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阿部一族

著者:森鴎外

あべいちぞく - もり おうがい

文字数:27,429 底本発行年:1972
著者リスト:
著者森 鴎外
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序章-章なし

じゅ位下いのげ左近衛少将さこんえのしょうしょう越中守えっちゅうのかみ細川忠利ほそかわただとしは、寛永十八年辛巳しんしの春、よそよりは早く咲く領地肥後国ひごのくにの花を見すてて、五十四万石の大名の晴れ晴れしい行列に前後を囲ませ、南より北へ歩みを運ぶ春とともに、江戸を志して参勤さんきんみちに上ろうとしているうち、はからず病にかかって、典医の方剤も功を奏せず、日に増し重くなるばかりなので、江戸へは出発日延べの飛脚が立つ。 徳川将軍は名君の誉れの高い三代目の家光で、島原一揆いっきのとき賊将天草あまくさ四郎時貞ときさだを討ち取って大功を立てた忠利の身の上を気づかい、三月二十日には松平伊豆守まつだいらいずのかみ阿部豊後守あべぶんごのかみ阿部対馬守あべつしまのかみの連名の沙汰書さたしょを作らせ、針医以策いさくというものを、京都から下向げこうさせる。 続いて二十二日には同じく執政三人の署名した沙汰書を持たせて、曽我又左衛門そがまたざえもんというさむらいを上使につかわす。 大名に対する将軍家の取扱いとしては、鄭重ていちょうをきわめたものであった。 島原征伐がこの年から三年前寛永十五年の春平定してからのち、江戸のやしき添地そえちを賜わったり、鷹狩たかがりつるを下されたり、ふだん慇懃いんぎんを尽くしていた将軍家のことであるから、このたびの大病を聞いて、先例の許す限りの慰問をさせたのももっともである。

将軍家がこういう手続きをする前に、熊本花畑のやかたでは忠利の病がすみやかになって、とうとう三月十七日さるの刻に五十六歳でくなった。 奥方は小笠原おがさわら兵部大輔ひょうぶたゆう秀政ひでまさの娘を将軍が養女にしてめあわせた人で、今年四十五歳になっている。 名をおせんかたという。 嫡子ちゃくし六丸は六年前に元服して将軍家からみつの字を賜わり、光貞みつさだと名のって、従四位下侍従じじゅう肥後守ひごのかみにせられている。 今年十七歳である。 江戸参勤中で遠江国とおとうみのくに浜松まで帰ったが、訃音ふいんを聞いて引き返した。 光貞はのち名を光尚みつひさと改めた。 二男鶴千代つるちよは小さいときから立田山の泰勝寺たいしょうじにやってある。 京都妙心寺出身の大淵和尚たいえんおしょうの弟子になって宗玄といっている。 三男松之助は細川家に旧縁のある長岡氏に養われている。 四男勝千代は家臣南条大膳だいぜんの養子になっている。 女子は二人ある。 長女藤姫ふじひめは松平周防守すおうのかみ忠弘ただひろの奥方になっている。 二女竹姫はのちに有吉ありよし頼母たのも英長ひでながの妻になる人である。 弟には忠利が三斎さんさいの三男に生まれたので、四男中務なかつかさ大輔たゆう立孝たつたか、五男刑部ぎょうぶ興孝おきたか、六男長岡式部寄之よりゆきの三人がある。 いもとには稲葉一通かずみちに嫁した多羅姫たらひめ烏丸からすまる中納言ちゅうなごん光賢みつかたに嫁した万姫まんひめがある。 この万姫の腹に生まれた禰々姫ねねひめが忠利の嫡子光尚の奥方になって来るのである。 目上には長岡氏を名のる兄が二人、前野長岡両家に嫁した姉が二人ある。 隠居三斎宗立そうりゅうもまだ存命で、七十九歳になっている。 この中には嫡子光貞のように江戸にいたり、また京都、そのほか遠国にいる人だちもあるが、それがのちに知らせを受けてなげいたのと違って、熊本のやかたにいた限りの人だちの歎きは、わけて痛切なものであった。 江戸への注進には六島少吉むつしましょうきち、津田六左衛門の二人が立った。

三月二十四日には初七日しょなぬかの営みがあった。 四月二十八日にはそれまで館の居間の床板とこいたを引き放って、土中に置いてあったかんき上げて、江戸からの指図さしずによって、飽田郡あきたごおり春日村かすがむら岫雲院しゅううんいん遺骸いがい※(「田+比」、第3水準1-86-44)だびにして、高麗門こうらいもんの外の山に葬った。 この霊屋みたまやの下に、翌年の冬になって、護国山ごこくざん妙解寺みょうげじ建立こんりゅうせられて、江戸品川東海寺から沢庵和尚たくあんおしょうの同門の啓室和尚が来て住持になり、それが寺内の臨流庵りんりゅうあんに隠居してから、忠利の二男で出家していた宗玄が、天岸和尚と号して跡つぎになるのである。 忠利の法号は妙解院殿みょうげいんでん台雲宗伍大居士たいうんそうごだいこじとつけられた。

岫雲院で※(「田+比」、第3水準1-86-44)だびになったのは、忠利の遺言によったのである。 いつのことであったか、忠利が方目狩ばんがりに出て、この岫雲院で休んで茶を飲んだことがある。 そのとき忠利はふと腮髯あごひげの伸びているのに気がついて住持に剃刀かみそりはないかと言った。 住持がたらいに水を取って、剃刀を添えて出した。 忠利は機嫌きげんよく児小姓こごしょうに髯をらせながら、住持に言った。 「どうじゃな。 この剃刀では亡者もうじゃの頭をたくさん剃ったであろうな」と言った。 住持はなんと返事をしていいかわからぬので、ひどく困った。 このときから忠利は岫雲院の住持と心安くなっていたので、※(「田+比」、第3水準1-86-44)だびしょをこの寺にきめたのである。

序章-章なし
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阿部一族 - 情報

阿部一族

あべいちぞく

文字数 27,429文字

著者リスト:
著者森 鴎外

底本 日本の文学 3 森鴎外(二)

青空情報


底本:「日本の文学 3 森鴎外(二)」中央公論社
   1972(昭和47)年10月20日発行
入力:真先芳秋
校正:進恵子
2000年2月14日公開
2006年5月16日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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