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パノラマ島綺譚

著者:江戸川乱歩

パノラマとうきだん - えどがわ らんぽ

文字数:78,535 底本発行年:1927
著者リスト:
著者江戸川 乱歩
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同じM県に住んでいる人でも、多くは気づかないでいるかも知れません。 I湾が太平洋へ出ようとする、S郡の南端に、ほかの島々から飛び離れて、丁度緑色の饅頭まんじゅうをふせた様な、直径二里足らずの小島が浮んでいるのです。 今では無人島にも等しく、附近の漁師りょうし共が時々気まぐれに上陸して見る位で、ほとんかえりみる者もありません。 ことにそれは、ある岬の突端とっぱなの荒海に孤立していて、余程よほどなぎででもなければ、小さな漁船などでは第一近づくのも危険ですし、又危険をおかしてまで近づく程の場所でもないのです。 所の人は俗におきしまと呼んでいますが、いつの頃からか、島全体が、M県随一の富豪であるT市の菰田こもだ家の所有になっていて、以前は同家に属する漁師達の内、物好きな連中が小屋を建てて住まったり、網干し場、物置きなどに使っていたこともあるのですが、数年以前それがすっかり、取払われ、にわかにその島の上に不思議な作業がはじまったのです。 何十人という人夫土工あるいは庭師などの群が、別仕立てのモーター船に乗って、日毎ひごとに島の上にあつまって来ました。 どこから持って来るのか、様々の形をした巨岩や、樹木や、鉄骨や、木材や、数知れぬセメントだるなどが、島へ島へと運ばれました。 そして、人里離れた荒海の上に、目的の知れぬ土木事業とも、庭作りともつかぬ工作が始まったのです。

沖の島の属する郡には、政府の鉄道は勿論もちろん私設の軽便けいべん鉄道や、当時は乗合自動車さえ通っていず、殊に島に面した海岸は、百戸にたぬ貧弱な漁村がチラホラ点在しているばかりで、その間々あいだあいだには人も通わぬ断崖がそそり立っていて、わば文明から切り離された、まるで辺鄙へんぴな所だものですから、その様な風変りな大作業が始っても、そのうわさは村から村へと伝わるけで、遠くに行くに従って、いつしかお伽噺とぎばなしの様なものになってしまい、仮令たとえ附近の都会などに、それが聞えても、高々たかだか地方新聞の三面をにぎわす程のことで済んで了いましたが、しこれが都近くに起った出来事だったら、どうして、大変なセンセーションを捲き起したに相違ありません。 それ程、その作業は変てこなものだったのです。

流石さすがに附近の漁師達は怪しまないではいられませんでした。 何の必要があって、どの様な目的があって、あの人も通わぬ離れ小島に、費用をおしまず、土を掘り、樹木を植え、塀を築き、家を建てるのであろう。 まさか菰田家の人達が、物好きにあの不便な小島へ住もうというわけではなかろうし、そうかと云って、あんな所へ遊園地をこしらえるというのも変なものだ。 若しかしたら、菰田家の当主は気でも狂ったのではあるまいか、などと噂し合ったことでした。 というのには、又訳のあることで、当時の菰田家のあるじというのは、癲癇てんかんの持病を持っていて、それがこうじて、少し前に一度死を伝えられ、附近の評判になった程の立派な葬式さえいとなんだのですが、それが、不思議にも生き返って、しかし生き返ってからというものは、ガラリ性質が変って、時々非常識な、狂気じみた行動があるとの噂が、その辺の漁師達にまで伝わっていて、さてこそ、今度の工作も、やっぱりそのせいではないかと、疑いをいだくことになったのです。

それはかく、人々の疑惑の内に、といって都に響く程の大評判にもならず、このえたいの知れぬ事業は、菰田家の当主の直接の指図のもとに、着々と進捗しんちょくして行きました。 つき四月とたつに従って、島全体を取囲んで、丁度万里ばんり長城ちょうじょうの様な異様な土塀が出来、内部には、池あり、河あり、丘あり、谷あり、そして、その中央に巨大な鉄筋コンクリートの不思議な建物まで出来上りました。 その光景がどの様に奇怪千万な、そして又世にも壮麗なものであったかは、ずっと後になって御話する機会があろうと思いますから、ここにははぶきますが、それが若し完全に出来上って了ったなら、どんなにすばらしいものだったでありましょう。 心ある人が見たならば、現にある、なかば荒廃した沖の島の景色から、十分それが推察出来るに相違ありません。 ところが、不幸にも、この大事業は、やっと完成するかしないに、思わぬ出来事のために、頓挫とんざきたしたのです。

