• URLをコピーしました!

すみだ川

著者:永井荷風

すみだがわ - ながい かふう

文字数:34,488 底本発行年:1986
著者リスト:
著者永井 荷風
親本: 荷風小説 三
0
0
0


俳諧師はいかいし松風庵蘿月しょうふうあんらげつ今戸いまど常磐津ときわず師匠ししょうをしているじつの妹をば今年は盂蘭盆うらぼんにもたずねずにしまったので毎日その事のみ気にしている。 しかし日盛ひざかりの暑さにはさすがにうちを出かねて夕方になるのを待つ。 夕方になると竹垣に朝顔のからんだ勝手口で行水ぎょうずいをつかったのちそのまま真裸体まっぱだかで晩酌を傾けやっとの事ぜんを離れると、夏の黄昏たそがれも家々で蚊遣かやりけむりと共にいつか夜となり、盆栽ぼんさいを並べた窓の外の往来には簾越すだれごしに下駄げたの音職人しょくにん鼻唄はなうた人の話声がにぎやかに聞え出す。 蘿月は女房のおたきに注意されてすぐにも今戸へ行くつもりで格子戸こうしどを出るのであるが、そのへん涼台すずみだいから声をかけられるがまま腰をおろすと、一杯機嫌いっぱいきげん話好はなしずきに、毎晩きまってらちもなく話し込んでしまうのであった。

朝夕がいくらか涼しく楽になったかと思うと共に大変日が短くなって来た。 朝顔の花が日ごとに小さくなり、西日が燃える焔のように狭い家中いえじゅうへ差込んで来る時分じぶんになると鳴きしきるせみの声が一際ひときわ耳立みみだってせわしく聞える。 八月もいつかなかば過ぎてしまったのである。 家のうしろ玉蜀黍とうもろこしの畠に吹き渡る風のひびきが夜なぞは折々おりおり雨かとあやまたれた。 蘿月は若い時分したい放題身を持崩もちくずした道楽の名残なごりとて時候の変目かわりめといえば今だに骨の節々ふしぶしが痛むので、いつも人より先に秋の立つのを知るのである。 秋になったと思うとただわけもなく気がせわしくなる。

蘿月はにわか狼狽うろたえ出し、八日頃ようかごろの夕月がまだ真白ましろく夕焼の空にかかっている頃から小梅瓦町こうめかわらまち住居すまいあとにテクテク今戸をさして歩いて行った。

堀割ほりわりづたいに曳舟通ひきふねどおりからぐさま左へまがると、土地のものでなければ行先ゆくさきの分らないほど迂回うかいした小径こみち三囲稲荷みめぐりいなりの横手をめぐって土手へと通じている。 小径に沿うては田圃たんぼ埋立うめたてた空地あきちに、新しい貸長屋かしながやがまだ空家あきやのままに立並たちならんだ処もある。 広々した構えの外には大きな庭石を据並すえならべた植木屋もあれば、いかにも田舎いなからしい茅葺かやぶきの人家のまばらに立ちつづいている処もある。 それらのうちの竹垣の間からは夕月に行水ぎょうずいをつかっている女の姿の見える事もあった。 蘿月宗匠そうしょうはいくら年をとっても昔の気質かたぎは変らないので見て見ぬようにそっと立止るが、大概はぞっとしない女房ばかりなので、落胆らくたんしたようにそのまま歩調あゆみを早める。 そして売地や貸家のふだを見てすぎ度々たびたびなんともつかずその胸算用むなざんようをしながら自分も懐手ふところで大儲おおもうけがして見たいと思う。 しかしまた田圃づたいに歩いて行く中水田うちみずたのところどころにはすの花の見事に咲き乱れたさまを眺め青々した稲の葉に夕風のそよぐ響をきけば、さすがは宗匠だけに、銭勘定ぜにかんじょうの事よりも記憶に散在している古人の句をば実にうまいものだと思返おもいかえすのであった。

