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三国志 06 孔明の巻

著者:吉川英治

さんごくし - よしかわ えいじ

文字数:157,782 底本発行年:1989
著者リスト:
著者吉川 英治
底本: 三国志(四)
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関羽千里行かんうせんりこう

時刻ごとに見廻りにくる巡邏じゅんらの一隊であろう。

明け方、まだ白い残月がある頃、いつものように府城、官衙かんがの辻々をめぐって、やがて大きな溝渠こうきょに沿い、内院の前までかかってくると、ふいに巡邏のひとりが大声でいった。

「ひどく早いなあ。 もう内院の門が開いとるが」

すると、ほかの一名がまた、

「はて。 今朝はまた、いやにくまなく箒目ほうきめ立てて、きれいに掃ききよめてあるじゃないか」

「いぶかしいぞ」

「なにが」

「奥の中門も開いている。 番小屋には誰もいない。 どこにもまるで人気ひとけがない」

つかつか門内へ入っていったのが、手を振って呶鳴った。

「これやあ変だ! まるで空家だよ!」

それから騒ぎだして、巡邏たちは奥まった苑内まで立ち入ってみた。

するとそこに、十人の美人がおしのように立っていた。

「どうしたのだ? ここの二夫人や召使いたちは」

巡邏がたずねると、美姫のひとりが、黙って北のほうを指さした。

この十美人は、いつか曹操そうそうから関羽へ贈り、関羽はそれをすぐ二夫人の側仕そばづかえに献上してしまい、以来、そのまま内院に召使われていた者たちであった。

関羽は曹操から贈られた珍貴財宝は、一物も手に触れなかったが、この十美人もまたほかの金銀緞匹だんひつと同視して、置き残して去ったものである。

――その朝、曹操は、虫が知らせたか、常より早目に起きて、諸将を閣へ招き、何事か凝議していた。

そこへ、巡邏からの注進が聞えたのである。

「――寿亭侯の印をはじめ、金銀緞匹の類、すべてを庫内に封じて留めおき、内室には十美人をのこし、その余の召使い二十余人、すべて関羽と共に、二夫人を車へのせて、夜明け前に、北門より立退いた由でございます」

こう聞いて、満座、早朝から興をさました。 猿臂将軍えんぴしょうぐん蔡陽さいようはいった。

「追手の役、それがしが承らん。 関羽とて、何ほどのことやあろう。 兵三千を賜らば、即刻、召捕えて参りまする」

曹操は、侍臣のさし出した関羽の遺書をひらいて、黙然と読んでいたが、

「いや待て。 ――われにこそ無情つれないが、やはり関羽は真の大丈夫である。 来ること明白、去ることも明白。 まことに天下の義士らしい進退だ。 ――其方どもも、良い手本にせよ」

蔡陽さいようは、赤面して、列後に沈黙した。

すると※(「日/立」、第3水準1-85-21)ていいくは、彼に代って、

「関羽には三つの罪があります。 丞相じょうしょうのご寛大は、却って味方の諸将に不平をいだかせましょう」

関羽千里行かんうせんりこう

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三国志 - 情報

三国志 06 孔明の巻

さんごくし 06 こうめいのまき

文字数 157,782文字

著者リスト:
著者吉川 英治

底本 三国志(四)

青空情報


底本:「三国志(四)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
   1989(平成元)年4月11日第1刷発行
   2008(平成20)年12月1日第54刷発行
※副題には底本では、「孔明(こうめい)の巻(まき)」とルビがついています
※「審配(しんぱい)」と「審配(しんはい)」の混在は底本通りです。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2013年7月11日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:三国志

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