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地名の研究

著者:柳田國男

ちめいのけんきゅう - やなぎた くにお

文字数:175,007 底本発行年:1947
著者リスト:
著者柳田 国男
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自序

始めて自分が日本の地名を問題にしたのは、この本の中にもある田代たしろ・軽井沢であった。 田代がどこにってもかなりの山の中にばかりある理由が何かあるらしく思われたのが元であった。 かぞえてみるともうその頃から、優に三十年を越えている。 三十年もかからなければ一冊の本も出せぬような、大きな研究項目ではもちろんない。 むしろあまりに小さくかつ煩瑣はんさなる仕事であるがゆえに、多くの人がこれに入ってみようとしなかったのである。 私は境涯と資性と、ともにおそらくは誰よりもこれに適していると信じたので、さまでの努力を要せずに自身衆に代ってこの労務に服せんとしたのであるが、それでもなお中途幾たびとなく休息し、また往々にして決意のたわむことを免れなかった。 今頃これくらいのものをまとめて世に問うことは、少なくとも内に省みて自ら責むべきものあるを感ずる。

我々の仲間では、問題解決の主要なる動力のいつでも外にあることを認めている。 いかに不退の熱心をもってじっと一つの不審を見つめていようとも、いまだ時到らずして依拠すべき若干の事実が見つからない限りは、その疑惑はなお永く続かなければならぬのである。 各人の刻苦の効を奏するみちは、練習によってできるだけ敏活に、必要な知識の所在を突き留め、またその一片をも無用に放散せしめず、それぞれの役目を果さしめるより他にはない。 そうしてこの間における学問の楽しみは、不十分な資料によってかりに下したる推断が後日これを検してまさしくその通りであったのを知ること、及び問題を愚痴ぐち雑駁ざっぱくなる附随物から切り離して、最も簡明また適切なる形として他の同志に引き続ぐことにあるのである。 自分などもただこれを温かい日の光と仰いで、広い野外にひとり働いていたのであるが、年を取るにつれてこの心持が少し変って来た。 まことこの問題が次に来る日本人にとって、必ず究明せられねばならぬ好い問題であるかどうか。 今日の仮定説の果してどの部分が、あたらなかったねと言って笑われることになるのであろうか。 それがだんだんと心もとなくなって来るのである。 この際に当ってわが山口貞夫君が、自身この『地名の研究』の全篇を精読せられたのみならず、これを総括して改めて世にのこすことを慫慂しょうようせられ、さらにその整理校訂の労までを引き受けてくれられたことは、自分としては抑制しあたわざる欣喜きんきである。 望むらくはこの少壮地理学者の判断と趣味が、やや多数の新時代人と共通のものであって、必ずしも好むところに偏したものでなかったことを、この書の寿命によって証明するようにしたいものである。

地名は数千年来の日本国民が、必要に応じておいおいにかつ徐々に制定したものである。 その趣意動機の千差万別であるべきことは始めから誰にでもわかっている。 それをアイヌ語ならアイヌ語のただ一側面ばかりから説こうとすれば、かりに論理は誤っていないにしても、なお脱漏がありまた強弁があることは免れない。 私の地名解は年数が永いだけに、自分の知識のいろいろの段階が干与かんよしている。 ある時は旅行で得た直覚、またある時は方言や口碑こうひの比較の間からも暗示を得、中にはまた文庫のちりの香の紛々と鼻をつものもなしとしない。 前後に幾多の態度の矛盾があるが、それはまた地名発生のいたって自由なる法則とも相応している。 その上に根本において、これを設けなしたる人生が、終始裏附けをしているという一点だけは、忘れぬように心掛けていた。 その人生を明らかにすることが、実は地名を研究する唯一の目的ということも、見落してはおらぬつもりである。 だから一部分の失敗によって、この巻の全部の意義を、揺がされるような懸念はないと思っている。 郷土の昔の姿を知ろうとする人々には、前駆者の蹉跌さてつもなお一つの経験となるであろう。 従うて著者は決して満幅の信頼を期待してはいない。 むしろ犀利さいりなる眼光をもってこの書の弱点を指摘せられる読者の、できるだけ多からんことを熱望しているのである。

昭和十年十二月

[#改ページ]

地名の話

三年ばかり前のことであった。 山上氏の手紙の中に、確か神保じんぼう氏の話であったかと思うが、日本の地名には意味の不明なものがはなはだ多い。 アイヌなどとは大いに違うと平生いっておられるということを聞いた。 この一言は予にとっては感謝すべき刺戟しげきであった。 又聞きであるからもちろん趣旨を間違えているかも知れぬが、自分はこの言葉をこう解した。 日本内地における地名の大多数は、今まで学者先生の研究ではまだ説明することができないものが多い。

自序

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地名の研究 - 情報

地名の研究

ちめいのけんきゅう

文字数 175,007文字

著者リスト:
著者柳田 国男

底本 柳田國男全集20

親本 柳田國男先生著作集 第二冊 地名の研究

青空情報


底本:「柳田國男全集20」ちくま文庫、筑摩書房
   1990(平成2)年7月31日第1刷発行
底本の親本:「柳田國男先生著作集 第二冊 地名の研究」実業之日本社
   1947(昭和22)年10月15日発行
初出:地名の話「地学雑誌 第二四年第二八六号〜第二八八号」東京地学協会
   1912(大正元)年10月15日、11月15日、12月15日
   地名と地理「地理学評論 第八巻第五号〜第六号」古今書院
   1932(昭和7)年5月1日、6月1日
   地名と歴史「愛知教育 第五五九号」愛知県教育会
   1934(昭和9)年7月1日
   地名考説 一〜四、一九後半、三一後半「民族」民族発行所
   1926(大正15)年5月〜1927(昭和2)年3月
   地名考説 五〜一八、一九前半、二〇〜二二、二五〜二八、三一前半「歴史地理」三省堂書店
   1910(明治43)年2月〜1912(明治45)年8月
   地名考説 四五〜四八「土俗と伝説」文武堂書店
   1918(大正7年)8月〜1919(大正8)年1月
   地名考説 五五「考古学雑誌」聚精堂
   1911(明治44)年5月15日
   地名考説 二三〜二四、二九、三〇、三二〜四四、四九〜五四「郷土研究」郷土研究社
   1913(大正2)年3月〜1917(大正6)年3月
※「境界」と「境堺」、「当字」と「宛字」、「当てる」と「宛てる」の混在は、底本通りです。
※「地名と地理」の初出時の表題は「地名の話」です。
※図は、「地名の研究」古今書院、1936(昭和11)年1月18日発行、1939(昭和14)年8月20日訂正5版からとりました。
入力:砂場清隆
校正:北川松生
2019年7月30日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:地名の研究

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