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鏡地獄

著者:江戸川乱歩

かがみじごく - えどがわ らんぽ

文字数:14,018 底本発行年:1960
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著者江戸川 乱歩
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序章-章なし

「珍らしい話とおっしゃるのですか、それではこんな話はどうでしょう」

ある時、五、六人の者が、怖い話や、珍奇な話を、次々と語り合っていた時、友だちのKは最後にこんなふうにはじめた。 ほんとうにあったことか、Kの作り話なのか、その後、尋ねてみたこともないので、私にはわからぬけれど、いろいろ不思議な物語を聞かされたあとだったのと、ちょうどその日の天候が春の終りに近いころの、いやにドンヨリと曇った日で、空気が、まるで深い水の底のように重おもしくよどんで、話すものも、聞くものも、なんとなく気ちがいめいた気分になっていたからでもあったのか、その話は、異様に私の心をうったのである。 話というのは、

私に一人の不幸な友だちがあるのです。 名前は仮りに彼と申して置きましょうか。 その彼にはいつの頃からか世にも不思議な病気が取りついたのです。 ひょっとしたら、先祖に何かそんな病気の人があって、それが遺伝したのかもしれませんね。 というのは、まんざら根のない話でもないので、いったい彼のうちには、おじいさんか、ひいじいさんかが、切支丹キリシタンの邪宗に帰依きえしていたことがあって、古めかしい横文字の書物や、マリヤさまの像や、基督キリストさまのはりつけの絵などが、葛籠つづらの底に一杯しまってあるのですが、そんなものと一緒に、伊賀越道中双六いがごえどうちゅうすごろくに出てくるような、一世紀も前の望遠鏡だとか、妙なかっこうの磁石だとか、当時ギヤマンとかビイドロとかいったのでしょうが、美しいガラスの器物だとかが、同じ葛籠にしまいこんであって、彼はまだ小さい時分から、よくそれを出してもらっては遊んでいたものです。

考えてみますと、彼はそんな時分から、物の姿の映る物、たとえばガラスとか、レンズとか、鏡とかいうものに、不思議な嗜好しこうを持っていたようです。 それが証拠には、彼のおもちゃといえば、幻灯器械だとか、遠目がねだとか、虫目がねだとか、そのほかそれに類した、将門まさかど目がね、万華鏡まんげきょうに当てると人物や道具などが、細長くなったり、平たくなったりする、プリズムのおもちゃだとか、そんなものばかりでした。

それから、やっぱり彼の少年時代なのですが、こんなことがあったのも覚えております。 ある日彼の勉強部屋をおとずれますと、机の上に古いきりの箱が出ていて、多分その中にはいっていたのでしょう、彼は手に昔物の金属の鏡を持って、それを日光に当てて、暗い壁に影を映しているのでした。

「どうだ、面白おもしろいだろう。 あれを見たまえ、こんな平らな鏡が、あすこへ映ると、妙な字ができるだろう」

彼にそう言われて、壁を見ますと、驚いたことには、白い丸形の中に、多少形がくずれてはいましたけれど「寿」という文字が、白金のような強い光で現われているのです。

「不思議だね、一体どうしたんだろう」

なんだか神業かみわざとでもいうような気がして、子供の私には、珍らしくもあり、怖くもあったのです。 思わずそんなふうに聞き返しました。

「わかるまい。 種明かしをしようか。 種明かしをしてしまえば、なんでもないことなんだよ。 ホラ、ここを見たまえ、この鏡の裏を、ね、寿という字が浮彫りになっているだろう。 これが表へすき通るのだよ」

なるほど見れば彼の言う通り、青銅のような色をした鏡の裏には、立派な浮彫りがあるのです。 でも、それが、どうして表面まですき通って、あのような影を作るのでしょう。 鏡の表は、どの方角からすかして見ても、滑らかな平面で、顔がでこぼこに写るわけでもないのに、それの反射だけが不思議な影を作るのです。 まるで魔法みたいな気がするのです。

「これはね、魔法でもなんでもないのだよ」

彼は私のいぶかしげな顔を見て、説明をはじめるのでした。

「おとうさんに聞いたんだがね、金属の鏡というやつは、ガラスと違って、ときどきみがきをかけないと、曇りがきて見えなくなるんだ。 この鏡なんか、ずいぶん古くからぼくの家に伝わっている品で、何度となくみがきをかけている。 でね、その磨きをかけるたびに、裏の浮彫りの所と、そうでない薄い所とでは、金の減り方が眼に見えぬほどずつ違ってくるのだよ。 厚い部分は手ごたえが多く、薄い部分はこれが少ないわけだからね。 その眼にも見えぬ減り方の違いが、恐ろしいもので、反射させると、あんなに現われるのだそうだ。 わかったかい」

その説明を聞きますと、一応は理由がわかったものの、今度は、顔を映してもでこぼこに見えない滑らかな表面が、反射させると明きらかに凹凸おうとつが現われるという、このえたいの知れぬ事実が、たとえば顕微鏡で何かをのぞいた時に味わう、微細なるものの無気味さ、あれに似た感じで、私をゾッとさせるのでした。

この鏡のことは、あまり不思議だったので、特別によく覚えているのですが、これはただの一例にすぎないので、彼の少年時代の遊戯というものは、ほとんどそのような事柄ことがらばかりでたされていたわけです。 妙なもので、私までが彼の感化を受けて、今でも、レンズというようなものに、人一倍の好奇心を持っているのですよ。

序章-章なし
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鏡地獄 - 情報

鏡地獄

かがみじごく

文字数 14,018文字

著者リスト:

底本 江戸川乱歩傑作選

青空情報


底本:「江戸川乱歩傑作選」新潮文庫、新潮社
   1960(昭和35)年12月24日発行
   1989(平成元)年10月15日48刷改版
   2013(平成25)年6月10日99刷
初出:「大衆文芸」
   1926(大正15)年10月
※「みがき」と「磨き」、「ところ」と「所」、「もって」と「持って」、「きわめよう」と「極めよう」の混在は、底本通りです。
入力:isizuka
校正:岡村和彦
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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