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宮本武蔵 03 水の巻

著者:吉川英治

みやもとむさし - よしかわ えいじ

文字数:134,812 底本発行年:1989
著者リスト:
著者吉川 英治
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吉岡染よしおかぞめ

明日あしたは知れないきょうの生命いのち

また、信長もうたった――

人間五十年、化転けてんのうちをくらぶれば、夢まぼろしの如くなり

そういう観念は、ものを考える階級にも、ものを考えない階級にもあった。 ――いくさんで、京や大坂の街の灯が、室町将軍の世盛りのころのようにうるわしくなっても、

(いつまたこの灯が消えることか?)

と、人々の頭の底には、永い戦乱にみこんだ人生観が、容易にけきれないのであった。

慶長十年。

もう関ヶ原の役も五年前の思い出ばなしに過ぎない。

家康は将軍職を退き、この春の三月には二代将軍を継承した秀忠ひでただが、御礼おんれいのため上洛するのであろうと、洛内らくないは景気立っている。

だが、その戦後景気をほんとの泰平とは誰も信じないのである。 江戸城に二代将軍がすわっても、大坂城にはまだ、豊臣秀頼とよとみひでよりが健在だった。 ――健在であるばかりでなく、諸侯はまだそこへも伺候しているし、天下の浪人をれるに足る城壁と金力と、そして秀吉の植えた徳望とを持っている。

「いずれ、また、いくささ」

「時の問題だ」

「戦から、戦までの間の灯だぞ、この街の明りだぞ、人間五十年どころか、あしたが闇」

「飲まねば損か、何をくよくよ」

「そうだ、唄って暮せ――」

ここにも、そういう考えのもとに、今の世間に生きている連中の一組があった。

西洞院にしのとういん四条の辻からぞろぞろ出て来た侍たちである。 その横には、白壁でいた長い塀と宏壮な腕木門うでぎもんがあった。

室町家兵法所出仕しゅっし

平安    吉岡拳法けんぽう

と書いた門札もんさつが、もう眼をよせてよく見なければ読めないほど黒くなって、しかしいかめしさを失わずにかかっている。

ちょうど、街に灯がつくころになると、この門から、あふれるように若い侍が帰ってゆく。 一日も、休みということはないようだ、木太刀をぜて、三本の刀を腰に横たえているのもあるし、本身ほんみの槍をかついで出て来る者もある。 いくさとなったら、こういう連中が誰より先に血を見るのだろうと思われるような武辺者ぶへんしゃばかりだった。 颱風の卵のように、どれを見ても、物騒なつらだましいをそなえているのである。

それが、八、九人、

「若先生、若先生」

と、取巻いて、

「ゆうべの家は、ごめんこうむりたいものだ。 なあ、諸公」

「いかんわい。 あのうちおんなどもは若先生ひとりにびて、俺たちは眼の隅にもおいてない」

「きょうは、若先生の何者であるかも、俺たちの顔も、まったく知らない家へ行こうじゃないか」

そのことそのこと――とばかり動揺どよめくのだった。 加茂川かもがわに沿って、灯の多い街だった。

吉岡染よしおかぞめ

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宮本武蔵 - 情報

宮本武蔵 03 水の巻

みやもとむさし 03 みずのまき

文字数 134,812文字

著者リスト:
著者吉川 英治

底本 宮本武蔵(一)

青空情報


底本:「宮本武蔵(一)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
   1989(平成元)年11月11日第1刷発行
   2010(平成22)年5月6日第41刷発行
   「宮本武蔵(二)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
   1989(平成元)年11月11日第1刷発行
   2003(平成15)年1月30日第40刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2012年12月18日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:宮本武蔵

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