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私本太平記 02 婆娑羅帖

著者:吉川英治

しほんたいへいき - よしかわ えいじ

文字数:121,207 底本発行年:1990
著者リスト:
著者吉川 英治
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乱鳥図らんちょうず

都は紅葉しかけている。

高尾も、鞍馬も。

その日、二条加茂川べりの水鳥亭すいちょうていは、月例の“文談会ぶんだんかい”の日であった。

流れにのぞむ広間の水欄すいらんには、ちらほら、参会者の顔も見えはじめ、思い思いな水鳥の群れに似た幾組かを、ここかしこに作りあっていた。

「いいなあ、秋の水音は」

「肌ごこち、なんともいえぬ。 河原は昼の虫の音だし……」

また、べつな組では。

「――今日は、何人ぐらい集まろうかの」

「いや、ほとんど洩れはあるまい」

じょうでは、久しく見えなんだ俊基朝臣としもとあそんも、今日はお顔を出されるとか」

「それよ。 何ぞの報告もあるにちがいない。 長い忍び行脚から、両三日前、ひそかに、帰邸しておられたそうだから」

かかるうちに、追々、参加者はふえていた。

――顔ぶれを見ると。

いん師賢もろかた、四条隆資たかすけ洞院とういん実世さねよ、伊達ノ三位さんみ遊雅ゆうが、平ノ成輔なりすけ、日野資朝すけとも

僧では、聖護院しょうごいん法印ほういん玄基げんき ほか数名。

また武士側は、足助あすけ次郎重成しげなり多治見たじみ国長、土岐左近頼兼ときさこんよりかねなどの十数人。

さらに、儒者とも医師ともみえぬ者も、交じっている。

要するに、この文談会の趣旨というのは。

僧俗貴賤の階級も問わず、ただ文雅に心をよせ、好学の志を持つものを以て集まる――というのであったから、この玉石混淆ぎょくせきこんこうも、ふしぎではない。

そして、自作の詩文を評し合い、また、時代の新思想とされている宋学を論究したり、時には、当代の泰斗たいとを招いて、その講義を聴く――というおそろしく、まじめな会でもある。

が、それは表面の標榜ひょうぼうにすぎなかった。 ――この中の武士にも公卿にも、およそ六波羅や、幕府方に信用されている人間は、一人も見あたらないのをみても、それはわかる。

ここの会場水鳥亭も、たれのやかたでもない。 むかしは、おごりをうたわれた大臣おとどの別荘であったというが、住みてもなく荒れていたものを、一昨年おととしごろ手入れして、以来月々の“文談会”の例席としてきたに過ぎない。

だが、会合も、回をかさねること、すでに二十たびをこえ、そのつど顔ぶれもふえ、またさかんになるに従って、会後の婆娑羅ばさらな無礼講の遊宴も、いつか常例になっていた。

無礼講は、無礼問わずである。

僧は僧衣をはずし、武者は烏帽子をかなぐり除けて肌をぬぎ、公卿も冠を床において、飲む、歌う、舞うの徹底的な快楽をつくすのだった。

これには、近くの堀川や六条あたりから、白拍子しらびょうしや遊女など二十余人も来て興をそえ、加茂川の瀬に朝月のかたむく頃まで、なおまだ、乱痴気な灯影や人影が、水亭の簾にさんざめいていることすらあった。

なにしろ、妙な会である。

時流的なばさら遊びが目的の会なのか。 学問討論が中心か。 それとも、これは偽装で、べつに意図するもののある秘密の結社なのだろうか。

ほどなく、人々の間に、

「お。 見えられた」

乱鳥図らんちょうず

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私本太平記 - 情報

私本太平記 02 婆娑羅帖

しほんたいへいき 02 ばさらじょう

文字数 121,207文字

著者リスト:
著者吉川 英治

底本 私本太平記(一)

青空情報


底本:「私本太平記(一)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
   1990(平成2)年2月11日第1刷発行
   2010(平成22)年4月1日第32刷発行
   「私本太平記(二)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
   1990(平成2)年2月11日第1刷発行
   2010(平成22)年4月1日第29刷発行
※副題は底本では、「婆娑羅帖(ばさらじょう)」となっています。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:トレンドイースト
2012年11月7日作成
2022年2月7日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:私本太平記

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