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こども風土記

著者:柳田国男

こどもふどき - やなぎた くにお

文字数:43,896 底本発行年:1962
著者リスト:
著者柳田 国男
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小序

子どもとそのお母さんたちとに、ともどもに読めるものをという、朝日の企てに動かされたのであったが、私にはもうそういう註文ちゅうもんに合うような文章を書くことができなくなっているらしい。 「こども風土記」が新聞に連載せられている間、面白く読んでいるよと言って励ましてくれた人は多かったが、それはたいていは年をとった仲間だけであった。 近所のまたは親しい少年少女の中には、気をつけていたけれども、読んでいる者ははなはだ少なかった。

うれしかったのは友人の一人が、うちではいつのまにか朝日が切り抜いてある。 子どもが読んでから帳面にるそうだと、告げてくれたことである。 九州の或る町からは、お清書せいしょのような字を葉書に書いて、鹿しかつのの遊びを知らせて来た少女がある。 母が柳田さんにお知らせするとよいと言いましたからとあるのを見て、これだけは少なくとも予定の読者であったことがわかった。 小学生の通信は、この以外には二つ三つしか受取っていないが、それでも東京・大阪の都会へ出て働いている人で、ほんの四、五年前の子どもかと思われる人たちから、あどけない感激の手紙は幾つか来ている。 始めて親に離れ故郷に別れて、人中ひとなかの生活をする者の胸のうちには、或いはもう一度「子ども」の感じがよみがえって来るのではあるまいか。 もしそうだとすると、いて現在の子どもと母ばかりを追うてあるくにも及ぶまいかと思う。 一つの新しい経験は、横浜近くに住む或る一人の女性から、こういう意味のことを私へ言って来られた。 自分は亡夫が外国にいた留守るすの間、二児を連れて伊予いよ松山まつやまに住んでいたが、鹿々何本の遊びは毎日のように子どもが窓の外へ来て遊んだのでよく知っている。 ただそれがどういう所作しょさを伴うかは出ても見なかったので言うことができない。 当時最も熱心にこの遊戯に参与した二人の子どもに問えばすぐにわかるのだが、一人は中支にあり、一人は九州の或る職場に働いているので、今は尋ねてみる方法もないという。 すなわちここにもまた二十年前の子どもとお母様とが、再びその感慨を新たにしているのである。 母といた日の悦楽は、老いたる私にさえも蘇ってくる。 つまりはこの文章は人のために書いたのではなかった。

「こども風土記」が本の形になって世にのこるといて、改めてまた私は考えて見た。 現在の少年少女が老い尽し、彼らの孫曾孫ひまご嬉々ききとしてひざの前に遊びたわむるるを見る時代には、この一巻の文章は果してどうなっているであろうか。 人間に永遠の児童があり、不朽ふきゅうの母性があることを認めつつも、それを未出の同胞国民とともに、かたりかわすべき用意は整っていると言えるであろうか。 わずか百年を隔てた祖先の文章は、もう註釈ちゅうしゃくがなくては我々には読めない。 今日の文章はさらに一段と時代の制約を受けている。 是がいわゆる現代語訳のお世話になり、味もにおいもすり切れてしまってから、ただ義理だけに敬われるようなことのないように、時の古今にわたった国語の統一ということが、もう考えられてもよかったのではないか。 無始むしの昔から無限の末の世まで、続いて絶えない母と子との問題であるが故に、ことにその感を深くするものである。 読者をただ眼前の人のみに求めた私たちの態度にも懺悔ざんげすべきものが至って多い。 もう間に合わぬかも知れぬけれども、是を機縁として改めて文章の書きかたを学びたいと思う。

昭和十六年十二月十四日

伊豆古奈の温泉において

著者しるす

[#改丁]

鹿・鹿・角・何本

一昨年の九月、米国ミズリー大学のブリウスタアという未知の人から面白い手紙の問合せを受けた。 もしか日本にはこういう子供の遊戯はありませんかという尋ねである。 一人の子が目隠めかくしをして立っていると、その後にいる別の子が、ある簡単な文句で拍子ひょうしをとって背なかをたたきその手で何本かの指を出して、その数を目隠しの子に当てさせる。 英語では問いの文句が、

How many horns has the buck?「いかに 多くの 角を 牡鹿おじかが 持つか」

ドイツのも全くこれと同じだが、国語のちがいで一言葉ひとことば少なく、イタリアでは四言葉、スウェーデンやトルコなどは二言葉ふたことばで、やはり意味は鹿の角の数をくことになっている。 目隠しをする代りに壁にもたれ、またつんいになって、その背にまたがって、指を立てて問う例もある。 もう長いあいだかかって調べていると見えて、これ以外にスコットランド、アイルランド、米合衆国、フランス、ベルギー、オランダ、ギリシア、セルビア、ヘルツェゴビナ、エストニア、スペイン、ポルトガルにも同じ遊びのあることを確かめたといっている。

小序

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こども風土記 - 情報

こども風土記

こどもふどき

文字数 43,896文字

著者リスト:
著者柳田 国男

底本 こども風土記・母の手毬歌

親本 定本柳田國男集 第二十一巻

青空情報


底本:「こども風土記・母の手毬歌」岩波文庫、岩波書店
   1976(昭和51)年12月16日第1刷発行
   2009(平成21)年7月9日第12刷発行
底本の親本:「定本柳田國男集 第二十一巻」筑摩書房
   1962(昭和37)年12月25日刊
初出:「朝日新聞」
   1941(昭和16)年4月1日〜5月16日
   鹿遊びの分布「民間伝承六巻九号」
   1941(昭和16)年6月号
入力:Nana ohbe
校正:川山隆
2012年12月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:こども風土記

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