さようなら
著者:田中英光
さようなら - たなか ひでみつ
文字数:22,195 底本発行年:1979
「グッドバイ」「オォルボァル」「アヂュウ」「アウフビタゼエヘン」「ツァイチェン」「アロハ」等々――。
右はすべて外国語の「さようなら」だが、その何れにも(また逢う日まで)とか(神が汝の為にあれ)との祈りや願いを同時に意味し、日本の「さようなら」のもつ諦観的な語感とは比較にならぬほど人間臭いし明るくもある。
「さようなら」とは、さようならなくてはならぬ故、お別れしますというだけの、敗北的な無常観に貫ぬかれた、いかにもあっさり死の世界を選ぶ、いままでの日本人らしい
「人生足別離」とは唐詩選の一句。 それを井伏さんが、「サヨナラダケガ人生ダ」と訳し、太宰さんが絶筆、「グッドバイ」の解題に、この原句と訳を引用し、(誠に人間、相見る束の間の喜びは短かく、薄く、別離の傷心のみ長く深い、人間は常に惜別の情にのみ生きているといっても過言ではあるまい)といった意味を述べていたと思うが、「さようなら」の空しく白々しい語感には、惜別の二字が意味するだけのヒュウマニテも感じられぬ。
(武士道とは死ぬことと見つけたり)生死、何れかを選ぶ境に立ったら死ぬのが正しいと教えられてきた日本人。
都の衛生課の腕章をつけたひとの手からは、毒薬でも安心して呑み十数人が一瞬にして殺される日本人。
(御跡したいて我はゆくなり)南方の蛮人でさえいまは軽蔑している殉死の悪習を、つい最近、明治の末期まで、否、太平洋戦争中にも美徳と信じていた日本人。
赤穂浪士。
乃木大将。
軍国の処女妻。
瓦砕を玉砕と錯覚した今度の戦いの無数の犠牲者。
或いは桜田烈士、中岡
(死をみること帰するが如し)ヨセヤイ。
暗殺は
僅かに残っている僕の理性は、メチャクチャなぼくの生活感情に、こうした忠告をしてくれるのだが、現在、ぼくは自分とその周囲を見渡してウンザリし、正直な話、「皆さん、それでは左様なら」と例の春婦とルンペンを愛し、
いまの日本では未だに、軍国時代の無意味な死に方が憧憬されている。
三千の将兵が蠅捕紙上の蠅みたいに、戦艦大和にへばりついたまま水底に沈んで死んだ愚かしい悲劇が、偉大な叙事詩の如く感動的に無批判に書かれたものが、数十万の人たちに愛読されている。
文明と人道に対する悪辣な犯罪者として処刑された、東条以下の戦犯の愛読作家であり、いわば彼らの基礎哲学の代弁者の作家、吉川英治が依然として百万の愛読者をもっている。
一本の剣で数十人のライバルを倒す為、一生、惨憺たる修行をした宮本武蔵という前近代人が、原子力時代といわれる今日でもなお、ぼくたち同胞の英雄として読まれ慕われているという事実は、日本人の近代文明に対する劣等感、嫉妬、軽蔑、
(日本敗れたり)このニュウス映画で未だ特攻機の出現に拍手を送るほど、自分たちの戦争で受けた傷に無意識な日本人は、それだけに第三次大戦で一儲けの悪逆な妄想を抱いたり、政府の一長官の神経衰弱による自殺から、国鉄の線路上に悪童が石を置くイタズラまで、全て共産党の暴力と宣伝されると、それを鵜のみにするほど理性がなかったり、踊る宗教、ヒロポン、アドルム、肉体文学、パンパン、男娼エトセトラに、目かくしされた蠅が本能的触覚で一直線にウンコにとびつくみたいな必然さで熱中する。 而しそうした遣切れぬほどの無知で不潔で図々しいぼくたちの間にも、未来のある子供たちや真面目な勤労者、誠実な民主政治家が同時に沢山、生きている事実も無視することはできぬ。
処で、ぼくは自分が、時代に傷つけられ、遣切れぬほど無知で不潔で図々しい日本人たちのひとりになってしまったと実感する故、生理的
「さようなら」神よ常に別れる汝の傍にあれでもなければ、また逢う日までなぞという甘美な願いも含まれていない虚無的な別離を意味する日本語。 ぼくはそんな空しく白々しい別れの言葉だけが生れ残ってきた処に、この上なく日本の歴史と社会の貧しい哀しさを思うのである。
ぼくは自分から、「さようなら」をいう前に、この三十七歳迄に向うから先に、「さようなら」された多くの肉親や友人のことを想いだしてみよう。
ぼくは大正二年、東京赤坂で生れたが、
だから死に対し普通の幼児はただ無関心のように感じられるが、ぼくの場合は白昼にでも死を想えばうなされるほどの興味や憎悪があった。 そんなぼくに、最初に、「さようなら」した肉親は同居していた母方の祖母で、六十そこそこの病死だったと思うが、恐ろしく厭な記憶は自然に忘却できる人間心理の本能から、ぼくは祖母の死因も死顔もなに一つ覚えていない。