序章-章なし
なほ春のましろき花と見ゆれどもとも
に死ぬまで悲しかりけり (晶子)
紫夫人はあの大病以後病身になって、どこということもなく始終煩っていた。
たいした悪い容体になるのではなかったが、すぐれない、同じような不健康さが一年余りも続いた今では目に立って弱々しい姿になったことで、院は非常に心痛をしておいでになった。
しばらくでもこの人の死んだあとのこの世にいるのは悲しいことであろうと知っておいでになったし、夫人自身も人生の幸福には不足を感じるところとてもなく、気がかりな思いの残る子もない人なのであるから、こまやかに思い合った過去を持っていて自分の先に欠けてしまうことは、院をどんなに不幸なお心持ちにすることであろうという点だけを心の中で物哀れに感じているのであった。
未来の世のためにと思って夫人は功徳になることを多くしながらも、やはり出家して今後しばらくでも命のある間は仏勤めを十分にしたいということを始終院へお話しして、夫人は許しを得たがっているのであるが、院は御同意をあそばさなかった。
それは院御自身にも出家は希望していられることなのであるが、夫人が熱心にそうしたいと言っている時に、御自身もいっしょにそれを断行しようかというお心もないではないものの、いったん仏道にはいった以上は、仮にもこの世を顧みることはしたくないというお考えで、未来の世では一つの蓮華の上に安住しようと約束しておいでになる御夫婦であっても、この世での出家後の生活は全然区別を立てたものにせねばならぬという御本意から、こうして病弱な身体になってしまった夫人と、離れておしまいになることは気がかりで、悟道にはいった新生活も内から破れていくことを院は恐れて躊躇をしておいでになるのである。
結局は深い考えもなく簡単に出家してしまう人よりも、道にはいることが遅れるわけである。
院の同意されぬのを見ぬ顔にして尼になってしまうことも見苦しいことであるし、自分の心にも満足のできぬことであろうからと思って、この点で夫人は院をお恨めしく思った。
また自分自身も前生の罪の深いものであろうと不安がりもした。
以前から自身の願果たしのために書かせてあった千部の法華経の供養を夫人はこの際することとした。
自邸のような気のする二条の院でこの催しをすることにした。
七僧の法服をはじめとして、以下の僧へ等差をつけて纏頭にする僧服類をことに精撰して夫人は作らせてあった。
そのほかのすべてのことにも費用を惜しまぬ行き届いた仏事の準備ができているのである。
内輪事のように言っていたので、院はみずから計画に参加あそばさなかったが、女の催しでこれほど手落ちなく事の運ばれることは珍しいほどに万事のととのったのをお知りになって、仏道のほうにも深い理解のあることで夫人をうれしく思召した院は、御自身の手ではただ来賓を饗応する座敷の装飾その他のことだけをおさせになった。
音楽舞曲のほうのことは左大将が好意で世話をした。
宮中、東宮、院の后の宮、中宮をはじめとして、法事へ諸家からの誦経の寄進、捧げ物なども大がかりなものが多いばかりでなく、この法会に志を現わしたいと願わない世人もない有様であったから、華麗な仏会の式場が現出したわけである。
いつの間にこの大部の経巻等を夫人が仕度したかと参列者は皆驚いた。
長い年月を使った夫人の志に敬服したのである。
花散里夫人、明石夫人なども来会した。
南と東の戸をあけて夫人は聴聞の席にした。
それは寝殿の西の内蔵であった。
北側の部屋に各夫人の席を襖子だけの隔てで設けてあった。
三月の十日であったから花の真盛りである。
天気もうららかで暖かい日なので、快くて御仏のおいでになる世界に近い感じもすることから、あさはかな人たちすらも思わず信仰にはいる機縁を得そうであった。
薪こる(法華経はいかにして得し薪こり菜摘み水汲みかくしてぞ得し)歌を同音に人々が唱える声の終わって、今までと反対に式場の静まりかえる気分は物哀れなものであるが、まして病になっている夫人の心は寂しくてならなかった。
明石夫人の所へ女王は三の宮にお持たせして次の歌を贈った。
惜しからぬこの身ながらも限りとて薪尽きなんことの悲しさ
夫人の心細い気持ちに共鳴したふうのものを返しにしては、認識不足を人から譏られることであろうと思って、明石はそれに触れなかった。
薪こる思ひは今日を初めにてこの世に願ふ法ぞはるけき
経声も楽音も混じっておもしろく夜は明けていくのであった。
朝ぼらけの靄の間にはいろいろの花の木がなお女王の心を春に惹きとどめようと絢爛の美を競っていたし春の小鳥のさえずりも笛の声に劣らぬ気がして、身にしむこともおもしろさもきわまるかと思われるころに、「陵王」が舞われて、殿上の貴紳たちが舞い人へ肩から脱いで与える纏頭の衣服の色彩などもこの朝はただ美しくばかり思われた。
親王がた、高官らも音楽に名のある人はみずからその芸を惜しまずこの場で見せて遊んだ。
上から下まで来会者が歓楽に酔っているのを見ても、余命の少ないことを知っている夫人の心だけは悲しかった。
昨日は例外に終日起きていたせいか夫人は苦しがって横になっていた。
これまでこうしたおりごとに必ず集まって来て、音楽舞楽の何かの一役を勤める人たちの容貌や風采にも、その芸にも逢うことが今日で終わるのかというようなことばかりが思われる夫人であったから、平生は注意の払われない顔も目にとまって、少しのことにも物哀れな気持ちが誘われて来賓席を夫人は見渡しているのであった。
まして四季の遊び事に競争心は必ずあっても、さすがに長くつちかわれた友情というもののあった夫人たちに対しては、だれも永久に生き残る人はないであろうが、まず自分一人がこの中から消えていくのであると思われるのが女王の心に悲しかった。
宴が終わってそれぞれの夫人が帰って行く時なども、生死の別れほど別れが惜しまれた。
花散里夫人の所へ、