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絵のない絵本 01 絵のない絵本

原題:BILLEDBOG UDEN BILLEDER

著者:ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen

えのないえほん

文字数:42,067 底本発行年:1952
底本: 絵のない絵本
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絵のない絵本

ふしぎなことです! わたしは、なにかに深く心を動かされているときには、まるで両手と舌とが、わたしのからだにしばりつけられているような気持になるのです。 そしてそういうときには、心の中にいきいきと感じていることでも、それをそのまま絵にかくこともできなければ、言い表わすこともできないのです。 しかし、それでもわたしは絵かきです。 わたしのが、わたし自身にそう言い聞かせています。 それに、わたしのスケッチや絵を見てくれた人たちは、みんながみんな、そう認めてくれているのです。

わたしは貧しい若者で、たいへんせまい小路こうじの一つに住んでいます。 といっても、光がさしてこないというようなことはありません。 なにしろ、まわりの屋根ごしに、ずっと遠くの方まで見わたすことができるほど、高いところに住んでいるのですから。 この町にきた、さいしょのころは、ひどくせまくるしい気がして、さびしい思いをしたものです。 それもそのはず、森やみどりのおかのかわりに、地平線に見えるものといえば、ただ灰色の煙突えんとつばかりなのですからね。 おまけに、ここには、友だちひとりいるわけではありませんし、あいさつの声をかけてくれるような顔なじみもなかったのです。

ある晩のこと、わたしはたいへん悲しい気持で、窓のそばに立っていました。 ふと、わたしは窓をあけて、外をながめました。 ああ、そのとき、わたしは、どんなに喜んだかしれません! そこには、わたしのよく知っている顔が、まるい、なつかしい顔が、遠い故郷からの、いちばん親しい友だちの顔が、見えたのです。 それは月でした。 なつかしい、むかしのままの月だったのです。 あの故郷の、沼地ぬまちのそばにえている、ヤナギの木のあいだから、わたしを見おろしたときと、すこしもかわらない月だったのです。 わたしは、自分の手にキスをして、月にむかって投げてやりました。 すると、月はまっすぐわたしの部屋の中にさしこんできて、これから外に出かけるときには、まい晩、ちょっとわたしのところをのぞきこもうと、約束やくそくしてくれました。 そのときからというもの、月は、ちゃんとこの約束を守ってくれています。 ただ残念なのは、月がわたしのところに、ほんのわずかの間しかいられない、ということです。 でも、くるたびごとに、その前の晩か、その晩に見たことを、あれこれと話してくれるのでした。

「さあ、わたしの話すことを、絵におかきなさい」と、月は、はじめてたずねてきた晩に、言いました。 「そうすれば、きっと、とてもきれいな絵本ができますよ」

そこでわたしは、いく晩もいく晩も、言われたとおりにやってみました。 わたしは、わたしなりに、新しい「千一夜物語」を絵であらわすことができるかもしれません。 でも、それでは、あまりに数が多すぎます。 わたしがここに書きしるすものは、勝手に選びだしたものではなくて、わたしが聞いたとおりの順序にならべたものなのです。 すぐれた才能にめぐまれた画家なり、詩人なり、音楽家なりが、もしもこれをやってみようという気があれば、もっとりっぱなものにすることができるにちがいありません。 わたしがお見せするものは、ごく大ざっぱに紙の上に書きつけた、ほんの輪郭りんかくにすぎません。 そしてそのあいだには、わたし自身の考えもまじっているのです。 というわけは、月はかならず、まい晩きてくれたわけではありませんし、ときには一つ二つの雲が、わたしと月のあいだにはいりこんでくることもあったからです。

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第一夜

「ゆうべ」これは、月が話したとおりの言葉です。 「わたしは、インドのみきった空気の中をすべって、ガンジス河にわたしの姿をうつしていました。 わたしの光は、古いプラタナスの葉が、ちょうどカメのこうのようにりあがって、しげっている生垣いけがきの中に、さしこもうとしていました。

するとそのとき、茂みの中から、カモシカのように身軽で、イブのように美しい、ひとりのインドむすめが出てきました。 このインド娘は、なにかしら空気のようにかろやかでしたが、それでいて、ぴちぴちとした、ゆたかなからだつきをしていました。

絵のない絵本

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絵のない絵本 - 情報

絵のない絵本 01 絵のない絵本

えのないえほん 01 えのないえほん

文字数 42,067文字

底本 絵のない絵本

青空情報


底本:「絵のない絵本」新潮文庫、新潮社
   1952(昭和27)年8月15日発行
   1987(昭和62)年12月5日66刷改版
   2005(平成17)年8月10日99刷
※底本巻末の注は省略しました。ただし、第一夜「梵天王(ぼんてんおう)」、第五夜「堡塁(ほうるい)」、第三十夜「桷(たるき)」の三語のルビは巻末注より本文に追加しました。
入力:sogo
校正:諸富千英子
2018年3月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:絵のない絵本

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