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舞姫

著者:森鴎外

まいひめ - もり おうがい

文字数:16,130 底本発行年:1991
著者リスト:
著者森 鴎外
底本: 舞姫
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序章-章なし

石炭をばはや積み果てつ。 中等室のつくえのほとりはいと静かにて、熾熱燈しねつとうの光の晴れがましきもあだなり。 今宵こよいは夜ごとにここにつどい来る骨牌カルタ仲間も「ホテル」に宿りて、舟に残れるは一人ひとりのみなれば。 五年前いつとせまえの事なりしが、平生ひごろの望み足りて、洋行の官命をこうむり、このセイゴンの港までしころは、目に見るもの、耳に聞くもの、一つとして新たならぬはなく、筆に任せて書きしるしつる紀行文日ごとに幾千言をかなしけん、当時の新聞に載せられて、世の人にもてはやされしかど、今日になりておもえば、おさなき思想、身のほど知らぬ放言、さらぬも尋常よのつね動植金石どうしょくきんせき、さては風俗などをさえ珍しげにしるししを、心ある人はいかにか見けん。 こたびはのぼりしとき、日記にきものせんとて買いし冊子さっしもまだ白紙のままなるは、独逸ドイツにて物学びせし間に、一種の「ニル・アドミラリイ」の気象をや養い得たりけん、あらず、これには別にゆえあり。

げにひんがしかえる今の我は、西に航せし昔の我ならず、学問こそなお心に飽き足らぬところも多かれ、浮世うきよのうきふしをも知りたり、人の心の頼みがたきは言うもさらなり、われとわが心さえ変わりやすきをも悟り得たり。 きのうのはきょうのなるわが瞬間の感触を、筆に写してたれにか見せん。 これや日記の成らぬ縁故なる、あらず、これには別に故あり。

ああ、ブリンヂイシイの港を出でてより、はや二十日はつかあまりを経ぬ。 世の常ならば生面せいめんの客にさえ交わりを結びて、旅のさを慰めあうが航海の習いなるに、微恙びようにことよせてへやのうちにのみこもりて、同行の人々にも物言うことの少なきは、人知らぬ恨みにかしらのみ悩ましたればなり。 この恨みは初め一抹いちまつの雲のごとくわが心をかすめて、瑞西スイスの山色をも見せず、伊太利イタリア古蹟こせきにも心をとどめさせず、中ごろは世をいとい、身をはかなみて、はらわた日ごとに九廻きゅうかいすともいうべき惨痛をわれに負わせ、今は心の奥にり固まりて、一点のかげとのみなりたれど、ふみ読むごとに、物見るごとに、鏡に映る影、声に応ずる響きのごとく、限りなき懐旧の情をび起こして、幾度いくたびとなくわが心を苦しむ。 ああ、いかにしてかこの恨みをしょうせん。 もしほかの恨みなりせば、詩に詠じ歌によめる後は心地ここちすがすがしくもなりなん。 これのみはあまりに深くわが心にりつけられたればさはあらじと思えど、今宵こよいはあたりに人もなし、房奴ぼうどの来て電気線のかぎをひねるにはなおほどもあるべければ、いで、その概略を文につづりてみん。

余は幼きころよりきびしき庭のおしえを受けし甲斐かいに、父をば早くうしないつれど、学問のすさみ衰うることなく、旧藩きゅうはんの学館にありし日も、東京に出でて予備黌よびこうに通いしときも、大学法学部にりし後も、太田豊太郎おおたとよたろうという名はいつも一級のはじめにしるされたりしに、一人子ひとりごの我を力になして世を渡る母の心は慰みけらし。 十九のとしには学士の称を受けて、大学の立ちてよりそのころまでにまたなき名誉なりと人にも言われ、なにがし省に出仕して、故郷なる母をみやこに呼び迎え、楽しき年を送ること三とせばかり、官長の覚えことなりしかば、洋行して一課の事務を取り調べよとの命を受け、わが名を成さんも、わが家をおこさんも、今ぞとおもう心の勇み立ちて、五十をえし母に別るるをもさまで悲しとは思わず、はるばると家を離れてベルリンの都に来ぬ。

