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吾輩は猫である

著者:夏目漱石

わがはいはねこである - なつめ そうせき

文字数:318,442 底本発行年:1971
著者リスト:
著者夏目 漱石
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吾輩わがはいは猫である。 名前はまだ無い。

どこで生れたかとんと見当けんとうがつかぬ。 何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。 吾輩はここで始めて人間というものを見た。 しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪どうあくな種族であったそうだ。 この書生というのは時々我々をつかまえてて食うという話である。 しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。 ただ彼のてのひらに載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。 掌の上で少し落ちついて書生の顔を見たのがいわゆる人間というものの見始みはじめであろう。 この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。 第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶やかんだ。 その猫にもだいぶったがこんな片輪かたわには一度も出会でくわした事がない。 のみならず顔の真中があまりに突起している。 そうしてその穴の中から時々ぷうぷうとけむりを吹く。 どうもせぽくて実に弱った。 これが人間の飲む煙草たばこというものである事はようやくこの頃知った。

この書生の掌のうちでしばらくはよい心持に坐っておったが、しばらくすると非常な速力で運転し始めた。 書生が動くのか自分だけが動くのか分らないが無暗むやみに眼が廻る。 胸が悪くなる。 到底とうてい助からないと思っていると、どさりと音がして眼から火が出た。 それまでは記憶しているがあとは何の事やらいくら考え出そうとしても分らない。

ふと気が付いて見ると書生はいない。 たくさんおった兄弟が一ぴきも見えぬ。 肝心かんじんの母親さえ姿を隠してしまった。 その上いままでの所とは違って無暗むやみに明るい。 眼を明いていられぬくらいだ。 はてな何でも容子ようすがおかしいと、のそのそい出して見ると非常に痛い。 吾輩はわらの上から急に笹原の中へ棄てられたのである。

ようやくの思いで笹原を這い出すと向うに大きな池がある。 吾輩は池の前に坐ってどうしたらよかろうと考えて見た。 別にこれという分別ふんべつも出ない。 しばらくして泣いたら書生がまた迎に来てくれるかと考え付いた。 ニャー、ニャーと試みにやって見たが誰も来ない。 そのうち池の上をさらさらと風が渡って日が暮れかかる。 腹が非常に減って来た。 泣きたくても声が出ない。 仕方がない、何でもよいから食物くいもののある所まであるこうと決心をしてそろりそろりと池をひだりに廻り始めた。 どうも非常に苦しい。

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吾輩は猫である - 情報

吾輩は猫である

わがはいはねこである

文字数 318,442文字

著者リスト:
著者夏目 漱石

底本 夏目漱石全集1

親本 筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 1

青空情報


底本:「夏目漱石全集1」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年9月29日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 1」筑摩書房
   1971(昭和46)年4月5日初版
初出:「ホトトギス」
   1905(明治38)年1月、2月、4月、6月、7月、10月
   1906(明治39)年1月、3月、4月、8月
※誤植を疑った箇所を、底本の親本の表記にそって、あらためました。
入力:柴田卓治
校正:渡部峰子(一)、おのしげひこ(二、五)、田尻幹二(三)、高橋真也(四、七、八、十、十一)、しず(六)、瀬戸さえ子(九)
1999年9月17日公開
2018年2月5日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:吾輩は猫である

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