• URLをコピーしました!

宮本武蔵 05 風の巻

著者:吉川英治

みやもとむさし - よしかわ えいじ

文字数:277,154 底本発行年:1989
著者リスト:
著者吉川 英治
0
0
0


枯野見かれのみ

丹波街道の長坂口ながさかぐちは、指さして彼方かなたに望むことができる。 並木越しに、白い電光いなずまかのように眼を射るのは、その丹波境の標高で、また、京都の西北の郊外を囲っている山々のひだをなしている残雪だった。

「火をけろ」

と誰かいう。

春先なのだ。 まだ正月の九日という日である。 衣笠きぬがさのふきおろしは、小禽ことりの肌には寒すぎた。 チチチチチ野に啼く声もおさなく聞えて耳に寒い。 人々は、さやの中の刀から腰の冷えて来る心地がした。

「よく燃えるな」

「火が飛ぶぞ、気をつけぬと、野火になる」

「案じ給うな。 いくら燃え拡がっても、京都中は焼けッこない」

枯れ野の一端にけた火は、音を立てて、四十人以上もいる人々の顔をこがした。 焔は、朝の太陽へ、背を伸ばして、届きそうにまでなった。

「あつい、あつい」

と今度はつぶやく。

「もうよせ」

草を投げる者へ向って、植田良平が、煙たい顔して叱った。

そんなことをしている間に半刻はんときは経っていた。

「もうやがて、こく過ぎじゃないかな」

誰かいい出して、

「さよう?」

期せずしてみなの眉が、陽を仰いでみる。

「卯の下刻。 ――もはやその時刻だが」

「どうしたろう、若先生は」

「もう来る」

「そうさ、来る頃だ」

なにか緊迫してくるものを※(二の字点、1-2-22)めいめいが顔にたたえ出した。 自然とそれが人々を無口にさせた。 誰の眼も一様に、そこから街端まちはずれの街道を眺めて、生唾なまつばを溜めて待ちしびれている様子に見える。

「どうなされたのだろう?」

のろまな声をして、どこかで牛が長く啼いた。 ここは元、禁裏のお牛場うしばで、乳牛院にゅうぎゅういんの跡とも呼ばれていた。 今でも、野放しの牛がいるとみえ、陽が高くなると、枯れ草とふんのにおいが蒸れて来るのである。

「――もう武蔵むさしは、蓮台寺野れんだいじののほうへ来ていやしないか」

「来てるかもしれん」

枯野見かれのみ

━ おわり ━  小説TOPに戻る
0
0
0
読み込み中...
ブックマーク系
サイトメニュー
シェア・ブックマーク
シェア

宮本武蔵 - 情報

宮本武蔵 05 風の巻

みやもとむさし 05 かぜのまき

文字数 277,154文字

著者リスト:
著者吉川 英治

底本 宮本武蔵(五)

青空情報


底本:「宮本武蔵(三)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
   1989(平成元)年11月11日第1刷発行
   2010(平成22)年1月5日第44刷発行
   「宮本武蔵(四)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
   1989(平成元)年12月11日第1刷発行
   2003(平成15)年1月30日第39刷発行
   「宮本武蔵(五)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
   1989(平成元)年12月11日第1刷発行
   2002(平成14)年10月8日第36刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2012年12月18日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:宮本武蔵

小説内ジャンプ
コントロール
設定
しおり
おすすめ書式
ページ送り
改行
文字サイズ

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!