余は模糊もこたる功名の念と、検束に慣れたる勉強力とを持ちて、たちまちこの欧羅巴ヨーロッパの新大都の中央に立てり。 なんらの光彩ぞ、わが目を射んとするは。 なんらの色沢しきたくぞ、わが心を迷わさんとするは。 菩提樹下ぼだいじゅかと訳するときは、幽静なるさかいなるべく思わるれど、この大道かみのごときウンテル・デン・リンデンに来て両辺なる石だたみの人道を行く隊々くみぐみの士女を見よ。 胸張り肩そびえたる士官の、まだ維廉ウィルヘルム一世のまちに臨める窓にりたもう頃なりければ、さまざまの色に飾り成したる礼装をなしたる、かおよ少女おとめ巴里パリまねびのよそおいしたる、かれもこれも目を驚かさぬはなきに、車道の土瀝青アスファルトの上を音もせで走るいろいろの馬車、雲にそびゆる楼閣の少しとぎれたるところには、晴れたる空に夕立の音を聞かせてみなぎり落つる噴井ふきいの水、遠く望めばブランデンブルゲル門を[#「ブランデンブルゲル門を」は底本では「ブランデンブルク門を」]隔てて緑樹枝をさしわしたる中より、半天に浮かびいでたる凱旋塔がいせんとうの神女の像、このあまたの景物目睫もくしょうかんあつまりたれば、始めてここにしものの応接にいとまなきもうべなり。 されどわが胸にはたといいかなる境に遊びても、あだなる美観に心をば動かさじの誓いありて、つねに我を襲う外物をさえぎとどめたりき。

余が鈴索すずなわを引き鳴らしてえつを通じ、おおやけの紹介状を出だして東来の意を告げし普魯西プロシヤの官員は、みな快く余を迎え、公使館よりの手つづきだに事なく済みたらましかば、何事にもあれ、教えもし伝えもせんと約しき。 喜ばしきは、わが故里ふるさとにて、独逸ドイツ仏蘭西フランスの語を学びしことなり。 彼らは始めて余を見しとき、いずくにていつのまにかくは学び得つると問わぬことなかりき。

さて官事のいとまあるごとに、かねておおやけの許しをば得たりければ、ところの大学に入りて政治学を修めんと、名を簿冊ぼさつさせつ。

ひと月ふた月とすぐすほどに、おおやけの打ち合せもすみて、取調べも次第にはかどり行けば、急ぐことをば報告書に作りて送り、さらぬをば写し留めて、ついには幾巻いくまきをかなしけん。 大学のかたにては、おさなき心に思い計りしがごとく、政治家になるべき特科のあるびょうもあらず、これかかれかと心迷いながらも、二、三の法家の講筵こうえんつらなることにおもい定めて、謝金を収め、きて聴きつ。

かくて三年みとせばかりは夢のごとくにたちしが、時きたれば包みても包みがたきは人の好尚こうしょうなるらん、余は父の遺言を守り、母の教えに従い、人の神童なりなどむるがうれしさに怠らず学びし時より、官長のき働き手を得たりとはげますが喜ばしさにたゆみなく勤めし時まで、ただ所動的、器械的の人物になりて自ら悟らざりしが、今二十五歳になりて、すでに久しくこの自由なる大学の風に当りたればにや、心の中なにとなくおだやかならず、奥深く潜みたりしまことの我は、ようよう表にあらわれて、きのうまでの我ならぬ我を攻むるに似たり。 余はわが身の今の世に雄飛すべき政治家になるにもよろしからず、またよく法典をそらんじて獄を断ずる法律家になるにもふさわしからざるを悟りたりと思いぬ。 余はひそかに思うよう、わが母は余をきたる辞書となさんとし、わが官長は余を活きたる法律となさんとやしけん。 辞書たらんはなおうべけれど、法律たらんは忍ぶべからず。 今までは瑣々ささたる問題にも、きわめて丁寧ていねいにいらえしつる余が、このころより官長に寄するふみにはしきりに法制の細目にかかずろうべきにあらぬを論じて、ひとたび法の精神をだに得たらんには、紛々ふんぷんたる万事は破竹のごとくなるべしなどと広言しつ。 また大学にては法科の講筵をよそにして、歴史文学に心を寄せ、ようやくしょむ境にりぬ。

官長はもと心のままに用いるべき器械をこそ作らんとしたりけめ。 独立の思想をいだきて、人なみならぬおももちしたる男をいかでか喜ぶべき。 危うきは余が当時の地位なりけり。 されどこれのみにては、なおわが地位をくつがえすに足らざりけんを、日ごろ伯林ベルリンの留学生のうちにて、ある勢力ある一群ひとむれと余との間に、おもしろからぬ関係ありて、かの人々は余を猜疑さいぎし、またついに余を讒誣ざんぶするに至りぬ。 されどこれとてもその故なくてやは。

序章-章なし
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舞姫 - 情報

舞姫

まいひめ

文字数 16,130文字

著者リスト:
著者森 鴎外

底本 舞姫

青空情報


底本:「舞姫」集英社文庫、集英社
   1991(平成3)年3月25日第1刷
   2011(平成23)年3月8日第13刷
初出:「國民之友第六拾九號」民友社
   1890(明治23)年1月3日発兌
※表題は底本では、「舞姫(まいひめ)」となっています。
※初出時の署名は「鴎外森林太郎」です。
※底本巻末の編者による語注は省略しました。
※誤植を疑った箇所を、初出の表記にそって、あらためました。
入力:高瀬竜一
校正:岡村和彦
2021年6月28日作成
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