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道楽と職業

著者:夏目漱石

どうらくとしょくぎょう - なつめ そうせき

文字数:17,065 底本発行年:1972
著者リスト:
著者夏目 漱石
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序章-章なし

ただいまは牧君の満洲問題――満洲の過去と満洲の未来というような問題について、大変条理の明かな、そうして秩序のよい演説がありました。 そこで牧君の披露に依ると、そのあとへ出る私は一段と面白い話をするというようになっているが、なかなか牧君のようにうまくできませぬ。 ことに秩序が無かろうと思う。 ただいま本社の人が明日の新聞に出すんだから、講演の梗概こうがいを二十行ばかりにつづめて書けという注文でしたが、それは書けないと言って断ったくらいです。 それじゃアしゃべらないかというと、現にこうやってしゃべりつつある。 しゃべる事はあるのですが、秩序とか何とかいう事が、ハッキリ句切くぎりがついて頭に畳み込んでありませぬから、あるいは前後したり、混雑したり、いろいろお聴きにくいところがあるだろうと思います。 ことにあなた方の頭も大分つかれておいででしょうから、まずなるべく短かく申そうと思う。

私の申すのは少しもむずかしいことではありません。 満洲とか安南とかいう対外問題とは違ってごくやさしい「道楽と職業」という至極しごく簡単なみだしです。 内容も従って簡単なものであります。 まあそれをちょっとわずかばかり御話をしようと思う。

元来こんな所へ来て講演をしようなどとは全く思いもよらぬことでありましたが、「是非出て来い」とこういう訳で、それでは何か問題を考えなければならぬからその問題を考える時間を与えてくれと言いましたら、社の方ではよろしいと云って相応の日子にっしを与えてくれました。 ですから考えて来ないということも言えず、出て来ないということも無論言えず、それでとうとうここへ現われる事になりました。 けれども明石あかしという所は、海水浴をやる土地とは知っていましたが、演説をやる所とは、昨夜到着するまでも知りませんでした。 どうしてああいう所で講演会を開くつもりか、ちょっとその意を得るに苦しんだくらいであります。 ところが来て見ると非常に大きな建物があって、あそこで講演をやるのだと人から教えられて始めてもっともだと思いました。 なるほどあれほどの建物を造ればその中で講演をする人をどこからか呼ばなければいわゆる宝の持腐れになるばかりでありましょう。 したがって西日がカンカン照って暑くはあるが、せっかくの建物に対しても、あなた方は来て見る必要があり、また我々は講演をする義務があるとでも言おうか、まアあるものとしてこの壇上に立った訳である。

そこで「道楽と職業」という題。 道楽と云いますと、悪い意味に取るとお酒を飲んだり、または何か花柳社会へ入ったりする、俗に道楽息子と云いますね、ああいう息子のする仕業しわざ、それを形容して道楽という。 けれども私のここで云う道楽は、そんな狭い意味で使うのではない、もう少し広く応用のく道楽である。 い意味、善い意味の道楽という字が使えるか使えないか、それは知りませぬが、だんだん話して行くうちに分るだろうと思う。 もし使えなかったら悪い意味にすればそれでよいのであります。

道楽と職業、一方に道楽という字を置いて、一方に職業という字を置いたのは、ちょうど東と西というようなもので、南北あるいは水火、つまり道楽と職業が相闘うところを話そうと、こういう訳である。 すなわち道楽と職業というものは、どういうように関係して、どういうように食い違っているかということをまず話して――もっともその道楽も職業も、すでに御承知のあなた方にそういう事を言う必要もなし、私もいてやりたくはないが、しかしぜん申したような訳でわざわざ出て来たものだから、そこはあなた方にすでに御分りになっている程度以上に、一歩でももう少し明かに分らせることが、私の力でできればそれで私の役目は済んだものと内々たかをくくっているのであります。

それで我々は一口によく職業と云いますが、私この間も人に話したのですが、日本に今職業が何種類あって、それが昔に比べてどのくらいの数にえているかということを知っている人は、おそらく無いだろうと思う。 現今の世の中では職業の数は煩雑はんざつになっている。 私はかつて大学に職業学という講座を設けてはどうかということを考えた事がある。 建議しやしませぬが、ただ考えたことがあるのです。 なぜだというと、多くの学生が大学を出る。 最高等の教育の府を出る。 もちろん天下の秀才が出るものと仮定しまして、そうしてその秀才が出てから何をしているかというと、何か糊口ここうの口がないか何か生活の手蔓てづるはないかと朝から晩まで捜して歩いている。 天下の秀才を何かないか何かないかと血眼ちまなこにさせて遊ばせておくのは不経済の話で、一日遊ばせておけば一日の損である。 二日遊ばせておけば二日の損である。 ことに昨今のように米価の高い時はなおさらの損である。 一日も早く職業を与えれば、父兄も安心するし当人も安心する。 国家社会もそれだけ利益を受ける。 それで四方八方良いことだらけになるのであるけれども、その秀才が夢中に奔走して、汗をダラダラ垂らしながら捜しているにもかかわらず、いわゆる職業というものがあまり無いようです。 あまりどころかなかなか無い。

序章-章なし
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道楽と職業 - 情報

道楽と職業

どうらくとしょくぎょう

文字数 17,065文字

著者リスト:
著者夏目 漱石

底本 夏目漱石全集10

親本 筑摩全集類聚 夏目漱石全集10

青空情報


底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房
   1988(昭和63)年7月26日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚 夏目漱石全集10」筑摩書房
   1972(昭和47)年1月10日初版第1刷発行
初出:「朝日講演集」朝日新聞合資会社
   1911(明治44)年11月10日発行
※底本は、明治44年8月明石における大阪朝日新聞社主催講演会の講演を筆者が加筆訂正したものです。
※底本の編者による脚注は省略しました。
入力:柴田卓治
校正:大野晋
2000年1月6日公開
2004年2月27日公開
2023年8月15日修正
青空文庫作成ファイル:
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