この伝記物語を読むまえに
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「天は人の上に人をつくらず、
人の下に人をつくらず。」
明治のはじめ、「学問のすすめ」で、いちはやく
人間の自由・平等・権利のとうとさをとき、
あたらしい時代にむかう日本人に、
道しるべをあたえた人。
それまでねっしんにまなんだオランダ語をすてて、
世界に通用する英語を、独学でまなんだ人。
アメリカやヨーロッパに三度もわたり、
自分の目でじっさいにたしかめた、
外国のすすんだ文化や思想をしょうかいし、
大きなえいきょうをあたえた人。
上野の戦争のとき、砲声をききながら、
へいぜんと講義をつづけた人。
福沢諭吉は、ながい封建制度にならされた人々を
目ざめさせるのは、学問しかないと、
けわしい教育者の道をえらびました。
いま、慶応義塾大学の図書館には、
「ペンは剣よりも強し。」
のことばが、ラテン語で書かれています。
諭吉の一生は、この理想でつらぬかれました。
日本の民主主義を考えるとき、
わたしたちはいつも、
諭吉にたちかえらなければなりません。
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1 勉強はごめんだ
びんぼうどっくりをさげた少年
夏のはじめのある日の午後のことでした。
十二、三さいになる少年が、九州の中津(大分県)の町を、むねをはってあるいていました。
こしに大小の刀をさしているので、士族(さむらいの家がら)の子どもとすぐわかりますが、ふるぼけたふろしきづつみを左の小わきにかかえ、小さなとっくりをその手にさげています。
どうやら少年は、町に買いものにきたかえりのようでした。
町人たちは、さも、ふしぎなものをみたといわんばかりに、少年のうしろすがたをゆびさして、ささやきあいました。
「おさむらいの子が、まっ昼間、どうどうと、びんぼうどっくりをさげて、買いものにくるとは、おどろいたな。」
「まったくだ。
ちかごろは、おさむらいも、ふところぐあいがよくないとみえて、一しょう(一・八リットル)どっくりをさげて買いにみえるが、はずかしそうにほおかむりをして、しかも、日のくれがたとか、夜になってから、買いにくるというのが、ふつうだからな。」
「まあ、おさむらいには、士族としての体面(せけんにたいするていさい)があるからな。
それを、あのようにどうどうと……いったい、どこの子どもだろう。」
町人たちがはなしている、その少年は、じりじりとてりつける太陽にあせばんだのか、ときおり、右手で、ひたいのあせをふきながら、士族やしきへかえっていきました。