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六号室

著者:アントン・チエホフ Anton Chekhov

ろくごうしつ

文字数:46,197 底本発行年:1908
著者リスト:
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(一)

町立病院ちょうりつびょういんにわうち牛蒡ごぼう蕁草いらぐさ野麻のあさなどのむらがしげってるあたりに、ささやかなる別室べっしつの一むねがある。 屋根やねのブリキいたびて、烟突えんとつなかばこわれ、玄関げんかん階段かいだん紛堊しっくいがれて、ちて、雑草ざっそうさえのびのびと。 正面しょうめん本院ほんいんむかい、後方こうほう茫広ひろびろとした野良のらのぞんで、くぎてた鼠色ねずみいろへい取繞とりまわされている。 この尖端せんたんうえけているくぎと、へい、さてはまたこの別室べっしつ、こは露西亜ロシアにおいて、ただ病院びょういんと、監獄かんごくとにのみる、はかなき、あわれな、さびしい建物たてもの

蕁草いらぐさおおわれたる細道ほそみちけば別室べっしつ入口いりぐちで、ひらけば玄関げんかんである。 壁際かべぎわや、暖炉だんろ周辺まわりには病院びょういんのさまざまの雑具がらくた古寐台ふるねだいよごれた病院服びょういんふく、ぼろぼろの股引下ズボンしたあおしま洗浚あらいざらしのシャツ、やぶれた古靴ふるぐつったようなものが、ごたくさと、やまのようにかさねられて、悪臭あくしゅうはなっている。

この積上つみあげられたる雑具がらくたうえに、いつでも烟管きせるくわえて寐辷ねそべっているのは、としった兵隊上へいたいあがりの、いろめた徽章きしょういてる軍服ぐんぷく始終ふだんているニキタと小使こづかい おおかぶさってるまゆ山羊やぎのようで、あかはな仏頂面ぶっちょうづらたかくはないがせて節塊立ふしくれだって、どこにかこう一くせありそうなおとこ かれきわめてかたくなで、なによりも秩序ちつじょうことを大切たいせつおもっていて、自分じぶん職務しょくむおおせるには、なんでもその鉄拳てっけんもって、相手あいてかおだろうが、あたまだろうが、むねだろうが、手当放題てあたりほうだい殴打なぐらなければならぬものとしんじている、所謂いわゆる思慮しりょわらぬ人間にんげん

玄関げんかんさきはこの別室全体べっしつぜんたいめているひろ、これが六号室ごうしつである。 浅黄色あさぎいろのペンキぬりかべよごれて、天井てんじょうくすぶっている。 ふゆ暖炉だんろけぶって炭気たんきめられたものとえる。 まど内側うちがわから見悪みにく鉄格子てつごうしめられ、ゆかしろちゃけて、そそくれっている。 けた玉菜たまなや、ランプのいぶりや、南京虫なんきんむしや、アンモニヤのにおいこんじて、はいったはじめの一分時ぷんじは、動物園どうぶつえんにでもったかのような感覚かんかく惹起ひきおこすので。

室内しつないには螺旋ねじゆかめられた寐台ねだい数脚すうきゃく そのうえにはあお病院服びょういんふくて、昔風むかしふう頭巾ずきんかぶっている患者等かんじゃらすわったり、たりして、これはみんな瘋癲患者ふうてんかんじゃなのである。 患者かんじゃすうは五にん、そのうちにて一人ひとりだけは身分みぶんのあるものであるがみないやしい身分みぶんものばかり。 戸口とぐちからだい一のものは、せてたかい、栗色くりいろひかひげの、始終しじゅう泣腫なきはらしている発狂はっきょう中風患者ちゅうぶかんじゃあたまささえてじっとすわって、一つところみつめながら、昼夜ちゅうやかずかなしんで、あたま太息といきもらし、ときには苦笑にがわらいをしたりして。 周辺あたりはなしにはまれ立入たちいるのみで、質問しつもんをされたらけっして返答へんとうをしたことのい、ものも、ものも、あたえらるるままに、時々ときどきくるしそうなせきをする。 そのほお紅色べにいろや、瘠方やせかたさっするにかれにはもう肺病はいびょう初期しょきざしているのであろう。

