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著者:谷崎潤一郎

まんじ - たにざき じゅんいちろう

文字数:133,254 底本発行年:1950
著者リスト:
著者谷崎 潤一郎
底本: 卍(まんじ)
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その一

先生、わたし今日はすっかり聞いてもらうつもりで伺いましたのんですけど、折角せっかくお仕事中のとこかまいませんですやろか? それはそれは詳しいに申し上げますと実に長いのんで、ほんまにわたし、せめてもう少し自由に筆動きましたら、自分でこの事何から何まで書き留めて、小説のような風にまとめて、先生に見てもらおうかおもたりしましたのんですが、……実はこないだ中ひょっと書き出して見ましたのんですが、何しろ事件があんまりこんがらがってて、どういう風に何処どこから筆着けてええやら、とてもわたしなんぞには見当つけしません。 そんでやっぱり先生にでも聞いてもらうより仕様ない思いましてお邪魔に出ましたのんですけど、でも先生わたしのために大事な時間滅茶々々めちゃめちゃにしられておしまいになって、えらい御迷惑でございますやろなあ。 ほんまによろしございますか? わたし先生にはもう毎度々々おやさしいにしていただきますもんですから、つい御親切に甘える気イになって、御厄介ごやっかいにばっかりなりまして、どないに感謝してもしきれへんくらいや思てます。 そいであのう、いつかも大へん御心配かけましたあの人のこと、あれからお話せんならんのんですが、あれはあののちに申し上げました通り、あないにいうて下さいましたのんで、自分でもしみじみ考えまして、あんなりぷっつり絶交してしまいました。 その当座は未練とでもいいますのんか、何かにつけて思い出されますもんですから、家にいてましてもまるでヒステリーのようになってましたけど、そのうちにだんだんあの人がええことない男やったいうことはっきり分って来まして、……主人も私が前は始終そわそわして音楽会や何かいうては出歩いてばっかりいましたのんに、先生の御宅おたくい寄せてもらうようになりましてから、すっかり様子変りまして、絵エ書いたり、ピアノの稽古けいこしたりして、一日家に落ち着いてますもんですから、「この頃はお前も女らしなったなあ」なんぞいいまして、かげながら先生の御好意よろこんでました。 もっともわたし、あの人の事については何も主人にいいませなんだ。 「夫に過去のあやまち隠しとくのんよろしゅうないから、――ことに肉体上の関係なかったのんなら告白しやすい訳やから、すべてを打ち明けておしまいなさい」と先生はいうて下さいましたけど、……けどどうも、……それはまあ、主人にしましてもあるいはうすうす気イついてたかも分れしませんのですが、私の口からは何やいいにくうもありましたし、この後間違いないように自分さい注意してたらええのや思いまして、何事も胸に収めてたのんです。 ですから主人は私が先生からどんなお話伺うて来ましたやら、それは知りませんでしたけど、いろいろめになることせてもろたに違いないおもて、そういう心がけになったのんはええ傾向やいうてましてん。

そんな訳で、そいからしばらくは大人おとなしいに家いこもってましたもんですから、この様子やったらまあ安心や思いましたもんか、そうそうおれも遊んではいられんからいうて、大阪の今橋いまばしビルディングに事務所借って弁護士開業しましたのんが、あれが昨年の二月頃でしたかしらん。 ――はあ、そうです。 大学の方は独法やりましたのんで、弁護士にならいつでもなれたのんです。 始めは何でもプロフェッサアになりたいようにいうてまして、ちょうど私のあの事件ありました時分には、引きつづいて大学院の研究室の方いかよてましたのんですが、弁護士やる気イになりましたのんは別にこれちゅう理由あったのんではあれしません。 そういつまでも私の実家の方に世話にばっかりなってましては義理も悪いし、私に対しても頭あがらんと思うたのんですやろ。 いったい主人は大学時代に秀才やいう評判で、たいへんにええ成績で卒業しましたもんですから、そういう人間ならばいうのんで、嫁に来たとはいうもんの、婿むこを取るのも同様にして結婚したのんです。 そいでもう私の親たちは主人を信用してまして、いくらか財産も分けてくれまして、まあまああせるには及ばんから、学者になりたかったら学者になるで、ゆっくり勉強するがええ。 洋行もしたければ夫婦で二、三年彼方あっちてくるがええなどいうてくれまして、――最初は主人も大そう喜んで、そんなつもりもあったらしいのんですけど、――私があんまりままやのんで、実家の方かさに着て威張るのんやいう風に取って、それがしゃくさわったのかも分れしません。 しかし性質が学者はだに出来てまして、いつまでたっても書生流のぶっきらぼう抜けしませんし、あいそは下手へたですし、それはそれは人づきあい悪い方ですから、弁護士なんぞになりましたところで一向仕事やかいあれしませんね。 それでも毎日事務所いだけはきちんきちん出てましたが、そうなりましたら、私の方は一日家にぼんやりしてまして、しょうないものですから、自然また、いろいろと、一旦忘れてたことが胸に浮かんで来るのんです。 前には暇ありますと歌作ったりしましたが、歌はかいって思い出の種になりますので、もうこの頃はせえしませんやろう? そんで私、こうやっててはろくな事考えへんさかい、これは何とかせんといかん、何ぞ気イまぎれるようなことはと思いまして、――先生は御存知でしょうか、――あのう、天王寺てんのうじの方に女子技芸学校がっこいうのんありますねん。 私立のまらん学校ですねんけど、絵エと、音楽と、裁縫と、刺繍ししゅうと、そいからまだ外にも何や、まあそんな風に科ア分れてまして、入学の資格なぞむずかしいことも何にものうて、大人でも子供でも自由に這入はいれます。 わたし前にも日本画稽古けいこしてまして、下手ですけど、その方にならいくらか趣味持ってますもんですから、それい毎日、朝は主人と一緒に出かけるようにしまして、ともかくもまあ、通うことにしましてんわ。 尤も毎日とはいいましても、そんな学校ですから、休みたい時は勝手に休んだりしましたけど、――

