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ある神主の話

著者:田中貢太郎

あるかんぬしのはなし - たなか こうたろう

文字数:5,079 底本発行年:1934
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著者田中 貢太郎
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序章-章なし

漁師の勘作かんさくはその日もすこしも漁がないので、好きな酒も飲まずに麦粥むぎかゆすすって夕飯ゆうめしをすますと、地炉いろりの前にぽつねんと坐って煙草をんでいた。

「あんなにおったこい何故なぜれないかなあ、あの山の陰には一ぴきや二疋いないことはなかったが、一体どうしたんだろう」

その夜は生暖な晩であった。 地炉にほだの火が狭い荒屋あばらやの中を照らしていた。

「二尺位ある二疋の鯉……二尺位の鯉が二疋欲しいものだなあ」

勘作は村の豪家ごうかから二尺位ある鯉を二疋揃えて獲ってくれるなら、云うとおりの値で買ってやると注文せられているので、二三日前からその鯉を獲ろうとしているが、鯉はおろかろくろく雑魚ざこも獲れなかった。

「網では獲れそうにもないから、明日あすは釣ってみようか、あのふちの傍で釣ってみてもいいな、釣るがよいかも知れないぞ」

勘作は酒のがないので、もの足りなくてしかたがなかった。

「勘作さん家かな」

何人たれかが入って来た。 漁師仲間の何人かが話しに来たろうと思って庭を見ると、色の白い小柄な男が来て立っていたが勘作には見覚えのない顔であった。

「お前さんは何人であったかな、わしはものおぼえが悪いから」

「お前さんは知らないかも判らない、私は近比ちかごろこの村へ来た者だから」

「そうか、それなら、これからおつきあいをしよう、さあ、おあがり」

「そんじゃ、あげてもらおうか」

小柄な男はそう云って地炉いろりの傍へあがった。

「お前さん、国はどこだね」

「東の方だ、東の方からぶらぶらやって来たが、この辺はいい処だね、漁もあるだろう」

「もとはあったが、近比ちかごろはめっきり無くなった」

「そうかなあ」

「それにこの二三日は、すこしもないので、今晩はすきな酒もめている」

「そうか、それはいかんなあ」

「二尺のこいを二ひきってくれと、二三日前から頼まれて、この広い湖へかたぱしから網を入れているが、鯉はおろか、雑魚ざこもろくろくかかりゃしない」

「そんなことは無い、私は近比ちかごろ来た者だが、それでも鯉の二疋や三疋は、買手を待たして置いても獲って来る」

勘作は出まかせなことを云う対手あいてがおかしくてたまらなかった。 彼は大声で笑いだした。

「お前さんが嘘と思うなら、私がこれから往ってって来てやろう、網はどこにあるかな」

「網は外の柿の木に乾してあるが、お前さん、きつねにでもつままれているじゃないか、わしはこの浦で二十年来漁師をやっているが、買手を待たして置いて獲る程こいは獲れないよ」

「嘘と思うなら私が獲って来てやろう、待ってるがいい」

小柄な男はひょいと庭へおりて外へ出て往った。 勘作は冷笑を浮べながら煙草をんでいたが、の音がしだしたので湖に面したほうの障子しょうじを開けてみた。 朦朧もうろうとした月の光のした水の上に岸を離れたばかりの小舟が浮んで、それが湖心のほうへ動いていた。 櫓をおしている小柄の男の姿も見えていた。

「俺に獲れないものが、あんな、小僧ッ子に獲れてたまるか」

勘作は障子を締めて横になって煙草を喫んでいた。 そして、小半時こはんときたないところで跫音あしおとがして小柄な男が帰って来た。 勘作が舟の中へ置いてあった空笊からざる小脇こわきにしていた。

「勘作さん、どうだな、注文の鯉を獲って来たが」

勘作は起きあがって笊の中をのぞいた。

序章-章なし
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ある神主の話 - 情報

ある神主の話

あるかんぬしのはなし

文字数 5,079文字

著者リスト:

底本 日本怪談大全 第二巻 幽霊の館

親本 日本怪談全集 第二巻

青空情報


底本:「日本怪談大全 第二巻 幽霊の館」国書刊行会
   1995(平成7)年8月2日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第二巻」改造社
   1934(昭和9)年
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年5月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:ある神主の話

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