( しやくわいもんだい ) となれる如く。
熟々 ( つら/\ ) 考 ( かんが ) ふるに天 ( てん ) に鳶 ( とんび ) ありて油揚 ( あぶらげ ) をさらひ地 ( ち ) に土鼠 ( もぐらもち ) ありて蚯蚓 ( みゝず ) を喰 ( くら ) ふ目出度 ( めでた ) き中 ( なか ) に人間 ( にんげん ) は一日 ( いちにち ) あくせくと働 ( はたら ) きて喰 ( く ) ひかぬるが今日 ( けふ ) 此頃 ( このごろ ) の世智辛 ( せちがら ) き生涯 ( しやうがい ) なり。
学校 ( がつこう ) の卒業 ( そつげふ ) 証書 ( しようしよ ) が二枚 ( まい ) や三枚 ( まい ) 有 ( あ ) つたとて鼻 ( はな ) を拭 ( ふ ) く足 ( たし ) にもならねば高 ( たか ) が壁 ( かべ ) の腰張 ( こしばり ) か屏風 ( びやうぶ ) の下張 ( したばり ) が関 ( せき ) の山 ( やま ) にて、偶々 ( たま/\ ) 荷厄介 ( にやつかい ) にして箪笥 ( たんす ) に蔵 ( しま ) へば縦令 ( たと ) へば虫 ( むし ) に喰 ( く ) はるゝとも喰 ( く ) ふ種 ( たね ) には少 ( すこ ) しもならず。
学士 ( がくし ) ですの何 ( なん ) のと云ツた処 ( ところ ) で味噌摺 ( みそすり ) の法 ( はふ ) を知 ( し ) らずお辞義 ( じぎ ) の礼式 ( れいしき ) に熟 ( じゆく ) せざれば何処 ( どこ ) へ行 ( いつ ) ても敬 ( けい ) して遠 ( とほ ) ざけらる が結局 ( おち ) にて未 ( ま ) だしも敬 ( けい ) さるゝだけを得 ( とく ) にして責 ( せ ) めてもの大出来 ( おほでき ) といふべし。
ミルトン の詩 ( し ) を高 ( たか ) らかに吟 ( ぎん ) じた処 ( ところ ) で饑渇 ( きかつ ) は中 ( なか ) 々に医 ( い ) しがたくカント の哲学 ( てつがく ) に思 ( おもひ ) を潜 ( ひそ ) めたとて厳冬 ( げんとう ) 単衣 ( たんい ) 終 ( つひ ) に凌 ( しの ) ぎがたし。
学問 ( がくもん ) 智識 ( ちしき ) は富士 ( ふじ ) の山 ( やま ) ほど有 ( あ ) ツても麺包屋 ( ぱんや ) が眼 ( め ) には唖銭 ( びた ) 一文 ( いちもん ) の価値 ( ねうち ) もなければ取ツけヱべヱ は中々 ( なか/\ ) 以 ( もつ ) ての外 ( ほか ) なり。
トヾ の結局 ( つまり ) が博物館 ( はくぶつくわん ) に乾物 ( ひもの ) の標本 ( へうほん ) を残 ( のこ ) すか左 ( さ ) なくば路頭 ( ろとう ) の犬 ( いぬ ) の腹 ( はら ) を肥 ( こや ) すが世 ( よ ) に学者 ( がくしや ) としての功名 ( こうみやう ) 手柄 ( てがら ) なりと愚痴 ( ぐち ) を覆 ( こぼ ) す似而非 ( えせ ) ナツシユ は勿論 ( もちろん ) 白痴 ( こけ ) のドン 詰 ( づま ) りなれど、さるにても笑止 ( せうし ) なるは世 ( よ ) の是 ( これ ) 沙汰 ( さた ) 、飯粒 ( めしつぶ ) に釣 ( つ ) らるゝ鮒男 ( ふなをとこ ) がヤレ才子 ( さいし ) ぢや怜悧者 ( りこうもの ) ぢやと褒 ( ほ ) めそやされ、偶 ( たま ) さか活 ( い ) きた精神 ( せいしん ) を有 ( も ) つ者 ( もの ) あれば却 ( かへつ ) て木偶 ( でく ) のあしらひせらるゝ事沙汰 ( さた ) の限 ( かぎ ) りなり。