土手へあがった時には葉桜のかげは小暗おぐらく水を隔てた人家にはが見えた。 吹きはらう河風かわかぜに桜の病葉わくらばがはらはら散る。 蘿月は休まず歩きつづけた暑さにほっと息をつき、ひろげた胸をば扇子せんすであおいだが、まだ店をしまわずにいる休茶屋やすみぢゃやを見付けて慌忙あわてて立寄り、「おかみさん、ひやで一杯。」 と腰をおろした。 正面に待乳山まつちやまを見渡す隅田川すみだがわには夕風をはらんだ帆かけ船がしきりに動いて行く。 水のおもて黄昏たそがれるにつれてかもめの羽の色が際立きわだって白く見える。 宗匠はこの景色を見ると時候はちがうけれど酒なくて何のおのれが桜かなと急に一杯傾けたくなったのである。

休茶屋の女房にょうぼふちの厚い底の上ったコップについで出す冷酒ひやざけを、蘿月はぐいと飲干のみほしてそのまま竹屋たけや渡船わたしぶねに乗った。 丁度河の中ほどへ来た頃から舟のゆれるにつれて冷酒がおいおいにきいて来る。 葉桜の上に輝きそめた夕月の光がいかにも涼しい。 なめらかな満潮の水は「お前どこ行く」と流行唄はやりうたにもあるようにいかにも投遣なげやったふうに心持よく流れている。 宗匠は目をつぶってひとりで鼻唄をうたった。

向河岸むこうがしへつくと急に思出して近所の菓子屋を探して土産みやげを買い今戸橋いまどばしを渡って真直まっすぐな道をば自分ばかりは足許あしもとのたしかなつもりで、実は大分ふらふらしながら歩いて行った。

そこ此処ここに二、三軒今戸焼いまどやきを売る店にわずかな特徴を見るばかり、何処いずこの場末にもよくあるような低い人家つづきの横町よこちょうである。 人家の軒下や路地口ろじぐちには話しながら涼んでいる人の浴衣ゆかたが薄暗い軒燈けんとうの光に際立きわだって白く見えながら、あたりは一体にひっそりして何処どこかで犬のえる声と赤児あかごのなく声が聞える。 あまがわ澄渡すみわたった空にしげった木立をそびやかしている今戸八幡いまどはちまんの前まで来ると、蘿月はもなく並んだ軒燈の間に常磐津文字豊ときわずもじとよ勘亭流かんていりゅうで書いた妹の家のを認めた。 家の前の往来には人が二、三人も立止ってなかなる稽古けいこ浄瑠璃じょうるりを聞いていた。

折々恐しい音してねずみの走る天井からホヤの曇った六分心ろくぶしんのランプがところどころ宝丹ほうたんの広告や『都新聞みやこしんぶん』の新年附録の美人画なぞでやぶをかくしたふすまを始め、飴色あめいろに古びた箪笥たんす雨漏あまもりのあとのある古びた壁なぞ、八畳の座敷一体をいかにも薄暗くてらしている。 古ぼけた葭戸よしどを立てた縁側のそとには小庭こにわがあるのやらないのやら分らぬほどなやみの中に軒の風鈴ふうりんさびしく鳴り虫がしずかに鳴いている。 師匠のおとよは縁日ものの植木鉢を並べ、不動尊ふどうそんの掛物をかけたとこうしろにしてべったりすわったひざの上に三味線しゃみせんをかかえ、かしばちで時々前髪のあたりをかきながら、掛声をかけては弾くと、稽古本けいこぼんを広げたきりの小机を中にして此方こなたには三十前後の商人らしい男が中音ちゅうおんで、「そりや何をいはしやんす、今さら兄よいもうとといふにいはれぬ恋中こいなかは……。」 と「小稲半兵衛こいなはんべえ」の道行みちゆきを語る。

━ おわり ━  小説TOPに戻る
0
0
0
読み込み中...
ブックマーク系
サイトメニュー
シェア・ブックマーク
シェア

すみだ川 - 情報

すみだ川

すみだがわ

文字数 34,488文字

著者リスト:
著者永井 荷風

底本 すみだ川・新橋夜話 他一篇

親本 荷風小説 三

青空情報


底本:「すみだ川・新橋夜話 他一篇」岩波文庫、岩波書店
   1987(昭和62)年9月16日第1刷発行
   2005(平成17)年11月25日第23刷発行
底本の親本:「荷風小説 三」岩波書店
   1986(昭和61)年7月発行
入力:門田裕志
校正:阿部哲也
2009年12月20日作成
2010年11月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:すみだ川

小説内ジャンプ
コントロール
設定
しおり
おすすめ書式
ページ送り
改行
文字サイズ

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!