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踊る一寸法師

著者:江戸川乱歩

おどるいっすんぼうし - えどがわ らんぽ

文字数:7,652 底本発行年:1926
著者リスト:
著者江戸川 乱歩
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序章-章なし

「オイ、ろくさん、何をぼんやりしてるんだな。 ここへ来て、お前も一杯御相伴おしょうばんにあずかんねえ」

肉襦袢にくじゅばんの上に、紫繻子むらさきじゅすに金糸でふち取りをした猿股さるまたをはいた男が、鏡を抜いた酒樽さかだるの前に立ちはだかって、妙に優しい声でった。

その調子が、何となく意味ありだったので、酒に気をとられていた、一座の男女が一斉いっせいに緑さんの方を見た。

舞台のすみの、丸太の柱によりかかって、遠くの方から同僚達の酒宴の様子を眺めていた一寸法師の緑さんは、そう云われると、いつもの通り、さもさも好人物らしく、大きな口を曲げて、ニヤニヤと笑った。

「おらあ、酒は駄目だめなんだよ」

それを聞くと、少し酔のまわった軽業師かるわざし達は、面白そうに声を出して笑った。 男達の鹽辛声しおからごえと、ふとった女共の甲高かんだかい声とが、広いテント張りの中に反響した。

「お前の下戸げこは云わなくったって分ってるよ。 だが、今日は特別じゃねえか。 大当りのお祝いだ。 何ぼ不具者だって、そうつき合いを悪くするものじゃねえ」

紫繻子の猿股が、もう一度優しく繰返くりかえした。 色の黒い、くちびるの厚い、四十恰好かっこう巖乗がんじょうな男だ。

「おらあ、酒は駄目なんだよ」

やっぱりニヤニヤ笑いながら、一寸法師が答えた。 十一二歳の子供の胴体に、三十男の顔をくっつけた様な怪物だ。 頭のはち福助ふくすけの様に開いて、らっきょう型の顔には、蜘蛛くもが足をひろげた様な、深いしわと、キョロリとした大きな眼と、丸い鼻と、笑う時には耳までさけるのではないかと思われる大きな口と、そして、鼻の下の薄黒い無精髯ぶしょうひげとが、不調和についていた。 青白い顔に脣だけが妙に真赤だった。

「緑さん、私のおしゃくなら、受けてれるわね」

美人玉乗りのおはなが、酒のために赤くほてった顔に、微笑を浮べて、さも自信ありげに口を入れた。 村中の評判になった、このお花の名前は、私も覚えていた。

一寸法師は、お花に正面から見つめられて、一寸ちょっとたじろいだ。 彼の顔には一刹那いっせつな不思議な表情が現れた。 あれが怪物の羞恥しゅうちであろうか。 しかし、しばらくもじもじしたあとで、彼はやっぱり同じことを繰返した。

「おらあ、酒は駄目なんだよ」

顔は相変わらず笑っていたが、それは咽喉のどにひっかかった様な、低い声だった。

「そう云わないで、まあ一杯やんなよ」

紫繻子の猿股は、ノコノコと歩いて行って、一寸法師の手を取った。

「さあ、こうしたら、もう逃がしっこないぞ」

彼は、そう云って、グングンその手を引っぱった。

巧みな道化どうけ役者にも似合わない、豆蔵の緑さんは、十八の娘の様に、併し不気味な嬌羞きょうしゅうを示して、そこの柱につかまったまま動こうともしない。

せったら、止せったら」

それを無理に紫繻子が引張るので、そのたびに、つかまっている柱がしなって、テント張りの小屋全体が、大風の様にゆれ、アセチリン瓦斯ガスつりランプが、鞦韆ぶらんこの様に動いた。

私は何となく気味が悪かった。 執拗しつように丸太の柱につかまっている一寸法師と、それを又依怙地いこじに引きはなそうとしている紫繻子、その光景に一種不気味な前兆が感じられた。

「花ちゃん、豆蔵のことなぞどうだっていいから、サア、一つお歌いよ。 ねえ。

序章-章なし
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踊る一寸法師 - 情報

踊る一寸法師

おどるいっすんぼうし

文字数 7,652文字

著者リスト:

底本 江戸川乱歩全集 第3巻 陰獣

親本 創作探偵小説集第二巻 屋根裏の散歩者

青空情報


底本:「江戸川乱歩全集 第3巻 陰獣」光文社文庫、光文社
   2005(平成17)年11月20日初版1刷発行
底本の親本:「創作探偵小説集第二巻 屋根裏の散歩者」春陽堂
   1926(大正15)年1月
初出:「新青年」博文館
   1926(大正15)年1月
入力:金城学院大学 電子書籍制作
校正:門田裕志
2017年4月4日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:踊る一寸法師

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