騙詐 ( かたり ) が世渡 ( よわた ) り上手 ( じやうず ) で正直 ( しやうぢき ) が無気力漢 ( いくぢなし ) 、無法 ( むはう ) が活溌 ( くわつぱつ ) で謹直 ( きんちよく ) が愚図 ( ぐづ ) 、泥亀 ( すつぽん ) は天 ( てん ) に舞 ( ま ) ひ鳶 ( とんび ) は淵 ( ふち ) に躍 ( をど ) る、さりとは不思議 ( ふしぎ ) づくめの世 ( よ ) の中 ( なか ) ぞかし。
斯 ( かゝ ) る中 ( なか ) にも社会 ( しやくわい ) に大勢力 ( だいせいりよく ) を有 ( いう ) する文学者 ( ぶんがくしや ) どのは平気 ( へいき ) の平三 ( へいざ ) で行詰 ( ゆきづま ) りし世 ( よ ) を屁 ( へ ) とも思 ( おも ) はず。
春 ( はる ) うら/\蝶 ( てふ ) と共 ( とも ) に遊 ( あそ ) ぶや花 ( はな ) の芳野山 ( よしのやま ) に玉 ( たま ) の巵 ( さかづき ) を飛 ( と ) ばし、秋 ( あき ) は月 ( つき ) てら/\と漂 ( たゞよ ) へる潮 ( うしほ ) を観 ( み ) て絵島 ( ゑのしま ) の松 ( まつ ) に猿 ( さる ) なきを怨 ( うら ) み、厳冬 ( げんとう ) には炬燵 ( こたつ ) を奢 ( おごり ) の高櫓 ( たかやぐら ) と閉籠 ( とぢこも ) り、盛夏 ( せいか ) には蚊帳 ( かや ) を栄耀 ( えいえう ) の陣小屋 ( ぢんごや ) として、米 ( こめ ) は俵 ( たはら ) より涌 ( わ ) き銭 ( ぜに ) は蟇口 ( がまぐち ) より出 ( いづ ) る結構 ( けつこう ) な世 ( よ ) の中 ( なか ) に何 ( なに ) が不足 ( ふそく ) で行倒 ( ゆきだふ ) れの茶番 ( ちやばん ) 狂言 ( きやうげん ) する事かとノンキ に太平楽 ( たいへいらく ) 云ふて、自作 ( じさく ) の小説 ( せうせつ ) が何十遍 ( なんじつぺん ) 摺 ( ずり ) とかの色表紙 ( いろべうし ) を付 ( つ ) けて売出 ( うりだ ) され、二号 ( にがう ) 活字 ( くわつじ ) の広告 ( くわうこく ) で披露 ( ひろう ) さるゝ外 ( ほか ) は何 ( なん ) の慾 ( よく ) もなき気楽 ( きらく ) 三昧 ( まい ) 、あツたら老先 ( おひさき ) の長 ( なが ) い青年 ( せいねん ) 男女 ( なんによ ) を堕落 ( だらく ) せしむる事は露 ( つゆ ) 思 ( おも ) はずして筆費 ( ふでづひ ) え紙費 ( かみづひ ) え、高 ( たか ) が大家 ( たいか ) と云はれて見 ( み ) たさに無暗 ( むやみ ) に原稿紙 ( げんかうし ) を書 ( か ) きちらしては屑屋 ( くづや ) に忠義 ( ちうぎ ) を尽 ( つく ) すを手柄 ( てがら ) とは心得 ( こころえ ) るお目出 ( めで ) たき商売 ( しやうばい ) なり。