序章-章なし
ただいまは牧君の満洲問題――満洲の過去と満洲の未来というような問題について、大変条理の明かな、そうして秩序のよい演説がありました。
そこで牧君の披露に依ると、そのあとへ出る私は一段と面白い話をするというようになっているが、なかなか牧君のように旨くできませぬ。
ことに秩序が無かろうと思う。
ただいま本社の人が明日の新聞に出すんだから、講演の梗概を二十行ばかりにつづめて書けという注文でしたが、それは書けないと言って断ったくらいです。
それじゃアしゃべらないかというと、現にこうやってしゃべりつつある。
しゃべる事はあるのですが、秩序とか何とかいう事が、ハッキリ句切りがついて頭に畳み込んでありませぬから、あるいは前後したり、混雑したり、いろいろお聴きにくいところがあるだろうと思います。
ことにあなた方の頭も大分労れておいででしょうから、まずなるべく短かく申そうと思う。
私の申すのは少しもむずかしいことではありません。
満洲とか安南とかいう対外問題とは違って極やさしい「道楽と職業」という至極簡単なみだしです。
内容も従って簡単なものであります。
まあそれをちょっとわずかばかり御話をしようと思う。
元来こんな所へ来て講演をしようなどとは全く思いもよらぬことでありましたが、「是非出て来い」とこういう訳で、それでは何か問題を考えなければならぬからその問題を考える時間を与えてくれと言いましたら、社の方では宜しいと云って相応の日子を与えてくれました。
ですから考えて来ないということも言えず、出て来ないということも無論言えず、それでとうとうここへ現われる事になりました。
けれども明石という所は、海水浴をやる土地とは知っていましたが、演説をやる所とは、昨夜到着するまでも知りませんでした。
どうしてああいう所で講演会を開くつもりか、ちょっとその意を得るに苦しんだくらいであります。
ところが来て見ると非常に大きな建物があって、あそこで講演をやるのだと人から教えられて始めてもっともだと思いました。
なるほどあれほどの建物を造ればその中で講演をする人をどこからか呼ばなければいわゆる宝の持腐れになるばかりでありましょう。
したがって西日がカンカン照って暑くはあるが、せっかくの建物に対しても、あなた方は来て見る必要があり、また我々は講演をする義務があるとでも言おうか、まアあるものとしてこの壇上に立った訳である。
そこで「道楽と職業」という題。
道楽と云いますと、悪い意味に取るとお酒を飲んだり、または何か花柳社会へ入ったりする、俗に道楽息子と云いますね、ああいう息子のする仕業、それを形容して道楽という。
けれども私のここで云う道楽は、そんな狭い意味で使うのではない、もう少し広く応用の利く道楽である。
善い意味、善い意味の道楽という字が使えるか使えないか、それは知りませぬが、だんだん話して行く中に分るだろうと思う。
もし使えなかったら悪い意味にすればそれでよいのであります。
道楽と職業、一方に道楽という字を置いて、一方に職業という字を置いたのは、ちょうど東と西というようなもので、南北あるいは水火、つまり道楽と職業が相闘うところを話そうと、こういう訳である。
すなわち道楽と職業というものは、どういうように関係して、どういうように食い違っているかということをまず話して――もっともその道楽も職業も、すでに御承知のあなた方にそういう事を言う必要もなし、私も強いてやりたくはないが、しかし前申したような訳でわざわざ出て来たものだから、そこはあなた方にすでに御分りになっている程度以上に、一歩でももう少し明かに分らせることが、私の力でできればそれで私の役目は済んだものと内々たかを括っているのであります。
それで我々は一口によく職業と云いますが、私この間も人に話したのですが、日本に今職業が何種類あって、それが昔に比べてどのくらいの数に殖えているかということを知っている人は、おそらく無いだろうと思う。
現今の世の中では職業の数は煩雑になっている。
私はかつて大学に職業学という講座を設けてはどうかということを考えた事がある。
建議しやしませぬが、ただ考えたことがあるのです。
なぜだというと、多くの学生が大学を出る。
最高等の教育の府を出る。
もちろん天下の秀才が出るものと仮定しまして、そうしてその秀才が出てから何をしているかというと、何か糊口の口がないか何か生活の手蔓はないかと朝から晩まで捜して歩いている。
天下の秀才を何かないか何かないかと血眼にさせて遊ばせておくのは不経済の話で、一日遊ばせておけば一日の損である。
二日遊ばせておけば二日の損である。
ことに昨今のように米価の高い時はなおさらの損である。
一日も早く職業を与えれば、父兄も安心するし当人も安心する。
国家社会もそれだけ利益を受ける。
それで四方八方良いことだらけになるのであるけれども、その秀才が夢中に奔走して、汗をダラダラ垂らしながら捜しているにもかかわらず、いわゆる職業というものがあまり無いようです。
あまりどころかなかなか無い。