一
門野、御存知でいらっしゃいましょう。
十年以前になくなった先の夫なのでございます。
こんなに月日がたちますと、門野と口に出していって見ましても、一向他人様の様で、あの出来事にしましても、何だかこう、夢ではなかったかしら、なんて思われるほどでございます。
門野家へ私がお嫁入りをしましたのは、どうした御縁からでございましたかしら、申すまでもなく、お嫁入り前に、お互に好き合っていたなんて、そんなみだらなのではなく、仲人が母を説きつけて、母が又私に申し聞かせて、それを、おぼこ娘の私は、どう否やが申せましょう。
おきまりでございますわ。
畳にのの字を書きながら、ついうなずいてしまったのでございます。
でも、あの人が私の夫になる方かと思いますと、狭い町のことで、それに先方も相当の家柄なものですから、顔位は見知っていましたけれど、噂によれば、何となく気むずかしい方の様だがとか、あんな綺麗な方のことだから、ええ、御承知かも知れませんが、門野というのは、それはそれは、凄い様な美男子で、いいえ、おのろけではございません。
美しいといいます中にも、病身なせいもあったのでございましょう、どこやら陰気で、青白く、透き通る様な、ですから、一層水際立った殿御ぶりだったのでございますが、それが、ただ美しい以上に、何かこう凄い感じを与えたのでございます。
その様に綺麗な方のことですから、きっと外に美しい娘さんもおありでしょうし、もしそうでないとしましても、私の様なこのお多福が、どうまあ一生可愛がって貰えよう、などと色々取越苦労もしますれば、従ってお友達だとか、召使などの、その方の噂話にも聞き耳を立てるといった調子なのでございます。
そんな風にして、段々洩れ聞いた所を寄せ集めて見ますと、心配をしていた、一方のみだらな噂などはこれっぱかりもない代りには、もう一つの気むずかし屋の方は、どうして一通りでないことが分って来たのでございます。
いわば変人とでも申すのでございましょう。
お友達なども少く、多くは内の中に引込み勝ちで、それに一番いけないのは、女ぎらいという噂すらあったのでございます。
それも、遊びのおつき合いをなさらぬための、そんな噂なら別条はないのですけれど、本当の女ぎらいらしく、私との縁談にしましてからが、元々親御さん達のお考えで、仲人に立った方は、私の方よりは、却て先方の御本人を説きふせるのに骨が折れたほどだと申すのでございます。
尤もそんなハッキリした噂を聞いた訳ではなく、誰かが一寸口をすべらせたのから、私が、お嫁入りの前の娘の敏感で独合点をしていたのかも知れません。
いいえ、いざお嫁入りをして、あんな目にあいますまでは、本当に私の独合点に過ぎないのだと、しいてもそんな風に、こちらに都合のよい様に、気休めを考えていたことでございます。
これで、いくらか、うぬぼれもあったのでございますわね。
あの時分の娘々した気持を思い出しますと、われながら可愛らしい様でございます。
一方ではそんな不安を感じながら、でも、隣町の呉服屋へ衣裳の見立に参ったり、それを家中の手で裁縫したり、道具類だとか、細々した手廻りの品々を用意したり、その中へ先方からは立派な結納が届く、お友達にはお祝いの言葉やら、羨望の言葉やら、誰かにあえばひやかされるのがなれっこになってしまって、それが又恥かしいほど嬉しくて、家中にみちみちた花やかな空気が、十九の娘を、もう有頂天にしてしまったのでございます。
一つは、どの様な変人であろうが、気むずかし屋さんであろうが、今申す水際立った殿御振に、私はすっかり魅せられていたのでもございましょう。
それに又、そんな性質の方に限って、情が濃かなのではないか、私なら私一人を守って、凡ての愛情という愛情を私一人に注ぎつくして、可愛がって下さるのではないか、などと、私はまあなんてお人よしに出来ていたのでございましょう。
そんな風に思っても見るのでございました。
初めの間は、遠い先のことの様に、指折数えていた日取りが、夢の間に近づいて、近づくに従って、甘い空想がずっと現実的な恐れに代って、いざ当日、御婚礼の行列が門前に勢揃いをいたします。
その行列が又、自慢に申すのではありませんが、十幾つりの私の町にしては飛切り立派なものでしたが、それの中にはさまって、車に乗る時の心持というものは、どなたも味わいなさることでしょうけれど、本当にもう、気が遠くなる様でございましたっけ、まるで屠所の羊でございますわね。
精神的に恐しいばかりでなく、もう身内がずきずき痛む様な、それはもう、何と申してよろしいのやら。
……
二
何がどうなったのですか、兎も角も夢中で御婚礼を済せて、一日二日は、夜さえ眠ったのやら眠らなかったのやら、舅姑がどの様な方なのか、召使達が幾人いるか、挨拶もし、挨拶されていながらも、まるで頭に残っていないという有様なのでございます。
するともう、里帰り、夫と車を並べて、夫の後姿を眺めながら走っていても、それが夢なのか現なのか、……まあ、私はこんなことばかりおしゃべりしていまして、御免下さいまし、肝心の御話がどこかへ行ってしまいますわね。
そうして、御婚礼のごたごたが一段落つきますと、案じるよりは生むが易いと申しますか、門野は噂程の変人というでもなく、却て世間並よりは物柔かで、私などにも、それは優しくしてくれるのでございます。
私はほっと安心いたしますと、今までの苦痛に近い緊張が、すっかりほぐれてしまいまして、人生というものは、こんなにも幸福なものであったのかしら、なんて思う様になって参ったのでございます。
それに舅姑御二人とも、お嫁入前に母親が心づけてくれましたことなど、まるで無駄に思われたほど、好い御方ですし、外には、門野は一人子だものですから、小舅などもなく、却て気抜けのする位、御嫁さんなんて気苦労の入らぬものだと思われたのでございました。
門野の男ぶりは、いいえ、そうじゃございませんのよ。
これがやっぱり、お話の内なのでございますわ。
そうして一しょに暮す様になって見ますと、遠くから、垣間見ていたのと違って、私にとっては、生れてはじめての、この世にたった一人の方なのですもの、それは当り前でございましょうけれど、日が経つにつれて、段々立まさって見え、その水際立った男ぶりが、類なきものに思われ初めたのでございます。
いいえ、お顔が綺麗だとか、そんなことばかりではありません。
恋なんて何と不思議なものでございましょう、門野の世間並をはずれた所が、変人というほどではなくても、何とやら憂鬱で、しょっちゅう一途に物を思いつづけている様な、しんねりむっつりとした、それで、縹緻はと申せば、今いう透き通る様な美男子なのでございますよ、それがもう、いうにいわれぬ魅力となって、十九の小娘を、さんざんに責めさいなんだのでございます。
ほんとうに世界が一変したのでございます。
二た親のもとで育てられていた十九年を現実世界にたとえますなら、御婚礼の後の、それが不幸にもたった半年ばかりの間ではありましたけれど、その間はまるで夢の世界か、お伽噺の世界に住んでいる気持でございました。
大げさに申しますれば、浦島太郎が乙姫様の御寵愛を受けたという龍宮世界、あれでございますわ、今から考えますと、その時分の私は、本当に浦島太郎の様に幸福だったのでございますわ。