主人は絵エや文学やにはてんと趣味ない方やのんですが、私が学校い行きますことは賛成してくれまして、それは結構や、ええ思いつきやさかい精出して行くがええいうて、自分から勧めたくらいやのんでした。 毎朝出かけますのんにも、私が行きますのんは九時のこともあり、十時のこともあり、自分の都合でいろいろになることありましたけど、主人の方も事務所ひまやのんですさかい、何時になろうと大概たいがい待っててくれまして、阪神電車で梅田まで一緒に行き、そいから二人えんタクに乗って堺筋さかいすじの電車通りの今橋の角で主人おろしまして私はずっとその車で天王寺い行きます。 主人はそういう風にして一緒に出かけますこと楽しみにしてたらしいのんで、「またもう一遍いっぺん学生時代にかいったような気イするなあ」などいいますから、「夫婦づれで自動車で通う学生あったらおかしいやないか」いいましたら、あはあは笑うたりなんぞして上機嫌じょうきげんでした。 午後に帰ります時分にもなるべくさそてくれるようにいいますのんで、電話で打ち合わせしといて、事務所い寄ったり、難波なんばや阪神で待ち合わしたりして、一緒に松竹座なぞい行ったりしました。 そういうような塩梅あんばいで主人との間は大変工合ぐあいように行ってましたのんですが、あれは四月の半ば頃でしたか、わたしほんの詰まらん事で学校の校長さんと喧嘩けんかしてしまいました。 それはあのう、妙なことですが、学校でモデル使つこて、それにいろいろの服装さしたりポーズ取らしたりしまして、――日本画の方は裸体のデッサンはやりませんですけど、――それ写生する時間ありますねん。 ところがちょうどその時分に使つこてたのんが、Y子さんちゅう十九になる娘さんで、大阪では有名な美人のモデルやそうで、それに楊柳観音ようりゅうかんのんの姿さしまして、――まあ、いくらかそんな風すると裸体に近うなりますのんで、多少裸体の研究も出来るいう訳やったのんです。 私それを外の生徒たちと一緒に写生してますと、或る日校長先生が教室い這入はいって来られて、「柿内かきうちさん、あんたの絵エはちょっともモデルに似ておらんようですな、あんたは誰ぞ、外にモデルあるのんではありませんか」いわれて、何やこう、意味ありげに笑われますねん。 それが校長先生ばっかりでのうて外の生徒たちも、先生が笑われるあとからクスクス忍び笑いするのんです。 わたし思わずはっとしまして顔あこうなりましてんけど、どういう訳で赧うなったのんかその時は自分で分れしませなんだ。 今になって考えますと確かにあの時赧うになったような気イしますねんけど、あるいはそうでなかったかも分れしません。 しかし「外にモデルがある」いわれましたら、そういわれるまでは自分では意識してえしませなんだのんに、何やしらんはっと胸いこたえるもんありましてん。 でも、そんなら誰モデルにしたかちゅうことは、はっきりしてたのんではあれしません。 ただ何やしらん頭の中にY子さん以外の或る人の印象きざみついてて、Y子さんを眼の前に見ながら、知らずらずその印象の方モデルに使つこてた、――使うつもりものうて、自然と筆がその人の姿写してた、いうだけやのんです。

もう先生にはお分りになっておられますやろが、その、わたしが無意識のうちにモデルにしてた人いうのんが、――どうせ新聞にも出ましたのんですから、いうてしまいますが、――徳光光子とくみつみつこさんやのんです。 (作者註、柿内未亡人はその異常なる経験の後にも割にやつれたあとがなく、服装も態度も一年前と同様に派手できらびやかに、未亡人というよりは令嬢の如くに見える典型的な関西式の若奥様である。 彼女は決して美女ではないが、「徳光光子」の名をいう時、その顔は不思議に照り輝やいた。)けど私は、まだその時分には光子さんとお友達になってた訳ではあれしません。

その一

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卍 - 情報

まんじ

文字数 133,254文字

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底本 卍(まんじ)

青空情報


底本:「卍(まんじ)」岩波文庫、岩波書店
   1950(昭和25)年5月20日第1刷発行
   1985(昭和60)年12月16日第18刷改版発行
   1990(平成2)年4月25日第20刷発行
初出:「改造」改造社
   1928(昭和3)年3月〜1929(昭和4)年4月、6月〜10月、12月〜1930(昭和5)年1月、4月
※「懐」に対するルビの「ふところ」と「ほところ」の混在は、底本通りです。
※表題は底本の目次では「卍(まんじ)」、「中扉」では「まんじ」となっています。
入力:kompass
校正:酒井和郎
2017年6月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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