家を持つといふこと
著者:柳田國男
いえをもつということ - やなぎた くにお
文字数:6,667 底本発行年:1963
自然と人生と、二つは向き/\に進み、又時としては抗立相剋せんとするものゝ如く思ふ人が、此頃多くなつたやうに感じられる。 如何なる世が来ても草木は依然として美しく、うたゝ国破れて山河在りの句が口ずさまるゝのみならず、或はほゝゑんでこの世上の悩みを、視て居るのでは無いかと思ふやうな折も有る為に、人はたゞ何と無くそんな気になるのかも知らぬが、又一つには近頃やゝ久しい間、人生を自然の現象の片端と観ずる練修を、我々が怠つて居たといふことも気づかれるのである。
如何なる生活が自然のまゝ、おのづからなる在り方といふべきかについては、をかしい程さま/″\な考へ様が今まではあつて、それを一つに決するのが煩はしさに、寧ろ我々はこの問題を避けようともして居た。 しかし静かに見て来ると、自然そのものも亦成長して居る。 時と内外の力のかねあひに由つて、変るべきものは変らずには居なかつた。 強ひて其以前の状態に復らうとすることが、自然の道で無いことは是だけでもわかるのである。 境涯経歴の全く異なるものゝ中に、手本の無いことも始めから知れて居る。 何が我々のおのづからであつたかといふことは、やはり辛苦して是から捜し出すの外は無いやうである。
日本人の予言力は、今度試みられて零点がついてしまつた。 今でも人は望ましいことを望まうとするが、それが空夢でないことを信ずるには骨が折れる。 しかしさう言つても居られないわけは、問題の幾つかには、今すぐにも解決を必要とし、其一歩は次の全体を導き、一旦風を為すと再びは又改めにくからうと思ふことがある。 国の言葉を次の代の人々に、どう教へるかもその一つであり、新たなる愛国心の泉、前代生活の味はひ方はどういふ風にと、いふなども確かに又一つと思ふが、別にそれ以外にもつと痛切であつて、しかもどうにか成るだらうと、打棄てゝ置かれがちな問題がもう一つある。 二十年も前から、民俗学が手を下して居て、今なほはつきりとした結論に達し得ない、婚姻制の基礎といふのがそれであるが、是くらゐ社会の諸種の事情が絡みあつて、一見無造作にめい/\できめ得られるやうに思はれ、殊に世の中の変り目に際して、大きな結果を残すものも少ないのである。 制度と言ひながらも法令だけでは左右しにくゝ、新たに各人の自ら知るべき事実が多くて、まだそれを知らずに居るといふことは、どうしても解決を遅延させる傾きを生じやすい。 今はまだ誰もやかましく説き立てぬのを幸ひに、少しでも多く参考となるべき資料を集めて置くのがよいと思ふが、それにはこちらと縁の遠い戦勝国の前例などよりは、寧ろ身に近い自然界の古い型から、考へてかゝる方が安らかであり、それも亦斯ういふ堪へ難い季節を、静かに活きて行く一つの道かと思ふ。
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私の今住む家の岡の辺から、遥かに望まるゝ甲州相州の山々には、此頃は終日休みも無く、高い声で鶯が到る処に啼いて居る。 我々の庭へはほんの二三日、ちやうど梅の盛りに遊びに来るのが注意せられ、其前半月ばかりの笹鳴きの声を、急に春の歌に改める故に、都邑に住む者は是を鶯の生活舞台の如く解して、それから後の山間の声を流鶯などと呼んで居るが、実際は彼等の一生の事業は、山に入つてから始まるのであつた。 山を訪れる人々は誰でもよく知つて居るが、彼等の高く鳴くあたりには必ず鶯の巣がある。 小鳥の中には雌雄協力して、卵を温め餌を運ぶ者があり、或は妻が家を守つて、夫が其為に食物を捜しまはるものも有るのに、鶯その他の数種類のみは、母鳥の労苦をよそにたゞ歌つて暮すやうに、想像して居る者も無いとは言へぬが、是とても亦一つの分業であつて、そんな気楽な無責任な所業でないことは、暫らくあの声を聴いて居るとやがて感じられる。 つまりこの谷蔭は我等の住みかといふことを、全力を挙げて中外に宣明して居るのである。
鶯がその小さな領土を固守するが為に、喰ひ合ひをして居るのは私などは見たことが無い。 多分その様なことをする迄も無く、少なくとも同類のものだけは、最初から友鶯の高く啼くやうな谷に、第二の巣を営むことは嫌つて居るのであらう。 彼等の測定は必ずしも精確で無く、時々は同居を許すほどの余地もある故に、たゞ無益な神経の昂ぶりのやうに、聴きなされる場合があつたらうが、もと/\共通に隣を遠く、静かな家庭がもちたいと念ずる願ひが、自然にあの鳴声を以て、適度な間隔を保つ手段として居たことは争へないのである。
木曾でその昔自分の聴いて来た話では、駒鳥なども必ず一谷に一つがひしか棲んで居ない。 といふことは此鳥の啼く谷へは、同類は入つて来て巣を作らうとはせぬのである。 雲雀やセツカにも、隣どうしの巣といふものは見たことが無い。 彼等は風に吹かれてどこの空にでも啼くやうに見えるが、やはり巣を中心に圏を描いて飛びまはつて居る。 食物の好みや雛の数、又は成育期間の長さなどによつて、この所謂領土は広大に又入り乱れ、中には親鳥の力量次第、随分遠くから餌を運ぶものも出来て居るが、是は恐らくは歴史の変遷であつて、本来は食料の必ず在るといふ処に、子を養ふ場処を定めようとしたことは、毛虫やしん食ひ虫なども同じことだつたかと思ふ。
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大きな鳥の中でも鴨類とか、信天翁とか、群れて巣をくふものが合同の領土をもつに対して、雉子などは確かに亦割拠して居る。 春さき此鳥の高く鋭く鳴くのは、明らかに闘はんとする者の声であるが、その領土の占拠は家庭の計画にやゝ先だち、争奪の目的も亦モノガミストの鳥類よりは複雑なやうである。 自分の僅かな観測に誤りが無いとすれば、勇敢なる雄雉は冒険をする。 即ち自ら進んで他の群の中に入り、その族長を駆逐しようと試みる。 さういふ場合にも侵入者が、先づあの高い叫び声を発するのである。 二箇処の雉子の声はだん/\に接近して、大抵は蹴合ひになり、且つ一方の逃竄を以て終るらしく、勝つたものが其分野を支配し、残れる雌雉をして次々にあの粗雑な巣を営ましめるのである。
この方式は女性に選択の機会を認めず、又強力を基礎としたやうに見える故に、同じ鳥類の中でも一段と野蛮なものであり、従つて鳥類界にも文化の進歩に近いものがあつたかの如く、空想することも出来るが、さういふ時の順序や過渡期のやうなものを、実証することは甚だ容易で無い。 獣の方でも鹿やオットセイの如く、家を構へるが為に先づ闘ひ、多くの曠夫を作るのを省みないものもあるが、是とても生れて育つ子の数や適性、又は外部の障碍の排除などを考へ合せると、或は是が種の永続を期する上に、欠くことの出来ない条件であるか、もしくはその免れ難い惰性なのかも知れない。 彼等の生活の要求なり、是に基づく感情の動き方なりに、まだ少しでも知らぬ部分が残つて居る以上、たゞ人間の慣行に立脚して、たとへば郭公時鳥がよその巣に卵をくはへ込むことを、横着だ無責任だといふ類の批判は下すことが出来ないだらう。