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京に着ける夕

著者:夏目漱石

きょうにつけるゆうべ - なつめ そうせき

文字数:3,993 底本発行年:1971
著者リスト:
著者夏目 漱石
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序章-章なし

汽車は流星のはやきに、二百里の春をつらぬいて、行くわれを七条しちじょうのプラットフォームの上に振り落す。 かかとの堅きたたきに薄寒く響いたとき、黒きものは、黒き咽喉のどから火のをぱっといて、暗い国へごうと去った。

たださえ京はさびしい所である。 原に真葛まくず、川に加茂かも、山に比叡ひえ愛宕あたご鞍馬くらま、ことごとく昔のままの原と川と山である。 昔のままの原と川と山の間にある、一条、二条、三条をつくして、九条に至っても十条に至っても、皆昔のままである。 数えて百条に至り、生きて千年に至るとも京は依然として淋しかろう。 この淋しい京を、春寒はるさむよいに、とく走る汽車から会釈えしゃくなく振り落された余は、淋しいながら、寒いながら通らねばならぬ。 南から北へ――町が尽きて、家が尽きて、が尽きる北のはてまで通らねばならぬ。

「遠いよ」と主人がうしろから云う。 「遠いぜ」と居士こじが前から云う。 余は中の車に乗ってふるえている。 東京を立つ時は日本にこんな寒い所があるとは思わなかった。 昨日きのうまでは身体からだから火花が出て、むくむくと血管を無理に越す熱き血が、汗を吹いて総身そうみ煮浸にじみ出はせぬかと感じた。 東京はさほどにはげしい所である。 この刺激の強い都を去って、突然と太古たいこの京へ飛び下りた余は、あたかも三伏さんぷくの日に照りつけられた焼石が、緑の底に空を映さぬ暗い池へ、落ち込んだようなものだ。 余はしゅっと云う音と共に、倏忽しゅっこつとわれを去る熱気が、静なる京の夜に震動を起しはせぬかと心配した。

「遠いよ」と云った人の車と、「遠いぜ」と云った人の車と、顫えている余の車は長きかじを長くつらねて、せばく細いみちを北へ北へと行く。 静かなを、聞かざるかとりんを鳴らして行く。 鳴る音は狭き路を左右にさえぎられて、高く空に響く。 かんかららん、かんかららん、と云う。 石にえばかかん、かからんと云う。 陰気な音ではない。 しかし寒い響である。 風は北から吹く。

細い路を窮屈に両側から仕切る家はことごとく黒い。 戸は残りなくとざされている。 ところどころの軒下に大きな小田原提灯おだわらぢょうちんが見える。 赤くぜんざいとかいてある。 人気ひとけのない軒下にぜんざいはそもそも何を待ちつつ赤く染まっているのかしらん。 春寒はるさむを深み、加茂川かもがわの水さえ死ぬ頃を見計らって桓武天皇かんむてんのうの亡魂でも食いに来る気かも知れぬ。

桓武天皇の御宇ぎょうに、ぜんざいが軒下に赤く染め抜かれていたかは、わかりやすからぬ歴史上の疑問である。 しかし赤いぜんざいと京都とはとうてい離されない。 離されない以上は千年の歴史を有する京都に千年の歴史を有するぜんざいが無くてはならぬ。 ぜんざいを召したまえる桓武天皇の昔はしらず、余とぜんざいと京都とは有史以前から深い因縁いんねんで互に結びつけられている。 始めて京都に来たのは十五六年の昔である。 その時は正岡子規まさおかしきといっしょであった。 麩屋町ふやまち柊屋ひいらぎやとか云う家へ着いて、子規と共に京都のよるを見物に出たとき、始めて余の目に映ったのは、この赤いぜんざいの大提灯である。 この大提灯を見て、余は何故なにゆえかこれが京都だなと感じたぎり、明治四十年の今日こんにちに至るまでけっして動かない。 ぜんざいは京都で、京都はぜんざいであるとは余が当時に受けた第一印象でまた最後の印象である。

序章-章なし
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京に着ける夕 - 情報

京に着ける夕

きょうにつけるゆうべ

文字数 3,993文字

著者リスト:
著者夏目 漱石

底本 夏目漱石全集10

親本 筑摩全集類聚版夏目漱石全集

青空情報


底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房
   1988(昭和63)年7月26日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年4月〜1972(昭和47)年1月
入力:柴田卓治
校正:大野晋
1999年5月12日公開
2011年5月25日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:京に着ける夕

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