山月記
著者:中島敦
さんげつき - なかじま あつし
文字数:5,748 底本発行年:1942

抑へ難くなつた。
一年の後、公用で旅に出、
翌年、監察御史、陳郡の
は、しかし、供廻りの多勢なのを恃み、驛吏の言葉を斥けて、出發した。
殘月の光をたよりに林中の草地を通つて行つた時、果して一匹の猛虎が叢の中から躍り出た。
虎は、あはや袁
に躍りかかるかと見えたが、忽ち身を飜して、元の叢に隱れた。
叢の中から人間の聲で「あぶない所だつた」と繰返し呟くのが聞えた。
其の聲に袁
は聞き憶えがあつた。
驚懼の中にも、彼は咄嗟に思ひあたつて、叫んだ。
「其の聲は、我が友、李徴子ではないか?」袁
は李徴と同年に進士の第に登り、友人の少かつた李徴にとつては、最も親しい友であつた。
温和な袁
の性格が、峻峭な李徴の性情と衝突しなかつたためであらう。
叢の中からは、暫く返辭が無かつた。 しのび泣きかと思はれる微かな聲が時々洩れるばかりである。 ややあつて、低い聲が答へた。 「如何にも自分は隴西の李徴である」と。
袁
は恐怖を忘れ、馬から下りて叢に近づき、懷かしげに久濶を叙した。
そして、何故叢から出て來ないのかと問うた。
李徴の聲が答へて言ふ。
自分は今や異類の身となつてゐる。
どうして、おめ/\と故人の前にあさましい姿をさらせようか。
且つ又、自分が姿を現せば、必ず君に畏怖嫌厭の情を起させるに決つてゐるからだ。
しかし、今、圖らずも故人に遇ふことを得て、
は、この超自然の怪異を、實に素直に受容れて、少しも怪まうとしなかつた。
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山月記 - 情報
青空情報
底本:「文學界」
1942(昭和17)年2月
※「山月記」は『文學界』に「文字禍」と共に「古譚」の題で掲載されました。
※このファイルは、日本文学等テキストファイル(http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/bungaku.htm)で公開されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※「己(をれ)」と「己(おれ)」、「己(をのれ)」と「己(おのれ)」の混在は底本通りにしました。
入力:岡島昭浩
校正:小林繁雄
2005年04月22日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
青空文庫:山月記