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党生活者

著者:小林多喜二

とうせいかつしゃ - こばやし たきじ

文字数:65,181 底本発行年:1974
著者リスト:
著者小林 多喜二
底本: 党生活者
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序章-章なし

洗面所で手を洗っていると、丁度窓の下を第二工場の連中が帰りかけたとみえて、ゾロ/\と板草履ぞうりや靴バキの音と一緒に声高な話声が続いていた。

「まだか?」

その時、後に須山が来ていて、言葉をかけた。 彼は第二工場だった。 私は石鹸せっけんだらけになった顔で振りかえって、心持まゆをしかめた。 ――それは、前々から須山との約束で、工場から一緒に帰ることはお互避けていたからである。 そんな事をすれば、他の人の眼につくし、万一のことがあった時には一人だけの犠牲では済まないからであった。 ところが、須山は時々その約束を破った。 そして、「やアあまり怒るなよ」そんなことをって、人なつこく笑った。 須山はどっちかと云えば調子の軽い、仲々愛嬌あいきょうのある、憎めないたちの男だったので、私はその度に苦笑した。 が、今は時期が時期だし、私はつい顔を見せたのである。 それに今日これから新しいメンバーを誘って、何処どこかの「しるこ屋」に寄る予定にもなっていた……。 が、フト見ると、ひょウきんな何時いつもの須山の顔ではない。 私はその時私たちのような仕事をしているものゝみが持っているあの「予感」を突嗟とっさに感じて、――「あぐだ」と云って、ザブ/\と顔を洗った。

相手にそれと分ったと思うと須山は急に調子を変えて、「キリンでゞも一杯やるか」と後から云った。 が、それには一応何時いつもの須山らしい調子があるようで、しかし如何いかにも取ってつけたただならぬさがあった。 それが直接じかに分った。

外へ出ると、さすがに須山は私より五六間先きを歩いた。 工場から電車路に出るところは、片方が省線の堤で他方が商店の屋並にせばめられて、細い道だった。 その二本目の電柱に、背広が立って、こっちを見ていた。 見ているような見ていないようなイヤな見方だ。 私はぐ後から来る五六人と肩をならべて話しながら、左の眼のすみに背広を置いて、油断をしなかった。 背広はどっちかと云えば、毎日のおきまり仕事にうんざりして、どうでもいゝような物ぐさな態度だった。 彼等はこの頃では毎日、工場の退けに張り込んでいた。 須山はその直ぐ横を如何にも背広を小馬鹿にしたように、外開そとびらきの足をツン、ツンと延ばして歩いてゆく。 それがこっちから見ていると分るので、可笑おかしかった。

電車路の雑沓ざっとうに出てから、私は須山に追いついた。 彼は鼻をこすりながら、何気ない風に四囲まわりを見廻わし、それから、

「どうもおかしいんだ……」

と云う。

私は須山の口元を見た。

「上田がヒゲと切れたんだ……!」

何時いつ[#「何時いつだ」は底本では「何時だいつ」]?」

私が云った。

「昨日。」

ヒゲは「予備線」など取って置く必要のない男だとは分っていたが、

「予備はあったのか?」といた。

「取っていたそうだ。」

序章-章なし
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党生活者 - 情報

党生活者

とうせいかつしゃ

文字数 65,181文字

著者リスト:

底本 党生活者

青空情報


底本:「党生活者」新日本文庫、新日本出版社
   1974(昭和49)年12月20日初版
入力:細見祐司
校正:浜野 智
1998年11月10日公開
2007年9月26日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:党生活者

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