ああ東京は食い倒れ
著者:古川緑波
ああとうきょうはくいだおれ - ふるかわ ろっぱ
文字数:2,225 底本発行年:1995
戦争に負けてから、もう十年になる。 戦前と戦後を比較してみると、世相色々と変化の跡があるが、食いものについて考えてみても、随分変った。
ちょいと気がつかないようなことで、よく見ると変っているのが、色々ある。
先ず、戦後はじめて、東京に出来た店に、ギョーザ屋がある。
以下、話は、東京中心であるから、そのつもりで、きいていただきたい。
ギョーザ屋とは、餃子(正しくは、鍋貼餃子)を食わせる店。
むろん、これも支那料理(敗戦後、中華料理と言わなくちゃいけないと言われて来たが、もういいんだろうな、支那料理って言っても)の一種だから、戦前にだって、神戸の本場支那料理屋でも食わせていたし、又、赤坂の、もみぢでは、
僕の知っている範囲では、渋谷の有楽という、バラック建の小さな店が、一番早い。 餃子の他に豚の爪だの、ニンニク沢山の煮物などが出て、支那の酒を出す。
此の有楽につづいて、同じ渋谷に、ミンミン(字を忘れた)という店が出来、新宿辺にも、同じような店が続々と出来た。
新宿では、石の家という店へ行ったことがある。 餃子の他に、炒麺や、野菜の油炒め、その他何でも、油っ濃く炒めたものが出る。 客の方でも、ニンニクや、油っ濃いのが好きらしく、
「うんと、ギドギドなのを呉れ」
と註文している。
ギドギドとは、如何にも、油っ濃い感じが出る言葉ではないか。
これらの餃子屋は、皆、安直で、ギドギドなのを食わせるので、
もともと、支那料理だから、東京にも昔からあったものであるが、これは、高級支那料理とは違うし、又、所謂ラーメン看板の支那そば屋とも違って、餃子を売りものの、デモクラティックな店なのである。
餃子屋につづくものは、お好み焼。
これとても、戦前からあったものに違いないが、その数は、戦前の何倍に及んでいるか。
お好み焼屋のメニュウは、まことに子供っぽく、幼稚だ。 そして、お好み焼そのものも、いい大人の食うものとは思えない。 が、これが結構流行るのは、お値段の安直なことによる。
そうは言っても、お好み焼にも、ピンからキリまであって、同じ鉄板を用いても、海老や肉を主とした、高級なのもある。 むろん、そうなると、安くはない。
お好み焼は、何と言っても、材料の、メリケン粉のいいところが、美味いし、腹にも、もたれないから、粉のいいところを選ぶべきである。
それと、今度は、アメリカ式料理の多くなったことだ。
衛生第一、然し味は、まことに貧弱な、アメリカ式の料理(料理という名も附けたくない)が、到る所で幅を利かしている。 ハンバーガーと称する、ハンバーグ・サンドウイッチや、チーズバーガーなんていうものが、スナック・バアでは、どんどん売れている。
ハウザー式という健康食も、味は、全く何うでもいいらしい。 ミキサーが、やたらに方々で、音を立てているが、これとても、果物の味は、ミキサーの廻転と共に、ふっ飛んでしまっている。
その他、カン詰の国アメリカの、そのカン詰料理の、はかない味は、常に、僕をして、薄い味噌汁を味わうような、情なさを感ぜしめる。 そのくせ、尾張町の近くにあった、不二アイスのような、純アメリカ式ランチ屋は無くなってしまった。 不二アイスの、スチュウド・コーンや、パムプキン・パイは、今でも時々は食いたいと思うことがある。
不二アイスばかりじゃなく、アスターだの、オリムピックのような、ランチ屋も、今は無くなった。