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鳴門秘帖 01 上方の巻

著者:吉川英治

なるとひちょう - よしかわ えいじ

文字数:121,629 底本発行年:1989
著者リスト:
著者吉川 英治
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夜魔よま昼魔ひるま

安治川尻あじがわじりに浪が立つのか、寝しずまった町の上を、しきりに夜鳥よどりが越えて行く。

びッくりさせる、不粋ぶすいなやつ、ギャーッという五さぎの声も時々、――妙に陰気いんきで、うすら寒い空梅雨からつゆの晩なのである。

起きているのはここ一軒。 青いものがこんもりした町角まちかどで、横一窓の油障子あぶらしょうじに、ボウと黄色い明りがれていて、サヤサヤと縞目しまめいている柳の糸。 軒には、「堀川会所ほりかわかいしょ」とした三尺札が下がっていた。

と、中から、その戸を開けて踏み出しながら――

つじ斬りが多い、気をつけろよ」

見廻り四、五人と町役人、西奉行所にしぶぎょうしょ提灯ちょうちんを先にして、ヒタヒタと向うの辻へ消えてしまった。

あとは時折、切れの悪い咳払せきばらいが中からするほか、いよいよ世間しんとしきった時分。

「今晩は」

会所の前にたたずんだ二人の影がある。 どっちも、露除つゆよけの笠に素草鞋すわらじ合羽かっぱすそから一本落しのこじりをのぞかせ、及び腰で戸をコツコツとやりながら、

「ええ、ちょっとものを伺いますが……」

「誰だい」と、すぐ内から返辞があった。

「ありがてえ、起きていますぜ」

後ろの連れへささやいて、ガラリと仕切りを開ける。 中は、土間二つぼに床が三畳、町印の提灯箱やら、六尺棒、帳簿、世帯道具の類まであって、一人のおやじが寂然じゃくねんと構えている。

「何だえ、今ごろに」

すず酒瓶ちろりを机にのせて、寝酒をめていた会所守かいしょもり久六きゅうろくは、入ってきたのをジロリと眺めて、

「旅の人だね」

「へい、実はよど仕舞船しまいぶねで、木村づつみへ着いたは四刻よつ頃でしたが、忘れ物をしたために、問屋で思わぬ暇をつぶしましたんで」

「ははあ、そこで何かい、どこの旅籠はたごでも泊めてくれないという苦情だろう」

自身番じしんばん証札あかしふだを見せろとか、四刻客よつきゃくはお断りですとか、今日、大阪入りのしょッぱなから、木戸を突かれ通しじゃございませんか」

「当り前だ、町掟まちおきても心得なしに」

叱言こごとを伺いに来た訳じゃござんせん。 恐れいりますが、その宿札やどふだと、事のついでに、お心当りの旅籠を一つ……」

「いいとも、宿をさしても上げるが……」と久六、少し役目の形になって、二人の風態ふうていを見直した。

「一応聞きますが、お住居は?」

「江戸浅草の今戸いまどで、こちらは親分の唐草銀五郎からくさぎんごろう、わっしは待乳まつち多市たいちという乾分こぶんで」

「ああ、博奕ばくち打ちだな」

「どう致しまして、立派な渡世看板とせいかんばんがあります。 大名屋敷で使う唐草瓦からくさがわら窯元かまもとで、自然、部屋の者も多いところから、半分はまアそのほうにゃ違いありませんが」

「何をいってるんだ」わきから、銀五郎が押し退けて、多市に代った。

「しゃべらせておくと、きりのねえ奴で恐れ入ります。 殊には夜中やちゅう、とんだお手数てかずを」

「イヤ、どう致して」見ると、若いが地味づくりの男、落ちつきもあるし人品じんぴんも立派だ。

「そこで、も一ツ、行く先だけを伺いましょう」

久六も、グッと丁寧に改まる。

あては四国、阿波あわ御領ごりょうへ渡ります」

夜魔よま昼魔ひるま

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鳴門秘帖 - 情報

鳴門秘帖 01 上方の巻

なるとひちょう 01 かみがたのまき

文字数 121,629文字

著者リスト:
著者吉川 英治

底本 鳴門秘帖(一)

青空情報


底本:「鳴門秘帖(一)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
   1989(平成元)年9月11日第1刷発行
   2004(平成16)年1月9日第20刷発行
※副題は底本では、「上方(かみがた)の巻」となっています。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:トレンドイースト
2013年1月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:鳴門秘帖

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