それにつづいては小体こがらな、元気げんきな、頤鬚あごひげとがった、かみくろいネグルじんのようにちぢれた、すこしも落着おちつかぬ老人ろうじん かれひるには室内しつないまどからまど往来おうらいし、あるいはトルコふう寐台ねだいあぐらいて、山雀やまがらのようにもなくさえずり、小声こごえうたい、ヒヒヒと頓興とんきょうわらしたりしているが、よる祈祷きとうをするときでも、やはり元気げんきで、子供こどものように愉快ゆかいそうにぴんぴんしている。 こぶしむねっていのるかとおもえば、すぐゆびあな穿ったりしている。 これは猶太人ジウのモイセイカともので、二十ねんばかりまえ自分じぶん所有しょゆう帽子製造場ぼうしせいぞうばけたときに、発狂はっきょうしたのであった。

号室ごうしつうちでこのモイセイカばかりは、にわにでもまちにでも自由じゆう外出でるのをゆるされていた。 それはかれふるくから病院びょういんにいるためか、まち子供等こどもらや、いぬかこまれていても、けっして何等なんらがいをもくわえぬとうことをまちひとられているためか、とにかく、かれまち名物男めいぶつおとことして、一人ひとりこの特権とっけんていたのである。 かれまちまわるに病院服びょういんふくのまま、みょう頭巾ずきんかぶり、上靴うわぐつ穿いてるときもあり、あるい跣足はだしでズボンした穿かずにあるいているときもある。 そうしてひとかどや、店前みせさきっては一せんずつをう。 あるいえではクワスをませ、あるところではパンをわしてくれる。 で、かれはいつも満腹まんぷくで、金持かねもちになって、六号室ごうしつかえってる。 が、そのたずさかえところものは、玄関げんかんでニキタにみんなうばわれてしまう。 兵隊上へいたいあがりの小使こづかいのニキタは乱暴らんぼうにも、かくし一々いちいち転覆ひっくりかえして、すっかり取返とりかえしてしまうのであった。

またモイセイカは同室どうしつものにもいたって親切しんせつで、みずってり、ときには布団ふとんけてりして、まちから一せんずつもらってるとか、めいめいあたらしい帽子ぼうしってるとかとう。 ひだりほう中風患者ちゅうぶかんじゃには始終しじゅうさじでもって食事しょくじをさせる。 かれがかくするのは、別段べつだん同情どうじょうからでもなく、とって、情誼じょうぎからするのでもなく、ただみぎとなりにいるグロモフとひとならって、自然しぜんその真似まねをするのであった。

イワン、デミトリチ、グロモフは三十三さいで、かれはこのしつでの身分みぶんのいいもの、元来もと裁判所さいばんしょ警吏けいり、また県庁けんちょう書記しょきをもつとめたので。 かれひと自分じぶん窘逐きんちくするとうことをにしている瘋癲患者ふうてんかんじゃつね寐台ねだいうえまるくなってていたり、あるい運動うんどうためかのように、へやすみからすみへとあるいてたり、すわっていることはほとんまれで、始終しじゅう興奮こうふんして、燥気いらいらして、瞹眛あいまいなあるつことでっている様子ようす 玄関げんかんほうかすかおとでもするか、にわこえでもこえるかすると、ぐにあたま持上もちあげてみみそばだてる。 だれ自分じぶんところたのではいか、自分じぶんたずねているのではいかとおもって、かおにはうべからざる不安ふあんいろあらわれる。

(一)

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六号室 - 情報

六号室

ろくごうしつ

文字数 46,197文字

著者リスト:

底本 明治文學全集 82 明治女流文學集(二)

