雪女
原題:YUKI-ONNA
著者:小泉八雲
ゆきおんな - こいずみ やくも
文字数:3,337 底本発行年:1937
武蔵の国のある村に茂作、巳之吉と云う二人の木こりがいた。 この話のあった時分には、茂作は老人であった。 そして、彼の年季奉公人であった巳之吉は、十八の少年であった。 毎日、彼等は村から約二里離れた森へ一緒に出かけた。 その森へ行く道に、越さねばならない大きな河がある。 そして、渡し船がある。 渡しのある処にたびたび、橋が架けられたが、その橋は洪水のあるたびごとに流された。 河の溢れる時には、普通の橋では、その急流を防ぐ事はできない。
茂作と巳之吉はある大層寒い晩、帰り途で大吹雪に遇った。 渡し場に着いた、渡し守は船を河の向う側に残したままで、帰った事が分った。 泳がれるような日ではなかった。 それで木こりは渡し守の小屋に避難した――避難処の見つかった事を僥倖に思いながら。 小屋には火鉢はなかった。 火をたくべき場処もなかった。 窓のない一方口の、二畳敷の小屋であった。 茂作と巳之吉は戸をしめて、蓑をきて、休息するために横になった。 初めのうちはさほど寒いとも感じなかった。 そして、嵐はじきに止むと思った。
老人はじきに眠りについた。 しかし、少年巳之吉は長い間、目をさましていて、恐ろしい風や戸にあたる雪のたえない音を聴いていた。 河はゴウゴウと鳴っていた。 小屋は海上の和船のようにゆれて、ミシミシ音がした。 恐ろしい大吹雪であった。 空気は一刻一刻、寒くなって来た、そして、巳之吉は蓑の下でふるえていた。 しかし、とうとう寒さにも拘らず、彼もまた寝込んだ。
彼は顔に夕立のように雪がかかるので眼がさめた。 小屋の戸は無理押しに開かれていた。 そして雪明かりで、部屋のうちに女、――全く白装束の女、――を見た。 その女は茂作の上に屈んで、彼に彼女の息をふきかけていた、――そして彼女の息はあかるい白い煙のようであった。 ほとんど同時に巳之吉の方へ振り向いて、彼の上に屈んだ。 彼は叫ぼうとしたが何の音も発する事ができなかった。 白衣の女は、彼の上に段々低く屈んで、しまいに彼女の顔はほとんど彼にふれるようになった、そして彼は――彼女の眼は恐ろしかったが――彼女が大層綺麗である事を見た。 しばらく彼女は彼を見続けていた、――それから彼女は微笑した、そしてささやいた、――『私は今ひとりの人のように、あなたをしようかと思った。 しかし、あなたを気の毒だと思わずにはいられない、――あなたは若いのだから。 ……あなたは美少年ね、巳之吉さん、もう私はあなたを害しはしません。 しかし、もしあなたが今夜見た事を誰かに――あなたの母さんにでも――云ったら、私に分ります、そして私、あなたを殺します。 ……覚えていらっしゃい、私の云う事を』
そう云って、向き直って、彼女は戸口から出て行った。 その時、彼は自分の動ける事を知って、飛び起きて、外を見た。
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雪女 - 情報
青空情報
底本:「小泉八雲全集第八卷 家庭版」第一書房
1937(昭和12)年1月15日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、以下の置き換えをおこないました。
「或→ある・あるい 居→い・お かも知れ→かもしれ 左程→さほど 暫く→しばらく 度毎→たびごと 度々→たびたび 頂戴→ちょうだい 殆んど→ほとんど 亦→また 見→み」
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(大石尺)
校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(大久保ゆう)
2009年8月4日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
青空文庫:雪女