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三国志 09 図南の巻

著者:吉川英治

さんごくし - よしかわ えいじ

文字数:169,168 底本発行年:1989
著者リスト:
著者吉川 英治
底本: 三国志(七)
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日輪にちりん

呉侯の妹、玄徳の夫人は、やがて呉の都へ帰った。

孫権はすぐ妹にただした。

「周善はどうしたか」

「途中、江の上で、張飛や趙雲にはばめられ、斬殺されました」

「なぜ、そなたは、阿斗あとを抱いてこなかったのだ」

「その阿斗も、り上げられてしまったのです……それよりは、母君のご病気はどうなんです。 すぐ母君へ会わせて下さい」

「会うがよい、母公の後宮こうきゅうへ行って」

「ではまだ……ご容体は」

「至極、お達者だ」

「えっ。 お達者ですって」

「女は女同士で語れ」

いぶかる妹を、にべもなく後宮へ追い立て、孫権はすぐ政閣へ歩を移して、群臣に宣言した。

「予の妹は、玄徳の留守に、その家臣どもから追われ、今日、呉へ立ち帰った。 かくなる上は、呉と荊州とは、事実上、なんらの縁故もないことになった。 即時、大軍を起して、荊州を収め、多年の懸案を一挙に解決してしまおうと思う。 それについて、策あらば申し立てよ」

すると、議事の半ばに、江北の諜報ちょうほうがとどいて、

「曹操四十万の大軍を催し、赤壁の仇を報ぜんと、刻々、南下して参る由」と、あった。

俄然、軍議は緊張を呈した。

ところへまた、内務吏から、

「重臣の張紘ちょうこう、先頃から病中にありましたが、今朝、息をひきとるにあたり、遺言の一書を、わが君へと、したため終って果てました」

「なに、張紘が死んだ」

折も折である。 呉の建業以来の功臣。 孫権は涙しながらその遺書を見た。

張紘の遺書には縷々るるとして、生涯の君恩の大を謝してあった。 そして、自分は日頃から、呉の都府は、もっと中央に地の利を占めなければならぬと考え、諸州にわたって地理を按じていたが、秣陵まつりょう南京ナンキン附近)の山川こそ実にそれに適している。 万世の業礎ぎょうそを固められようとするなら、ぜひ遷都せんとを実現されるように。 これこそいま終りに臨んでなす最後のご恩報じの一言であると結んであった。

「忠義なものである。 この忠良な臣の遺言をなんで反古ほごにしてよいものではない」

孫権は、一方には、刻々迫る戦機を見ながら、一面直ちに、その居府を、建業(江蘇省こうそしょう・南京)へうつした。

かくてその地には、白頭城が築かれ、旧府の市民もみな移ってきた。

また、呂蒙りょもうの意見を容れて、濡須じゅしゅ安徽省あんきしょう巣湖そうこ長江ちょうこうの中間)の水流の口から一帯にかけて、つつみを築いた。 これに使役される人夫は日々数万人、呉の国力のさかんなることは、こうした土木建築にも遺憾なくあらわれた。

もちろんこれは、やがて来るべきものに対する国防の一端である。

日輪にちりん

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三国志 - 情報

三国志 09 図南の巻

さんごくし 09 となんのまき

文字数 169,168文字

著者リスト:
著者吉川 英治

底本 三国志(七)

青空情報


底本:「三国志(六)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
   1989(平成元)年5月11日第1刷発行
   2008(平成20)年2月1日第47刷発行
   「三国志(七)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
   1989(平成元)年5月11日第1刷発行
   2008(平成20)年12月1日第52刷発行
※副題は底本では、「図南(となん)の巻(まき)」となっています。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2013年7月11日作成
2014年7月26日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:三国志

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