それが、どういう理由わけであったかは、ほんの一部の人にしか、ハッキリは分って居りません。 なぜか、事が秘密のうちに運ばれたのです。 その事業の目的も性質も、それが頓挫を来たした理由りゆうも、一切曖昧あいまいの内に葬られて了ったのです。 ただ外部に分っていることは、事業の頓挫と相前後して菰田家の当主とその夫人とが、この世を去り、不幸にも彼等の間に子種がなかった為、今は親族のものがその跡目を相続しているということ丈けでした。 その彼等の死因についても、色々の噂がないではありませんでしたが、単に噂にとどまって、いずれもつかみ所のない、したがってそれが其筋そのすじの注意をくという程のものではなかったのです。 島はその後も、やっぱり菰田家の所有地に相違ないのですが、事業は荒廃したまま、訪ねる人もなく、放擲ほうてきされ、人工の森や林や花園は、殆ど元の姿を失って、雑草のはびこるに任せ、鉄筋コンクリートの奇怪な大円柱たちも、風雨にさらされて、いつしか原形をとどめなくなって了いました。 そこに運ばれた樹木石材とうは、非常な費用をかけたものではありましたが、さて、それを都に運んで売却するには、かえって運賃倒れになるという様な点から、荒廃はしながらも、一木一石いちぼくいっせき元の場所を換えた訳ではありません。 随って、今でも、若し諸君が旅行の不便を忍んで、M県の南端を訪れ、荒海を乗り切って沖の島に上陸なさるならば、そこに、世にも不可思議なる人工風景の跡を見出すことが出来るに相違ありません。 それは一見、非常に宏大な庭園に過ぎないのですが、ある人はそこから、何物か、途方もないある種の計画、若しくは芸術という様なものを感じないではいられぬでありましょう。 それと同時に、その人は又、その辺一体にみなぎる、怨念おんねんというか、鬼気というか、兎も角も一種の戦慄せんりつに襲われないではいられぬでありましょう。

そこには実に、殆ど信ずべからざる、一場いちじょうの物語があるのです。 その一部は菰田家に接近する人々には公然の秘密となっている所の、そしてその肝要な他の部分は、たった二三人の人物にしか知られていない所の、世にも不思議な物語があるのです。 若し諸君が、私の記述を信じて下さるならば、そして、この荒唐無稽こうとうむけいとも見える物語を最後まで聞いて下さるならば、では、これからその秘密譚というのを始めることに致しましょうか。

お話は、M県とはずっと離れた、この東京から始まるのです。 東京の山の手のある学生まちに、おきまりの殺風景な、友愛館ゆうあいかんという下宿屋があって、そこの最も殺風景な一室に、人見廣介ひとみひろすけという書生ともごろつきともつかぬ、そのくせ年輩は三十を余程過ぎていそうな、不思議な男が住んで居りました。 彼は沖の島の大土工が始まる五六年前にある私立大学を卒業し、それからずっと別に職を求めるでもなく、といってこれというたしかな収入の道があるでもなく、謂わば下宿屋泣かせ、友達泣かせの生活を続けて、最後にこの友愛館に流れつき、の大土工が始まる一年前位まで、そこで暮していたのです。

彼は自分では哲学科出身と称しているのですが、といって、哲学の講義を聞いた訳ではなく、ある時は文学に凝って、夢中になり、その方の書物をあさっているかと思うと、ある時は飛んでもない方角違いの建築科の教室などに出掛けて行って、熱心に聴講して見たり、そうかと思うと、社会学経済学などに頭を突込んで見たり、今度は油絵の道具を買込んで、絵描きの真似事まねごとをして見たり、馬鹿に気が多い癖に妙にしょうで、これといって本当に修得した科目もなく、無事に学校を卒業出来たのが不思議な位なのです。 で、若し彼が何か学んだ所があるとすれば、それは決して学問の正道ではなくて、謂わば邪道の奇妙に一方に偏したものであったに相違ありません。

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パノラマ島綺譚 - 情報

パノラマ島綺譚

パノラマとうきだん

文字数 78,535文字

著者リスト:

底本 江戸川乱歩全集 第2巻 パノラマ島綺譚

親本 創作探偵小説集第七巻

青空情報


底本:「江戸川乱歩全集 第2巻 パノラマ島綺譚」光文社文庫、光文社
   2004(平成16)年8月20日初版1刷発行
底本の親本:「創作探偵小説集第七卷」春陽堂
   1927(昭和2)年3月20日発行
初出:「新青年」博文館
   1926(大正15)年10月〜1927(昭和2)年4月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※初出時の表題は「パノラマ島奇譚」です。
※誤植を疑った箇所を、「創作探偵小説集第七卷」春陽堂、1927(昭和2)年3月20日発行の表記にそって、あらためました。
入力:砂場清隆
校正:まつもこ
2016年3月4日作成
2016年5月8日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:パノラマ島綺譚

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