• URLをコピーしました!

源氏物語 01 桐壺

著者:紫式部

げんじものがたり - むらさき しきぶ

文字数:15,547 底本発行年:1971
著者リスト:
著者紫式部
翻訳者与謝野 晶子
0
0
0


序章-章なし

紫のかがやく花と日の光思ひあはざる

ことわりもなし      (晶子)

どの天皇様の御代みよであったか、女御にょごとか更衣こういとかいわれる後宮こうきゅうがおおぜいいた中に、最上の貴族出身ではないが深い御愛寵あいちょうを得ている人があった。 最初から自分こそはという自信と、親兄弟の勢力にたのむ所があって宮中にはいった女御たちからは失敬な女としてねたまれた。 その人と同等、もしくはそれより地位の低い更衣たちはまして嫉妬しっとほのおを燃やさないわけもなかった。 夜の御殿おとど宿直所とのいどころから退さがる朝、続いてその人ばかりが召される夜、目に見耳に聞いて口惜くちおしがらせた恨みのせいもあったかからだが弱くなって、心細くなった更衣は多く実家へ下がっていがちということになると、いよいよみかどはこの人にばかり心をお引かれになるという御様子で、人が何と批評をしようともそれに御遠慮などというものがおできにならない。 御聖徳を伝える歴史の上にも暗い影の一所残るようなことにもなりかねない状態になった。 高官たちも殿上役人たちも困って、御覚醒かくせいになるのを期しながら、当分は見ぬ顔をしていたいという態度をとるほどの御寵愛ちょうあいぶりであった。 唐の国でもこの種類の寵姫ちょうき楊家ようかじょの出現によって乱がかもされたなどとかげではいわれる。 今やこの女性が一天下のわざわいだとされるに至った。 馬嵬ばかいの駅がいつ再現されるかもしれぬ。 その人にとっては堪えがたいような苦しい雰囲気ふんいきの中でも、ただ深い御愛情だけをたよりにして暮らしていた。 父の大納言だいなごんはもう故人であった。 母の未亡人が生まれのよい見識のある女で、わが娘を現代に勢力のある派手はでな家の娘たちにひけをとらせないよき保護者たりえた。 それでも大官の後援者を持たぬ更衣は、何かの場合にいつも心細い思いをするようだった。

前生ぜんしょうの縁が深かったか、またもないような美しい皇子までがこの人からお生まれになった。 寵姫を母とした御子みこを早く御覧になりたい思召おぼしめしから、正規の日数が立つとすぐに更衣母子おやこを宮中へお招きになった。 小皇子しょうおうじはいかなる美なるものよりも美しいお顔をしておいでになった。 帝の第一皇子は右大臣の娘の女御からお生まれになって、重い外戚がいせきが背景になっていて、疑いもない未来の皇太子として世の人は尊敬をささげているが、第二の皇子の美貌びぼうにならぶことがおできにならぬため、それは皇家おうけの長子として大事にあそばされ、これは御自身の愛子あいしとして非常に大事がっておいでになった。 更衣は初めから普通の朝廷の女官として奉仕するほどの軽い身分ではなかった。 ただお愛しになるあまりに、その人自身は最高の貴女きじょと言ってよいほどのりっぱな女ではあったが、始終おそばへお置きになろうとして、殿上で音楽その他のお催し事をあそばす際には、だれよりもまず先にこの人を常の御殿へお呼びになり、またある時はお引き留めになって更衣が夜の御殿から朝の退出ができずそのまま昼も侍しているようなことになったりして、やや軽いふうにも見られたのが、皇子のお生まれになって以後目に立って重々しくお扱いになったから、東宮にもどうかすればこの皇子をお立てになるかもしれぬと、第一の皇子の御生母の女御は疑いを持っていた。 この人は帝の最もお若い時に入内じゅだいした最初の女御であった。 この女御がする批難と恨み言だけは無関心にしておいでになれなかった。 この女御へ済まないという気も十分に持っておいでになった。 帝の深い愛を信じながらも、悪く言う者と、何かの欠点を捜し出そうとする者ばかりの宮中に、病身な、そして無力な家を背景としている心細い更衣は、愛されれば愛されるほど苦しみがふえるふうであった。

住んでいる御殿ごてんは御所の中の東北のすみのような桐壺きりつぼであった。 幾つかの女御や更衣たちの御殿のろうを通いみちにして帝がしばしばそこへおいでになり、宿直とのいをする更衣が上がり下がりして行く桐壺であったから、始終ながめていねばならぬ御殿の住人たちの恨みがかさんでいくのも道理と言わねばならない。 召されることがあまり続くころは、打ち橋とか通い廊下のある戸口とかに意地の悪い仕掛けがされて、送り迎えをする女房たちの着物のすそが一度でいたんでしまうようなことがあったりする。 またある時はどうしてもそこを通らねばならぬ廊下の戸に錠がさされてあったり、そこが通れねばこちらを行くはずの御殿の人どうしが言い合わせて、桐壺の更衣の通りみちをなくしてはずかしめるようなことなどもしばしばあった。 数え切れぬほどの苦しみを受けて、更衣が心をめいらせているのを御覧になると帝はいっそうあわれを多くお加えになって、清涼殿せいりょうでんに続いた後涼殿こうりょうでんに住んでいた更衣をほかへお移しになって桐壺の更衣へ休息室としてお与えになった。 移された人の恨みはどの後宮こうきゅうよりもまた深くなった。

第二の皇子が三歳におなりになった時に袴着はかまぎの式が行なわれた。 前にあった第一の皇子のその式に劣らぬような派手はでな準備の費用が宮廷から支出された。 それにつけても世間はいろいろに批評をしたが、成長されるこの皇子の美貌びぼう聡明そうめいさとが類のないものであったから、だれも皇子を悪く思うことはできなかった。 有識者はこの天才的な美しい小皇子を見て、こんな人も人間世界に生まれてくるものかと皆驚いていた。 その年の夏のことである。 御息所みやすどころ――皇子女おうじじょの生母になった更衣はこう呼ばれるのである――はちょっとした病気になって、実家へさがろうとしたが帝はお許しにならなかった。 どこかからだが悪いということはこの人の常のことになっていたから、帝はそれほどお驚きにならずに、

「もうしばらく御所で養生をしてみてからにするがよい」

序章-章なし
━ おわり ━  小説TOPに戻る
0
0
0
読み込み中...
ブックマーク系
サイトメニュー
シェア・ブックマーク
シェア

源氏物語 - 情報

源氏物語 01 桐壺

げんじものがたり 01 きりつぼ

文字数 15,547文字

著者リスト:
著者紫式部
翻訳者与謝野 晶子

底本 全訳源氏物語 上巻

青空情報


底本:「全訳源氏物語 上巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年8月10日改版初版発行
   1994(平成6)年12月20日56版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月5日71版を使用しました。
入力:上田英代
校正:kompass
2003年4月15日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:源氏物語

小説内ジャンプ
コントロール
設定
しおり
おすすめ書式
ページ送り
改行
文字サイズ

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!