ベートーヴェンの生涯 03 ハイリゲンシュタットの遺書
著者:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン Ludwig van Beethoven、ロマン・ロラン Romain Rolland
ベートーヴェンのしょうがい
文字数:3,943 底本発行年:1938
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ハイリゲンシュタットの遺書*
わが弟カルルおよび(ヨーハン**)に。 ――わが死後、この意志の遂行さるべきために。
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おお、お前たち、――私を厭わしい頑迷な、または厭人的な人間だと思い込んで他人にもそんなふうにいいふらす人々よ、お前たちが私に対するそのやり方は何と不正当なことか! お前たちにそんな思い違いをさせることの隠れたほんとうの原因をお前たちは悟らないのだ。
幼い頃からこの
たびたびこんな目に遭ったために私はほとんどまったく希望を喪った。
みずから自分の生命を絶つまでにはほんの少しのところであった。
――私を引き留めたものはただ「芸術」である。
自分が使命を自覚している仕事を仕遂げないでこの世を見捨ててはならないように想われたのだ。
そのためこのみじめな、実際みじめな生を延引して、この不安定な肉体を――ほんのちょっとした変化によっても私を最善の状態から最悪の状態へ投げ落とすことのあるこの肉体をひきずって生きて来た!――忍従!――今や私が自分の案内者として選ぶべきは忍従であると人はいう。
私はそのようにした。
――願わくば、耐えようとする私の決意が永く持ちこたえてくれればいい。
――厳しい運命の女神らが、ついに私の生命の糸を断ち切ることを喜ぶその瞬間まで。
自分の状態がよい方へ向かうにもせよ悪化するにもせよ、私の覚悟はできている。
――二十八歳で止むを得ず早くも
神(Gottheit)よ、おんみは私の心の奥を照覧されて、それを識っていられる。 この心の中には人々への愛と善行への好みとが在ることをおんみこそ識っていられる。 おお、人々よ、お前たちがやがてこれを読むときに、思え、いかばかり私に対するお前たちの行ないが不正当であったかを。 そして不幸な人間は、自分と同じ一人の不幸な者が自然のあらゆる障害にもかかわらず、価値ある芸術家と人間との列に伍せしめられるがために、全力を尽したことを知って、そこに慰めを見いだすがよい!
お前たち、弟カルルと(ヨーハン)よ、私が死んだとき、シュミット教授がなお存命ならば、ただちに、私の病状の記録作成を私の名において教授に依頼せよ、そしてその病状記録にこの手紙を添加せよ、そうすれば、私の歿後、世の人々と私とのあいだに少なくともできるかぎりの和解が生まれることであろう。 ――今また私はお前たち二人を私の少しばかりの財産(それを財産と呼んでもいいなら)の相続人として定める。
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ベートーヴェンの生涯 - 情報
青空情報
底本:「ベートーヴェンの生涯」岩波文庫、岩波書店
1938(昭和13)年11月15日第1刷発行
1965(昭和40)年4月16日第17刷改版発行
2010(平成22)年4月21日第77刷改版発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2012年4月15日作成
2012年5月16日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
青空文庫:ベートーヴェンの生涯