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宮本武蔵 08 円明の巻

著者:吉川英治

みやもとむさし - よしかわ えいじ

文字数:190,792 底本発行年:1990
著者リスト:
著者吉川 英治
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春告鳥はるつげどり

ここは、うぐいすの名所。

柳生やぎゅうの城のある柳生谷――

武者溜りの白壁に、二月の陽がほかりとして、槍梅やりうめの影が一枝、静かな画になっている。

南枝なんし梅花うめは誘っても、片言かたこと初音はつねの声は、まだ稀にしか聞かれないが、野路や山路の雪が解けると共に、めっきりえ出してくるのが、今、天下にあまねき武者修行と称する客で、

――頼もう。 頼もう。

の訪れだの、

――大祖石舟斎せきしゅうさい先生に一手。

だの。 また、

――てまえこそは何のなにがしが流れ汲む、何の誰それ。

だのといって、例の石垣坂の閉まっている門を無益に叩く者が、まことくびすを接して来るのである。

「どなたの御添書ごてんしょでお越しになろうと、宗祖は老年ゆえ、一切、お目にかかりませぬ」

と、ここの番士は、十年一日のごとく同じ言葉で、そういう客を謝辞している。

中には、

「芸道には、貴賤の差も、名人と初心の差も、道においては、ないはずでござろうに」

などと小理窟こねて、憤々として帰る武芸者もあるが、何ぞ知らん、石舟斎はすでに去年、世に亡き人になっていた。

江戸表にある長子の但馬守宗矩むねのりが、この四月中旬にならなければ公儀からいとまをとって帰国できない事情にあるため――まだを発せずに秘めてあるのだった。

心なしか、そう思って、吉野朝以前からというここの古い砦型とりでがたの城を仰ぐと、四山の春は迫って来ているにかかわらず、どことなくしいんとして冷寂な感がある。

「お通さま」

奥の丸の中庭に立って、ひとりの小僧が、今、彼方此方あちこちの棟を見まわしていた。

「――お通さま。 どこにおででございますな」

すると、一つの屋の障子があいた。 室の中にめられていた香の煙が、彼女と共に外へ流れた。 百日のを過ぎてもなお、陽に会わないでいるせいか、梨の花のように白いうれいを顔にたたえている。

「持仏堂でございます」

「お。 またそれへ」

「御用ですか」

兵庫ひょうごさまが、ちょっと、来て欲しいと申されまする」

「はい」

縁づたいに、また、橋廊下を越えたりして、そこから遠い兵庫の部屋へ訪ねてゆく。 ――兵庫は縁に腰かけていたが、

「オオ。 お通どの、来てくれたか、わしの代りになって、ちょっと挨拶に出てもらいたいが」

「どなたか……お客間に?」

先刻さっきから通って、木村助九郎が挨拶に出ておるが、あの長談義には閉口なのだ。

春告鳥はるつげどり

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宮本武蔵 - 情報

宮本武蔵 08 円明の巻

みやもとむさし 08 えんみょうのまき

文字数 190,792文字

著者リスト:
著者吉川 英治

底本 宮本武蔵(七)

青空情報


底本:「宮本武蔵(七)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
   1990(平成2)年1月11日第1刷発行
   2002(平成14)年12月5日第37刷発行
   「宮本武蔵(八)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
   1990(平成2)年1月11日第1刷発行
   2003(平成15)年1月30日第37刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※副題は底本では、「円明(えんみょう)の巻」となっています。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2012年12月18日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:宮本武蔵

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