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三国志 07 赤壁の巻

著者:吉川英治

さんごくし - よしかわ えいじ

文字数:160,720 底本発行年:1989
著者リスト:
著者吉川 英治
底本: 三国志(五)
底本2: 三国志(四)
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出廬しゅつろ

十年語り合っても理解し得ない人と人もあるし、一せきの間に百年の知己ちきとなる人と人もある。

玄徳と孔明とは、お互いに、一見旧知のごとき情を抱いた。 いわゆる意気相許したというものであろう。

孔明は、やがて云った。

「もし将軍が、おことばの如く、真に私のような者の愚論でもおとがめなく、聴いて下さると仰っしゃるなら、いささか小子しょうしにも所見がないわけでもありませんが……」

「おお。 ねがわくは、忌憚きたんなく、この際の方策を披瀝ひれきしたまえ」

と、玄徳は、えりをただす。

「漢室の衰兆すいちょうおおいがたしと見るや、姦臣かんしん輩出はいしゅつ、内外をみだし、主上はついに、洛陽を捨て、長安をのがれ給い、玉車にちりをこうむること二度、しかもわれら、草莽そうもうの微臣どもは、憂えども力及ばず、逆徒の猖獗しょうけつにまかせて現状に至る――という状態です。 ただ、ただ今も失わないのは、皎々こうこうぺんの赤心のみ。 先生、この時代に処する計策は何としますか」

孔明は、いう。

「されば。 ――董卓とうたくの変このかた、大小の豪傑は、実に数えきれぬほど、輩出しております。 わけても河北の袁紹えんしょうなどは、そのうちでも強大な最有力であったでしょう。 ――ところが、彼よりもはるかに実力もなければ年歯も若い曹操そうそうに倒されました」

「弱者がかえって強者を仆す。 これは、天の時でしょうか。 地の利にありましょうか」

「人の力――思想、経営、作戦、人望、あらゆる人の力によるところも多大です。 その曹操は、いまや中原ちゅうげんに臨んで、天子をさしはさみ、諸侯に令して、軍、政二つながらまったきを得、勢い旭日のごときものがあり、これとほこを争うことは、けだし容易ではありません。 ――いや。 もう今日となっては、彼と争うことはできないといっても過言ではありますまい」

「……ああ。 時はすでに、去ったでしょうか」

「いや。 なおここで、江南から江東地方をみる要があります。 ここは孫権そんけんの地で、呉主すでに三世をけみしており、国は嶮岨けんそで、海山の産に富み、人民は悦服えっぷくして、賢能の臣下多く、地盤まったく定まっております。 ――故に、呉の力は、それを外交的に自己の力とすることは不可能ではないにしても、これを敗ってることはできません」

「むむ。 いかにも」

「――こうみてまいると、いまや天下は、曹操と孫権とに二分されて、南北いずれへも驥足きそくを伸ばすことができないように考えられますが……しかしです……唯ここにまだ両者の勢力のいずれにも属していない所があります。 それがこの荊州けいしゅうです。 また、益州えきしゅうです」

「おお」

「荊州の地たるや、まことに、武を養い、文を興すに足ります。 四道、交通の要衝にあたり、南方とは、貿易を営むの利もあり、北方からも、よく資源を求め得るし、いわゆる天府の地ともいいましょうか。 ――加うるに、今、あなたにとって、またとなき僥倖ぎょうこうを天が授けているといえる理由は――この荊州の国主劉表りゅうひょう優柔不断ゆうじゅうふだんで、すでに老病の人たる上に、その子※(「王+奇」、第3水準1-88-6)りゅうき※(「王+宗」、第3水準1-88-11)りゅうそうも、凡庸ぼんよう頼むに足りないものばかりです。

出廬しゅつろ

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三国志 - 情報

三国志 07 赤壁の巻

さんごくし 07 せきへきのまき

文字数 160,720文字

著者リスト:
著者吉川 英治

底本 三国志(五)

青空情報


底本:「三国志(四)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
   1989(平成元)年4月11日第1刷発行
   2008(平成20)年12月1日第54刷発行
   「三国志(五)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
   1989(平成元)年4月11日第1刷発行
   2010(平成22)年5月6日第56刷発行
※「輌」と「輛」の混在は底本通りです。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2013年7月11日作成
2015年7月24日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:三国志

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