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野分

著者:夏目漱石

のわき - なつめ そうせき

文字数:93,162 底本発行年:1972
著者リスト:
著者:夏目 漱石
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一

白井道也(しらいどうや)は文学者である。

八年前(まえ)大学を卒業してから田舎(いなか)の中学を二三箇所(かしょ)流して歩いた末、去年の春飄然(ひょうぜん)と東京へ戻って来た。 流すとは門附(かどづけ)に用いる言葉で飄然とは徂徠(そらい)に拘(かか)わらぬ意味とも取れる。 道也の進退をかく形容するの適否は作者といえども受合わぬ。 縺(もつ)れたる糸の片端(かたはし)も眼を着(ちゃく)すればただ一筋の末とあらわるるに過ぎぬ。 ただ一筋の出処(しゅっしょ)の裏には十重二十重(とえはたえ)の因縁(いんねん)が絡(から)んでいるかも知れぬ。 鴻雁(こうがん)の北に去りて乙鳥(いっちょう)の南に来(きた)るさえ、鳥の身になっては相当の弁解があるはずじゃ。

始めて赴任(ふにん)したのは越後(えちご)のどこかであった。 越後は石油の名所である。 学校の在(あ)る町を四五町隔てて大きな石油会社があった。 学校のある町の繁栄は三分(ぶ)二以上この会社の御蔭(おかげ)で維持されている。 町のものに取っては幾個の中学校よりもこの石油会社の方が遥(はる)かにありがたい。 会社の役員は金のある点において紳士(しんし)である。 中学の教師は貧乏なところが下等に見える。 この下等な教師と金のある紳士が衝突すれば勝敗(しょうはい)は誰が眼にも明(あきら)かである。 道也はある時の演説会で、金力(きんりょく)と品性(ひんせい)と云(い)う題目のもとに、両者の必ずしも一致せざる理由を説明して、暗(あん)に会社の役員らの暴慢と、青年子弟の何らの定見もなくしていたずらに黄白万能主義(こうはくばんのうしゅぎ)を信奉するの弊(へい)とを戒(いまし)めた。

役員らは生意気(なまいき)な奴(やつ)だと云った。 町の新聞は無能の教師が高慢な不平を吐(は)くと評した。 彼の同僚すら余計な事をして学校の位地を危うくするのは愚(ぐ)だと思った。 校長は町と会社との関係を説いて、漫(みだり)に平地に風波を起すのは得策でないと説諭した。 道也の最後に望を属(しょく)していた生徒すらも、父兄の意見を聞いて、身のほどを知らぬ馬鹿教師と云い出した。 道也は飄然(ひょうぜん)として越後を去った。

次に渡ったのは九州である。 九州を中断してその北部から工業を除けば九州は白紙となる。 炭礦(たんこう)の煙りを浴びて、黒い呼吸(いき)をせぬ者は人間の資格はない。 垢光(あかびか)りのする背広の上へ蒼(あお)い顔を出して、世の中がこうの、社会がああの、未来の国民がなんのかのと白銅一個にさえ換算の出来ぬ不生産的な言説を弄(ろう)するものに存在の権利のあろうはずがない。 権利のないものに存在を許すのは実業家の御慈悲(おじひ)である。 無駄口を叩(たた)く学者や、蓄音機の代理をする教師が露命をつなぐ月々幾片(いくへん)の紙幣は、どこから湧(わ)いてくる。 手の掌(ひら)をぽんと叩(たた)けば、自(おのず)から降る幾億の富の、塵(ちり)の塵の末を舐(な)めさして、生かして置くのが学者である、文士である、さては教師である。

金(かね)の力で活(い)きておりながら、金を誹(そし)るのは、生んで貰った親に悪体(あくたい)をつくと同じ事である。 その金を作ってくれる実業家を軽んずるなら食わずに死んで見るがいい。 死ねるか、死に切れずに降参をするか、試(た)めして見ようと云って抛(ほう)り出された時、道也はまた飄然と九州を去った。

第三に出現したのは中国辺(へん)の田舎(いなか)である。 ここの気風はさほどに猛烈な現金主義ではなかった。 ただ土着のものがむやみに幅を利(き)かして、他県のものを外国人と呼ぶ。 外国人と呼ぶだけならそれまでであるが、いろいろに手を廻(ま)わしてこの外国人を征服しようとする。 宴会があれば宴会でひやかす。 演説があれば演説であてこする。 それから新聞で厭味(いやみ)を並べる。

一

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野分 - 情報

野分

のわき

文字数 93,162文字

著者リスト:
著者:夏目 漱石

底本 夏目漱石全集3

親本 筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 2

青空情報


底本:「夏目漱石全集3」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年12月1日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 2」筑摩書房
   1972(昭和47)年1月
初出:「ホトトギス」
   1907(明治40)年1月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:柴田卓治
校正:伊藤時也
1999年2月24日公開
2015年4月18日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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