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三国志 04 草莽の巻

著者:吉川英治

さんごくし - よしかわ えいじ

文字数:147,428 底本発行年:1989
著者リスト:
著者吉川 英治
底本: 三国志(三)
底本2: 三国志(二)
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巫女みこ

「なに、無条件で和睦わぼくせよと。 ばかをいい給え」

※(「さんずい+巳」、第3水準1-86-50)かくしは、耳もかさない。

それのみか、不意に、兵に令を下して、楊彪ようひょうについて来た大臣以下宮人など、六十余人の者を一からげに縛ってしまった。

「これは乱暴だ。 和議の媒介なかだちに参った朝臣方を、なにゆえあって捕え給うか」

楊彪が声を荒くしてとがめると、

「だまれっ。 李司馬りしばのほうでは、天子をさえ捕えてしちとしているではないか。 それをもって、彼は強味としているゆえ、此方もまた、群臣を質として召捕っておくのだ」

傲然ごうぜん、郭※(「さんずい+巳」、第3水準1-86-50)は云い放った。

「おお、なんたることぞ! 国府の二柱たる両将軍が、一方は天子をおびやかして質となし、一方は群臣を質としてうそぶく。 浅ましや、人間の世もこうなるものか」

「おのれ、まだ囈言たわごとをほざくかっ」

剣を抜いて、あわや楊彪を斬り捨てようとしたとき、中郎将楊密ようみつが、あわてて郭※(「さんずい+巳」、第3水準1-86-50)の手を抑えた。 楊密のいさめで、郭※(「さんずい+巳」、第3水準1-86-50)は剣を納めたけれども縛りあげた群臣はゆるさなかった。 ただ楊彪と朱雋しゅしゅんの二人だけ、ほうりだされるように陣外へ追い返された。

朱雋は、もはや老年だけに、きょうの使いには、ひどく精神的な打撃をうけた。

「ああ。 ……ああ……」

と、何度も空を仰いで、力なく歩いていたが、楊彪をかえりみて、

「お互いに、社稷しゃしょくの臣として、君を扶け奉ることもできず、世を救うこともできず、なんの生き甲斐がある」と歎いた。

果ては、楊彪と抱きあって、路傍に泣きたおれ、朱雋は一時昏絶こんぜつするほど悲しんだ。

そのせいか、老人は、家に帰るとまもなく、血を吐いて死んでしまった。 楊彪が知らせを受けて馳けつけてみると、朱雋老人の額は砕けていた。 柱へ自分の頭をぶっつけて憤死したのである。

朱雋でなくとも、世の有様を眺めては、憤死したいものはたくさんあったろう。 ――それから五十余日というもの、明けても暮れても、※(「にんべん+確のつくり」、第4水準2-1-76)りかく、郭※(「さんずい+巳」、第3水準1-86-50)の両軍は、毎日、巷へ兵を出して戦っていた。

戦いが仕事のように。 戦いが生活のように。 戦いが楽しみのように。 意味なく、大義なく、涙なく、彼らは戦っていた。

双方の死骸は、街路に横たわり、溝をのぞけば溝も腐臭ふしゅう 木陰にはいれば木陰にも腐臭。 ――そこに淋しき草の花は咲き、あぶがうなり、馬蠅うまばえが飛んでいた。

馬蠅の世界も、彼らの世界も、なんの変りもなかった。 ――むしろ馬蠅の世界には、緑陰りょくいんの涼風があり、豆の花が咲いていた。

「死にたい。

巫女みこ

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三国志 - 情報

三国志 04 草莽の巻

さんごくし 04 そうもうのまき

文字数 147,428文字

著者リスト:
著者吉川 英治

底本 三国志(三)

青空情報


底本:「三国志(二)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
   1989(平成元)年4月11日第1刷発行
   2008(平成20)年12月22日第53刷発行
   「三国志(三)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
   1989(平成元)年4月11日第1刷発行
   2008(平成20)年9月16日第50刷発行
※副題には底本では、「草莽(そうもう)の巻(まき)」とルビがついています。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2013年7月11日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:三国志

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