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新書太閤記 01 第一分冊

著者:吉川英治

しんしょたいこうき - よしかわ えいじ

文字数:177,157 底本発行年:1990
著者リスト:
著者吉川 英治
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民衆の上にある英雄と、民衆のなかにしてゆく英雄と、いにしえの英雄たちにも、星座のように、各※(二の字点、1-2-22)の性格と軌道があった。

秀吉は、後者のひとであった。

生れおちた時から壮年期はいうまでもなく、豊太閤ほうたいこうとなってからでも、聚楽じゅらく桃山の絢爛けんらん豪塁ごうるいにかこまれても、彼のまわりには、いつも庶民のにおいがちていた。 かれは衆愚凡俗をも愛した。

かれは自分も一箇の凡俗であることをよくわきまえていたひとである。 かれほど人間に対して寛大な人間はなかった。 人間性のゆたかな英雄はと問えば、たれもみなまず指を秀吉に屈するのも、かれのそういう一面が、以後の民衆の間に、ふかく親しまれて来たからではないだろうか。

おそらく秀吉への親しみは、この後といえどかわるまい。 理由はかんたんである。 かれは典型的な日本人だったから。 そして、その同身感どうしんかんから好きになる。 わけてかれの大凡だいぼんや痴愚な点が身近に共鳴するのである。

日本人の長所も短所も、身ひとつにそなえていた人。 それが秀吉だともいえよう。 かれの長所をあげれば型のごとき秀吉礼讃が成り立つが、その方は云わずもがなである。 われわれが端的に長所をかぞえたてたりすれば、かえって彼という人間の規格は小さくなる。 かれの大きさとは、そんな程度のものではない。

わたくしのこの「新書太閤記」は、まだ秀吉の大往生までは書けていない。 彼も英雄というものの例外でなく、晩年の秀吉は悲劇の人だ。 大坂城の斜陽は“落日の荘厳”そのものだった。 私はむしろ、彼の苦難時代が好きである。 この書においても、秀吉の壮年期に多くの筆を注いだのは、そのためだった。 また、ひとり秀吉だけの行動を主とする太閤記でもありたくなかった。 すくなくも、信長出現以後、天正・慶長にまでわたる無数の※(「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1-87-61)けいせい惑星わくせいの現没にも触れてゆきたい。 特になお、家康が書けていなくては、太閤記はまったしといえないと思う。

むかしからある多くの類本、川角太閤記、真書太閤記、異本太閤記など、それから転化した以後の諸書も、すべてが主題の秀吉観を一にして、彼の性情を描くのに、特種なユーモラスと機智と功利主義とを以てするのが言い合わせたように同型である。

かつての太閤記作家もみな、秀吉の人間とは、なかなか、真正面に組みきれなかったことが分る。 わたくしはそういう逃げ方はしまいと思った。 わたくしの力不足はわかっているが、彼もまた、わたくしたちと同じ血と凡愚をもっていた一日本人であったという基本が、何よりも著者の力であった。

著者

[#改丁]

日輪にちりん月輪げつりん

日本の天文五年は、中国のみん嘉靖かせい十五年の時にあたる。

日本では、その年の正月に、尾張おわりの国熱田神領あつたしんりょうの――戸数わずか、五、六十戸しかない貧しい村の一軒で――藁屋根わらやねの下の藁のうえに奇異な赤ン坊が生れていた。

後の豊臣秀吉とよとみひでよしである。

生み落された嬰児あかごは、母が貧しい物しか喰べていなかったので、五ねんだるの梅干みたいに、赤くてしわだらけだった。

藁廂わらびさしの藁の先から、氷柱つららがさがっているような一月の寒さだったし、産褥さんじょくを囲む小屏風こびょうぶ一ツない家なので、嬰児は、へその緒を切られても、泣く力すらなかった。

――死んで生れたか。

と、みな思った。

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新書太閤記 - 情報

新書太閤記 01 第一分冊

しんしょたいこうき 01 だいいちぶんさつ

文字数 177,157文字

著者リスト:
著者吉川 英治

底本 新書太閤記(一)

青空情報


底本:「新書太閤記(一)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
   1990(平成2)年5月11日第1刷発行
   2010(平成22)年4月1日第25刷発行
初出:太閤記「読売新聞」
   1939(昭和14)年1月1日〜1945(昭和20)年8月23日
   続太閤記「中京新聞」他複数の地方紙
   1949(昭和24)年
※初出時の表題は「太閤記」「続太閤記」です。
入力:門田裕志
校正:トレンドイースト
2014年11月14日作成
2015年11月16日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:新書太閤記

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