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赤い部屋

著者:江戸川乱歩

あかいへや - えどがわ らんぽ

文字数:18,025 底本発行年:1931
著者リスト:
著者江戸川 乱歩
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序章-章なし

異常な興奮を求めて集った、七人のしかつめらしい男が(私もその中の一人だった)態々わざわざ其為そのためにしつらえた「赤い部屋」の、緋色ひいろ天鵞絨びろうどで張った深い肘掛椅子にもたれ込んで、今晩の話手が何事か怪異な物語を話し出すのを、今か今かと待構まちかまえていた。

七人の真中には、これも緋色の天鵞絨でおおわれた一つの大きな円卓子まるテーブルの上に、古風な彫刻のある燭台しょくだいにさされた、三挺さんちょうの太い蝋燭ろうそくがユラユラとかすかに揺れながら燃えていた。

部屋の四周には、窓や入口のドアさえ残さないで、天井から床まで、真紅まっかな重々しい垂絹たれぎぬが豊かなひだを作って懸けられていた。 ロマンチックな蝋燭の光が、その静脈から流れ出したばかりの血の様にも、ドス黒い色をした垂絹の表に、我々七人の異様に大きな影法師かげぼうしを投げていた。 そして、その影法師は、蝋燭の焔につれて、幾つかの巨大な昆虫でもあるかの様に、垂絹の襞の曲線の上を、伸びたり縮んだりしながら這い歩いていた。

いつもながらその部屋は、私を、丁度とほうもなく大きな生物の心臓の中に坐ってでもいる様な気持にした。 私にはその心臓が、大きさに相応したのろさをもって、ドキンドキンと脈うつ音さえ感じられる様に思えた。

誰も物を云わなかった。 私は蝋燭をすかして、向側に腰掛けた人達の赤黒く見える影の多い顔を、何ということなしに見つめていた。 それらの顔は、不思議にも、お能の面の様に無表情に微動さえしないかと思われた。

やがて、今晩の話手と定められた新入会員のT氏は、腰掛けたままで、じっと蝋燭の火を見つめながら、次の様に話し始めた。 私は、陰影の加減で骸骨の様に見える彼の顎が、物を云う度にガクガクと物淋しく合わさる様子を、奇怪なからくり仕掛けの生人形でも見る様な気持で眺めていた。

私は、自分では確かに正気の積りでいますし、人もまたその様に取扱ってれていますけれど、真実まったく正気なのかどうか分りません。 狂人かも知れません。 それ程でないとしても、何かの精神病者という様なものかも知れません。 かく、私という人間は、不思議な程この世の中がつまらないのです。 生きているという事が、もうもう退屈で退屈で仕様がないのです。

初めのうちは、でも、人並みに色々の道楽にふけった時代もありましたけれど、それが何一つ私の生れつきの退屈をなぐさめては呉れないで、かえって、もうこれで世の中の面白いことというものはお仕舞なのか、なあんだつまらないという失望ばかりが残るのでした。 で、段々、私は何かをやるのが臆劫おっくうになって来ました。 例えば、これこれの遊びは面白い、きっとお前を有頂天にして呉れるだろうという様な話を聞かされますと、おお、そんなものがあったのか、では早速やって見ようと乗気になる代りに、まず頭の中でその面白さを色々と想像して見るのです。 そして、さんざん想像をめぐらした結果は、いつも「なあに大したことはない」とみくびってしまうのです。

そんな風で、一時私は文字通り何もしないで、ただ飯を食ったり、起きたり、寝たりするばかりの日を暮していました。 そして、頭の中けで色々な空想を廻らしては、これもつまらない、あれも退屈だと、片端かたはしからけなしつけながら、死ぬよりも辛い、それでいて人目には此上このうえもなく安易な生活を送っていました。

これが、私がその日その日のパンに追われる様な境遇だったら、まだよかったのでしょう。 仮令たとえ強いられた労働にしろ、兎に角何かすることがあれば幸福です。 それとも又、私が飛切りの大金持ででもあったら、もっとよかったかも知れません。 私はきっと、その大金の力で、歴史上の暴君達がやった様なすばらしい贅沢ぜいたくや、血腥ちなまぐさい遊戯や、その他様々の楽しみにけることが出来たでありましょうが、勿論それもかなわぬ願いだとしますと、私はもう、あのお伽噺とぎばなしにある物臭太郎の様に、一層死んで了った方がましな程、淋しくものういその日その日を、ただじっとして暮す他はないのでした。

こんな風に申上げますと、皆さんはきっと「そうだろう、そうだろう、併し世の中の事柄に退屈し切っている点では我々だって決してお前にひけを取りはしないのだ。 だからこんなクラブを作って何とかして異常な興奮を求めようとしているのではないか。 お前もよくよく退屈なればこそ、今、我々の仲間へ入って来たのであろう。 それはもう、お前の退屈していることは、今更ら聞かなくてもよく分っているのだ」とおっしゃるに相違ありません。 ほんとうにそうです。 私は何もくどくどと退屈の説明をする必要はないのでした。 そして、あなた方が、そんな風に退屈がどんなものだかをよく知っていらっしゃると思えばこそ、私は今夜この席に列して、私の変てこな身の上話をお話しようと決心したのでした。

私はこの階下のレストランへはしょっちゅう出入でいりしていまして、自然ここにいらっしゃる御主人とも御心安く、大分以前からこの「赤い部屋」の会のことを聞知っていたばかりでなく、一再いっさいならず入会することを勧められてさえいました。 それにもかかわらず、そんな話には一も二もなく飛びつきそうな退屈屋の私が、今日まで入会しなかったのは、私が、失礼な申分かも知れませんけれど、皆さんなどとは比べものにならぬ程退屈し切っていたからです。 退屈し過ぎていたからです。

犯罪と探偵の遊戯ですか、降霊術こうれいじゅつ其他そのたの心霊上の様々の実験ですか、Obscene Picture の活動写真や実演やその他のセンジュアルな遊戯ですか、刑務所や、瘋癲病院や、解剖学教室などの参観ですか、まだそういうものに幾らかでも興味を持ちるあなた方は幸福です。 私は、皆さんが死刑執行のすき見を企てていられると聞いた時でさえ、少しも驚きはしませんでした。

序章-章なし
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赤い部屋 - 情報

赤い部屋

あかいへや

文字数 18,025文字

著者リスト:

底本 江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者

親本 江戸川乱歩全集 第七巻

青空情報


底本:「江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者」光文社文庫、光文社
   2004(平成16)年7月20日初版1刷発行
   2012(平成24)年8月15日7刷発行
底本の親本:「江戸川乱歩全集 第七巻」平凡社
   1931(昭和6)年12月
初出:「新青年」博文館
   1925(大正14)年4月
※初出時の表題は「連続短篇探偵小説(三)」です。
※「飽き飽き」と「飽きあき」、「深切」と「親切」の混在は、底本通りです。
※底本巻末の編者による語注は省略しました。
入力:門田裕志
校正:岡村和彦
2016年6月10日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:赤い部屋

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