桐の花
著者:北原白秋
きりのはな - きたはら はくしゅう
文字数:42,218 底本発行年:1913
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わがこの哀れなる抒情歌集を誰にかは献げむ
はらからよわが友よ忘れえぬ人びとよ
凡てこれわかき日のいとほしき夢のきれはし
Tonka John
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桐の花とカステラ
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27.
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桐の花とカステラの時季となつた。
私は何時も桐の花が咲くと冷めたい
新様の仏蘭西芸術のなつかしさはその品の高い鋭敏な新らしいタツチの面白さにある。 一寸触つても指に付いてくる六月の棕梠の花粉のやうに、月夜の温室の薄い硝子のなかに、絶えず淡緑の細花を顫はせてゐるキンギン草のやうに、うら若い女の肌の弾力のある軟味に冷々とにじみいづる夏の日の冷めたい汗のやうに、近代人の神経は痛いほど常に顫へて居らねばならぬ。 私はそんな風に感じたいのである。
*
短歌は一箇の小さい緑の古宝玉である、古い悲哀時代のセンチメントの
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その小さい緑の古宝玉はよく香料のうつり香の新しい汗のにじんだ私の掌にも載り、ウイスキイや黄色いカステラの付いた指のさきにも触れる。 而して時と処と私の気分の相違により、ある時は桐の花の淡い匂を反射し、また草わかばの淡緑にも映り、或はあるかなきかの刺のあとから赤い血の一滴をすら点ぜられる。
私は無論この古宝玉の優しい触感を愛してゐる。
而已ならず近代の新しいそして繊細な五官の汗と静こころなき青年の濃かな気息に依て染々とした特殊の光沢を附加へたいのである。
併し私はその完成された形の放つ深い悲哀を知つてゐる。
実際完成されたものほどかなしいものはあるまい、四十過ぎた世帯くづしの仲居が時折わかい半玉のやうなデリケエトな目つきするほどさびしく見られるものはない。
わかい人のこころはもつと複雑かぎりなき未成の音楽に憧がれてゐる。
マネにゆき、ドガにゆき、ゴオガンにゆき、アンドレエエフにゆき、シユトラウス、ボオドレエル、ロオデンバツハの感覚と形式にゆく。
かの小さな