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泥棒と若殿

著者:山本周五郎

どろぼうとわかとの - やまもと しゅうごろう

文字数:20,443 底本発行年:1983
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著者山本 周五郎
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その物音は初め広縁のあたりから聞えた。 縁側の板がぎしっとかなり高く鳴ったのである、成信しげのぶは本能的に枕許まくらもとの刀へ手をのばした、しかし指がさやに触れると、いまさらなんだという気持になって手をひっこめた。

――もうたくさんだ、どうにでも好きなようにするがいい、飽き飽きした。

こう思いながら、仰向きに寝たまま腹の上で手を組み合せた。 右がわの壁に切ってある高窓の戸の隙間から、月の光が青白い細布をいたように三条みすじながれこんでいる。 ついさっきまで夜具の裾のほうにあったのが、今はずっと短かくなって、れ畳の中ほどまでを染めているにすぎない、するともう三時ころなのだなと思った。

物音は広縁からとのいの間へはいった。 ひどく用心ぶかい足つきである。 床板の落ちているところが多いから、そこでもときおりぎしっぎしっときしむが、そのたびに物音はぴたりと止って、暫らくは息をひそめているようすだった。 そのうちにあまり用心しすぎたせいだろう、畳の破れにでもつまずいたらしく、どさどさとよろけざま、なにかを踏みぬく激しい音が聞えた。

――切炉へ踏みこんだな。

成信はこう思ってついにやにやした。 うろたえた相手の顔が見えるようである。 へまな人間をよこしたものだと、苦笑いをもらしたとき、そっちでぶつぶつつぶやくのが聞えた。

「おう痛え、擦りいちまった、ちきしょう、なんてえ家だ、どこもかしこもぎしぎし鳴りあがって、こんな陥し穴みてえなものまで有りあがって、――へっ、おまけにすっからかんで、どこになにがあるかわかりあしねえ、ちきしょう、まるで化物屋敷だ」

擦り剥いたところを縛るのだろう。 手拭かなにか裂く音がした。 こんどは人がいないものと信じたか、独りでしきりにぐちや不平をこぼしながら、暫らくそこらをごそごそやっていた。 それからやがてふすまをあけ、この寝所へとはいって来た。

ずんぐりと小柄の男だった。 短かい半纏はんてんのようなものを着て、股引ももひきをはき、素足で、頬かぶりをしていた。 もちろん武士ではないし、刺客などというものとも類の違う人間だ。

――とするとこれは、ことによると盗人というやつかもしれぬ。

そう思うと可笑おかしくなって、成信はついくすくす笑いだした。 相手はぎょっとしたらしい。 こっちへふり返り、眼をすぼめて、そこに敷いてある夜具を眺め、その中に人間の寝ているのを見た。 それからとつぜん「ひょう」というような奇声をあげてとびのいた。

「だ、誰だ、――なんだ」

男はこう叫びながら、及び腰になってこちらをのぞいた。 成信は黙っていた、仰向けに寝たまま身動きもしない、――男は迷って、逃げようかどうしようかと考え、そのあげくやっと決心したのだろう、やおら片手の出刃庖丁ぼうちょうを持ちなおし、それを前方へつき出してどなった。

「やい起きろ、金を出せ、起きて来い野郎」

「――――」

「金を出せってんだ、おとなしく有り金を出しあよし四の五のぬかすと唯あおかねえ、どてっ腹へこいつをおんめえ申すぞ」

成信はやっぱり黙っていた。 男はじっとようすをうかがい、ひと足そろっと前へ出た。

「ふてえ野郎だ、狸ねえりなんぞしやあがって、それとも何か計略でも考げえてやがるのか、へっ、こっちあな、表に三十人から待ってるんだぞ、ぴいとひとつ呼笛よびこを吹きあよ、へっ、命知らずの野郎どもがだんびら物をひからしてとびこんで来るんだ、じたばたすると命あねえぞ」

「――面白いな、ひとつそれを吹いてみろ」

「なにょう、な、なんだと野郎」

「――その呼笛を吹いてみろと云うんだ」

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泥棒と若殿 - 情報

泥棒と若殿

どろぼうとわかとの

文字数 20,443文字

著者リスト:

底本 山本周五郎全集第二十二巻 契りきぬ・落ち梅記

青空情報


底本:「山本周五郎全集第二十二巻 契りきぬ・落ち梅記」新潮社
   1983(昭和58)年4月25日発行
初出:「講談倶楽部」大日本雄弁会講談社
   1949(昭和24)年12月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:北川松生
2020年3月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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青空文庫:泥棒と若殿

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