蜜のあわれ
著者:室生犀星
みつのあわれ - むろう さいせい
文字数:76,773 底本発行年:1965
一、あたいは殺されない
「おじさま、お早うございます。」
「あ、お早う、好いご機嫌らしいね。」
「こんなよいお天気なのに、誰だって機嫌好くしていなきゃ悪いわ、おじさまも、さばさばしたお顔でいらっしゃる。」
「こんなに朝早くやって来て、またおねだりかね。 どうも、あやしいな。」
「ううん、いや、ちがう。」
「じゃ何だ。 言ってご覧。」
「あのね、このあいだね。 あの、」
「うん。」
「このあいだね、小説の雑誌巻頭にあたいの絵をおかきになったでしょう。」
「あ、画いたよ、一
「あれね、とてもお上手だったわ、眼なんかぴちぴちしていて、とてもね。 本物にそっくりだったわ。」
「頼まれて生れてはじめて絵というものを画いて見たんだよ。 本当は絵だか何だか判らないがね。」
「あたいにも、そのうち一枚画いていただきたいわ。」
「絵は画こうとしたって
「よく似ていたわ、それでね、あれから後に、一週間程してから、雑誌社からお礼のお金が書留で着いたでしょう。」
「これも生れてはじめて画料というものを
「どれだけいただきになったの。」
「文章が一枚半ついていてね、合わせて一万円貰った。」
「おじさまはそれをわたくしにね、正直に
「金魚にお金の話をしたって、どうにもならないじゃないの。」
「だって、あれ、ほんとうは、あたいのお金じゃないこと、あたいをお画きになったんだもん、あたいにくださるとばかり、そうおもっていたわ。」
「何だか僕もそんな気がしないでも、なかったんだけど、」
「でね、おじさま、それについてね。」
「あ、」
「もうお金、だいぶ、おつかいになった?」
「半分つかったけれど、まだある。」
「何に半分、おつかいになったの。」
「千五百円の玉露を百目買ったし、
「あたいには、とうとう、何も買ってくださらなかったわね。」
「君なんかのことは、まるで、わすれていた。」
「おじさまはずるいわね。
一、あたいは殺されない
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蜜のあわれ - 情報
青空情報
底本:「蜜のあわれ・われはうたえども やぶれかぶれ」講談社文芸文庫、講談社
1993(平成5)年5月10日第1刷発行
底本の親本:「室生犀星全集 第十一巻」新潮社
1965(昭和40)年1月10日発行
初出:「新潮」
1959(昭和34)年1月〜4月
※「二、おばさま達」の初出時の表題は「おばさま」です。
※「四、いくつもある橋」の初出時の表題は「橋」です。
入力:日根敏晶
校正:江村秀之
2017年6月25日作成
2019年12月12日修正
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