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三国志 02 桃園の巻

著者:吉川英治

さんごくし - よしかわ えいじ

文字数:151,910 底本発行年:1989
著者リスト:
著者吉川 英治
底本: 三国志(一)
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黄巾賊こうきんぞく

後漢ごかん建寧けんねい元年のころ。

今から約千七百八十年ほど前のことである。

一人の旅人があった。

腰に、一剣をいているほか、身なりはいたって見すぼらしいが、まゆひいで、くちあかく、とりわけ聡明そうめいそうなひとみや、ゆたかな頬をしていて、つねにどこかに微笑をふくみ、総じていやしげな容子ようすがなかった。

年の頃は二十四、五。

草むらの中に、ぽつねんと坐って、膝をかかえこんでいた。

悠久ゆうきゅうと水は行く――

微風はさわやかにびんをなでる。

涼秋の八月だ。

そしてそこは、黄河のほとりの――黄土層の低いぎしであった。

「おーい」

誰か河でよんだ。

「――そこの若い者ウ。 なにを見ているんだい。 いくら待っていても、そこは渡し舟の着く所じゃないぞ」

小さな漁船から漁夫りょうしがいうのだった。

青年はくぼを送って、

「ありがとう」と、少し頭を下げた。

漁船は、下流へ流れ去った。 けれど青年は、同じ所に、同じ姿をしていた。 膝をかかえて坐ったまま遠心的な眼をうごかさなかった。

「おい、おい、旅の者」

こんどは、後ろを通った人間が呼びかけた。 近村の百姓であろう。 ひとりは鶏の足をつかんでさげ、ひとりは農具をかついでいた。

「――そんな所で、今朝からなにを待っているんだね。 このごろは、黄巾賊こうきんぞくとかいう悪徒が立ち廻るからな。 役人衆にあやしまれるぞよ」

青年は、振りかえって、

「はい、どうも」

おとなしい会釈えしゃくをかえした。

けれどなお、腰を上げようとはしなかった。

そして、幾千万年も、こうして流れているのかと思われる黄河の水を、かずに眺めていた。

(――どうしてこの河の水は、こんなに黄色いのか?)

みぎわの水を、仔細に見ると、それは水その物が黄色いのではなく、砥石といしを粉にくだいたような黄色いすな微粒びりゅうが、水にじっていちめんにおどっているため、にごって見えるのであった。

「ああ……、この土も」

青年は、大地の土を、一つかみすくった。 そして眼を――はるか西北の空へじっと放った。

黄巾賊こうきんぞく

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三国志 - 情報

三国志 02 桃園の巻

さんごくし 02 とうえんのまき

文字数 151,910文字

著者リスト:
著者吉川 英治

底本 三国志(一)

青空情報


底本:「三国志(一)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
   1989(平成元)年4月11日第1刷発行
   2009(平成21)年2月2日第62刷発行
※副題には底本では、「桃園(とうえん)の巻(まき)」とルビがついています。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2013年7月11日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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