俳句とはどんなものか
著者:高浜虚子
はいくとはどんなものか - たかはま きょし
文字数:50,668 底本発行年:1952
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この小講義は雑誌ホトトギス紙上(大正二年五月号以下)に「六ヶ月間俳句講義」として連載したものであります。 一篇の主旨が俳句とはどんなものか、ということを説明するにあるのでありますから、今一冊子にまとめるに当たって、その通りに標題を改めました。
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緒言
近頃初めて俳句を作ろうと思うのだがどういうふうに作ったらよかろうか、とか、これから俳句に指を染めてみたいと思うのだがどんなふうに学んだらよいのか、とか、その他これに類した質問を受けることが多うございます。 ことに、ずっと程度を低くした小学生に教えるくらいの程度の俳話をしてもらいたいというような注文をなさる方があります。 この俳句講義は今度それらの要求に応ぜんがために思い立ったものであります。
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第一章 総論
この事ではまだ俳句というものを少しも知らぬ人のために、概念だけを与えるのを目的としてのべます。 元来この講義は初心の人に俳句の概念を与えるのを目的とするのではありますが、この総論においてはさらにそれを小規模にして、手っとり早く、俳句というものに多少の親しみをつけるだけのことを目的とします。 それゆえ同じく初心といううちでも一、二冊俳書を読んだことがあるとか、二、三句作ってみたことがあるとかいう人にはあまりわかりきったお話になるかもしれないのであります。 それらの人は第二章から読んで下さってよいのであります。
それゆえこの一章を読んでから、今まではまったく没交渉であった俳句というものにどこやら一つの暖かみを覚えるようになったとお感じになるならば、それだけでもう十分この章の目的は達せられたことになるのであります。 いよいよ諸君が俳句を作られるための手引としては第二章以下にのべることにいたします。
さて俳句(発句)というものはどんなものでしょう。
それについて私はまず自分がまったく俳句というものを知らなかった幼い時の記憶を呼び起さなければなりません。
私の父や母は好んで三十一文字を並べておりました。
父の写本には歌の本が多うございました。
来生以前から耳に慣らされていた謡曲の中にも歌はたくさん織りこまれていました。
母が私にして聞かすお
それは一人の子供が日暮になってほかの子供を誘いに行くと、もうその戸が締まっていて開かない。
そこで「とんとんと
そんなわけで和歌は生まれ落ちてから私にとって親しいものでありましたが、発句については十三、四ごろまでただ一言の話を聞いたこともありませんでした。
初めて聞いた俳人の名は
朝顔に釣瓶取られて貰ひ水
という句でありました。 これも母から聞いたかと記憶していますが、母はこの句を優しい句だといって激賞したように覚えています。 そののち近所の友人のうちで私が歌を作ろうというと友人は発句を作ろうと主張しました。 その時友人のお母さんも発句を作るといって思案するような顔をしていられましたが、やがてこういう句を示されました。
朝顔の蕾は坊のチンチ哉
この句を聞かされた時私は馬鹿にされたような気持がして、その友人のお母さんの不真面目なのが
我ものと思へば軽し傘の雪 其角
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俳句とはどんなものか - 情報
青空情報
底本:「俳句とはどんなものか」角川文庫、角川学芸出版
2009(平成21)年11月25日初版発行
底本の親本:「俳句の作りやう」実業之日本社
1952(昭和27)年4月10日改版初版発行
初出:「ホトトギス」
1927(大正2)年5〜10月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:kompass
校正:仙酔ゑびす
2014年3月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
青空文庫:俳句とはどんなものか