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青べか物語

著者:山本周五郎

あおべかものがたり - やまもと しゅうごろう

文字数:159,766 底本発行年:1981
著者リスト:
著者山本 周五郎
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はじめに

浦粕うらかす町は根戸川のもっとも下流にある漁師町で、貝と海苔のりと釣場とで知られていた。 町はさして大きくはないが、貝の罐詰かんづめ工場と、貝殻を焼いて石灰を作る工場と、冬から春にかけて無数にできる海苔干し場と、そして、魚釣りに来る客のための釣舟屋と、ごったくやといわれる小料理屋の多いのが、他の町とは違った性格をみせていた。

町は孤立していた。 北は田畑、東は海、西は根戸川、そして南には「沖の百万坪」と呼ばれる広大な荒地がひろがり、その先もまた海になっていた。 交通は乗合バスと蒸気船とあるが、多くは蒸気船を利用し、「通船」と呼ばれる二つの船会社が運航していて、片方の船は船躰せんたいを白く塗り、片方は青く塗ってあった。 これらの発着するところを「蒸気河岸がし」と呼び、隣りあっている両桟橋の前にそれぞれの切符売り場があった。

西の根戸川と東の海を通じる掘割が、この町を貫流していた。 蒸気河岸とこの堀に沿って、釣舟屋が並び、洋食屋、ごったくや、地方銀行の出張所、三等郵便局、巡査駐在所、消防署――と云っても旧式な手押しポンプのはいっている車庫だけであったが、――そして町役場などがあり、その裏には貧しい漁夫や、貝を採るための長い柄の付いた竹籠を作る者や、その日によって雇われ先の変る、つまり舟をぐことも知らず、力仕事のほかには能のない人たちの長屋、土地の言葉で云うと「ぶっくれ小屋」なるものが、ごちゃごちゃと詰めあっていた。

町の中心部は「堀南」と呼ばれ、「四丁目」といわれる洋食屋や、「浦粕亭」という寄席や、諸雑貨洋品店、理髪店、銭湯、「山口屋」という本当の意味の料理屋――これはもっぱら町の旦那方用であるが、そのほか他の田舎町によくみられる旅籠宿はたごやどや小商いの店などが軒をつらねていた。 その南側の裏に、やはり「ごったくや」の一画があり、たった一軒の芝居小屋と、ときたま仮設劇場のかかる空地がある、というぐあいであった。

これらのことをどんなに詳しく記したところで、浦粕町の全貌を尽すわけにはいかない。 私も決してそんなつもりはないので、ただこの小さな物語の篇中に出てくる人たちや、出来事の背景になっているものだけを、いちおう予備知識として紹介したにすぎないのである。

はじめに「沖の百万坪」と呼ばれる空地が、この町の南側にひろがっていると書いた。 私は目測する能力がないので、正確にはなんともいえないが、そこはたしかにその名にふさわしい広さをもっていた。 畑といくらかの田もあるが、大部分はあしや雑草の繁った荒地と、沼や池や湿地などで占められ、そのあいだを根戸川から引いた用水堀が、「一つ※(「さんずい+入」、第4水準2-78-20)いりから「四つ※(「さんずい+入」、第4水準2-78-20)」まで、荒地に縦横の水路を通じていた。 ――この水路や沼や池には、ふなこいはやなまずなどがよく繁殖するため、陸釣おかづりを好む人たちの取って置きの場所のようであった。 また、沼や池や芦の茂みの中には、かわうそとかいたちなどがんでいて、よく人をおどろかしたり、なにごとでもすぐに信ずるような、昔ふうの住民を「隙さえあれば化かそうと思っている」ということであった。

この町ではときたま、太陽が二つ、東と西の地平線上にあらわれることがある。 そういうときはすぐにそっぽを向かなければ危ない。 おかしなことがあるものだ、などと云って二つの太陽を見ると「うみどんぼ野郎」になってしまう。 そうしてそのときにはすぐ脇のほうで、獺か鼬の笑っている声が聞えるということである。 特に鼬はたちの悪いいたずら好きで、人が道を歩いていると、ひょいと向うへとびだして来て、立ちあがって、交通整理でもするように、右手をあげて右をさし示したり、左手で左のほうをさしたりする。 そうしたら必ず反対のほうにゆかなければならない。 うっかりしてそちらへゆけば、きまって池か堀か、わるくすると根戸川へ落ちこんでしまう、といわれていた。