親本 露國文豪 チエホフ傑作集

青空情報


底本:「明治文學全集 82 明治女流文學集(二)」筑摩書房
   1965(昭和40)年12月10日発行
   1989(平成元)年2月20日初版第5刷発行
底本の親本:「露国文豪 チエホフ傑作集」獅子吼書房
   1908(明治41)年10月
初出:「文藝界」
   1906(明治39)年4月
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
「此の」は「この」、「又」は「また」、「於て」は「おいて」、「毎も」は「いつも」、「何処」は「どこ」、「恁う」は「こう」、「其」は「その」または「それ」、「是」は「これ」または「ここ」、「丈」は「だけ」、「計り」は「ばかり」、「凝と」は「じっと」、「為た」は「した」、「些し」は「すこし」、「為て」は「して」、「然し」は「しかし」、「猶且」は「やはり」、「其れ」は「それ」、「事」は「こと」、「左に右」は「とにかく」、「儘」は「まま」、「而して」は「そうして」、「了う」は「しまう」、「呉れ」は「くれ」、「悉皆」は「すっかり」、「有った」は「あった」、「恁く」は「かく」、「唯」は「ただ」、「可い」は「いい」または「よい」、「有って」は「あって」または「もって」、「先ず」は「まず」、「施て」は「やがて」、「然るに」は「しかるに」、「此度」は「こんど」、「亦」は「また」、「了った」は「しまった」、「此」は「ここ」または「かく」、「初中終」は「しょっちゅう」、「往々」は「まま」、「居る」は「いる」または「おる」、「是等」は「これら」、「為なければ」は「しなければ」、「抔」は「など」、「偖」は「さて」、「有る」は「ある」、「屡」は「しばしば」、「縦令」は「よし」または「たとい」または「よしんば」、「屹度」は「きっと」、「奈何」は「どう」または「いかん」または「いか」、「不好」は「いや」、「為ぬ」は「せぬ」、「有り」は「あり」、「抑も」は「そもそも」、「有たぬ」は「もたぬ」、「這麼」は「こんな」、「此れ」は「これ」、「若し」は「もし」、「那様」は「そんな」、「愈々」は「いよいよ」、「全然」は「すっかり」または「まるきり」または「まるで」、「猶」は「なお」、「密と」は「そっと」、「那麼」は「あんな」または「こんな」、「乃」は「そこで」、「然」は「そう」または「しかし」、「未だ」は「まだ」または「いまだ」、「然う」は「そう」、「卒」は「いきなり」、「有ゆる」は「あらゆる」、「些と」は「ちょっと」、「恰で」は「まるで」、「丈け」は「だけ」、「迄」は「まで」、「宛然」は「まるで」または「さながら」、「猶更」は「なおさら」、「為ねば」は「せねば」、「恁る」は「かかる」、「且つ」は「かつ」、「只管」は「ひたすら」、「茲」は「ここ」、「若」は「もし」、「切て」は「せめて」、「可く」は「よく」、「好く」は「よく」、「全然で」は「まるで」、「此所」は「ここ」、「度い」は「たい」、「毎」は「いつも」、「為よう」は「しよう」、「好い」は「いい」または「よい」、「已」は「すで」、「依然」は「やはり」、「尤も」は「もっとも」、「如何」は「どう」、「而て」は「して」、「然れども」は「けれども」、「唯だ」は「ただ」、「此方」は「このかた」、「度く」は「たく」、「嘗つて」は「かつて」、「其処」は「そこら」または「そこ」、「此処」は「ここ」、「居って」は「おって」、「甚麼」は「どんな」、「可かろう」は「よかろう」、「居らん」は「おらん」、「畢竟」は「つまり」、「可けません」は「いけません」、「最と」は「いと」、「仮令」は「たとい」、「之れ」は「これ」、「嘗て」は「かつて」、「何卒」は「どうぞ」または「どうか」、「仕よう」は「しよう」、「何方」は「どちら」、「居り」は「おり」、「為ない」は「しない」、「然らば」は「しからば」、「抑」は「そもそも」、「那」は「あれ」または「ああ」、「益」は「ますます」、「有つ」は「もつ」、「仕て」は「して」、「仕ない」はしない」、「丁と」は「ちゃんと」、「左右」は「とかく」、「居らぬ」は「おらぬ」、「未」は「いまだ」、「少時」は「すこし」または「しばし」または「しばらく」、「匆卒」は「いきなり」または「ゆきなり」、「暫」は「やや」、「然り」は「さり」、「態々」は「わざわざ」、「沁々」は「しみじみ」、「左様」は「そう」、「夫れ」は「それ」、「為ず」は「せず」、「其辺」は「そこら」、「彼方此方」は「あちこち」、「有繋」は「さすが」、「可かん」は「いかん」、「好し」は「よし」、「度」は「たい」、「復」は「また」、「計」は「ばかり」、「况して」は「まして」、「苟も」は「いやしくも」、「那方」は「むこう」、「些と」は「ちと」、「頓に」は「とみに」、「那裏」は「むこう」に、置き換えました。
※「[#「丿+臣+頁」]は、「頤」に書き換えました。
※「[#「抜」の「友」に代えて「ノ/友」]」は「抜」に書き換えました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「理窟」と「理屈」、「踏」と「蹈」、「匆」と「」の混在は底本通りです。
※仮名表記と繰り返し記号の使い方の揺れは、底本通りです。
入力:阿部哲也
校正:米田
2011年1月20日作成
2011年3月6日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:六号室

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