• URLをコピーしました!

永日小品

著者:夏目漱石

えいじつしょうひん - なつめ そうせき

文字数:49,709 底本発行年:1971
著者リスト:
著者夏目 漱石
0
0
0


元日

雑煮ぞうにを食って、書斎に引き取ると、しばらくして三四人来た。 いずれも若い男である。 そのうちの一人がフロックを着ている。 着なれないせいか、メルトンに対して妙に遠慮するかたむきがある。 あとのものは皆和服で、かつ不断着ふだんぎのままだからとんと正月らしくない。 この連中がフロックを眺めて、やあ――やあと一ツずつ云った。 みんな驚いた証拠しょうこである。 自分も一番あとで、やあと云った。

フロックは白い手巾ハンケチを出して、用もない顔をいた。 そうして、しきりに屠蘇とそを飲んだ。 ほかの連中も大いにぜんのものをつッついている。 ところへ虚子きょしが車で来た。 これは黒い羽織に黒い紋付もんつきを着て、きわめて旧式にきまっている。 あなたは黒紋付を持っていますが、やはりのうをやるからその必要があるんでしょうと聞いたら、虚子が、ええそうですと答えた。 そうして、一つうたいませんかと云い出した。 自分は謡ってもようござんすと応じた。

それから二人して東北とうぼくと云うものを謡った。 よほど以前に習っただけで、ほとんど復習と云う事をやらないから、ところどころはなはだ曖昧あいまいである。 その上、我ながら覚束おぼつかない声が出た。 ようやく謡ってしまうと、聞いていた若い連中が、申し合せたように自分をまずいと云い出した。 中にもフロックは、あなたの声はひょろひょろしていると云った。 この連中は元来うたいのうの字も心得ないもの共である。 だから虚子と自分の優劣はとても分らないだろうと思っていた。 しかし、批評をされて見ると、素人しろうとでも理の当然なところだからやむをえない。 馬鹿を云えという勇気も出なかった。

すると虚子が近来つづみを習っているという話しを始めた。 謡のうの字も知らない連中が、一つ打って御覧なさい、是非御聞かせなさいと所望しょもうしている。 虚子は自分に、じゃ、あなた謡って下さいと依頼した。 これははやしの何物たるを知らない自分にとっては、迷惑でもあったが、また斬新ざんしんという興味もあった。 謡いましょうと引き受けた。 虚子は車夫を走らして鼓を取り寄せた。 鼓がくると、台所から七輪しちりんを持って来さして、かんかんいう炭火の上で鼓の皮をあぶり始めた。 みんな驚いて見ている。 自分もこの猛烈な焙りかたには驚いた。 大丈夫ですかと尋ねたら、ええ大丈夫ですと答えながら、指の先で張切った皮の上をかんとはじいた。 ちょっと好いがした。 もういいでしょうと、七輪からおろして、鼓のめにかかった。 紋服もんぷくの男が、赤い緒をいじくっているところが何となくひんが好い。 今度はみんな感心して見ている。

元日

━ おわり ━  小説TOPに戻る
0
0
0
読み込み中...
ブックマーク系
サイトメニュー
シェア・ブックマーク
シェア

永日小品 - 情報

永日小品

えいじつしょうひん

文字数 49,709文字

著者リスト:
著者夏目 漱石

底本 夏目漱石全集10

親本 筑摩全集類聚版夏目漱石全集

青空情報


底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房
   1988(昭和63)年7月26日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年4月〜1972(昭和47)年1月
入力:柴田卓治
校正:大野晋
1999年6月14日公開
2011年1月13日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:永日小品

小説内ジャンプ
コントロール
設定
しおり
おすすめ書式
ページ送り
改行
文字サイズ

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!