百万坪から眺めると、浦粕町がどんなに小さく心ぼそげであるか、ということがよくわかる。 それは荒れた平野の一部にひらべったく密集した、一とかたまりの、廃滅しかかっている部落といった感じで、貝の罐詰工場の煙突からたち昇る煙と、石灰工場の建物ぜんたいを包んで、絶えず舞いあがっている雪白の煙のほかには、動くものも見えず物音も聞えず、そこに人が生活しているとは信じがたいように思えるくらいであった。

私はその町の人たちから「蒸気河岸の先生」と呼ばれ、あしかけ三年あまり独りで住んでいた。

「青べか」を買った話

よし爺さんに初めて会ったのは「東」の海水小屋であった。 冬のことで、海水小屋は取り払われ、半分朽ちた葭簾よしずの屋根と、板を打ちつけた腰掛が一部だけ残っていた。 町を西から東へ貫流する掘割が、東の海へ出る川口のところで、土地の人たちはそのあたり一帯を漠然と「東」と呼んでいた。

私は海を眺めていた。 腰掛はくぎがゆるんでいるので、足を突っ張ってうまく支えていないと、すぐさまつぶれてしまいそうであった。 干潮で、遠浅の海は醜い底肌をさらし、堀の水は細く、土色に濁っていた。 急に腰掛がぐらっと揺れたので、私は吃驚びっくりして、突っ張っている足に力を入れながら振り返った。 すると一人の老人が、すぐうしろに腰を掛けて、私などは眼にもはいらないといったような顔つきで、古風な莨入たばこいれを腰から抜くところであった。 私は支える足に気をくばりながら、また海のほうへ眼を戻した。

「ずっとめえに、ここへなにかぶっ建てようと思ったっけだが」と老人が大きな声で云った、百メートルも先にいる人に話しかけるような声であった、「なんかぶっ建ってくれべえと思ったっけだがねえよ」

私は黙っていた。

はじめに

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青べか物語 - 情報

青べか物語

あおべかものがたり

文字数 159,766文字

著者リスト:

底本 山本周五郎全集第十四巻 青べか物語・季節のない街

青空情報


底本:「山本周五郎全集第十四巻 青べか物語・季節のない街」新潮社
   1981(昭和56)年11月25日発行
初出:「文藝春秋」
   1960(昭和35)年1月号〜1961(昭和36)年1月号
※「秋屋」と「秋葉」、「収穫」と「収獲」の混在は、底本通りです。
※「鮠」に対するルビの「ばえ」と「はや」と「ぱや」の混在は、底本通りです。
※「三十年後」の初出時の表題は「三十年後の青べか」です。
※初出誌では「やなぎ鮠(ばえ)」は「やなぎ鮠」とルビが付いていません。「収獲」「汽筒であって、……」「秋屋エンジ」「秋屋エンジナー」「千代萩」「千本のあるじ」「自分が酒と肴を買いにいった。」「秋屋船長」は底本通りです。
※「青べか物語」文藝春秋新社、1961(昭和36)年1月20日発行では「収獲」は「収穫」、「汽筒であって、……」「秋屋エンジ」「秋屋エンジナー」「千代萩」「千本のあるじ」「自分が酒と肴を買いにいった。」「秋屋船長」は底本通りです。
※「青べか物語」新潮文庫、新潮社、2002(平成14)年12月20日64刷改版では「汽筒であって、……」は「汽筒であって……」、「秋屋エンジ」は「秋葉エンジ」、「秋屋エンジナー」は「秋葉エンジナー」、「収獲」は「収穫」、「やなぎ鮠(ばえ)」は「やなぎ鮠(ばや)」と校訂されています。「千代萩」「千本のあるじ」「自分が酒と肴を買いにいった。」「秋屋船長」は底本通りです。
※「山本周五郎長篇小説全集 第二十六巻 青べか物語」新潮社、2015(平成27)年2月20日発行では「汽筒であって、……」は「汽筒であって……」、「秋屋エンジ」は「秋葉エンジ」、「秋屋エンジナー」は「秋葉エンジナー」、「収獲」は「収穫」、「千代萩」は「先代萩」、「千本のあるじ」は「「千本」のあるじ」、「自分が酒と肴を買いにいった。」は「自分で酒と肴を買いにいった。」、「やなぎ鮠(ばえ)」は「やなぎ鮠(ばや)」と校訂されています。「秋屋船長」は底本通りです。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:砂場清隆
2018年1月1日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:青べか物語

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