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奉教人の死

著者:芥川龍之介

ほうきょうにんのし - あくたがわ りゅうのすけ

文字数:9,596 底本発行年:1968
著者リスト:
著者芥川 竜之介
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序章-章なし

たとひ三百歳のよはひを保ち、楽しみ身に余ると云ふとも、未来永々の果しなき楽しみに比ぶれば、夢幻ゆめまぼろしの如し。

―慶長訳 Guia do Pecador―

善の道に立ち入りたらん人は、御教みをしへにこもる不可思議の甘味を覚ゆべし。

―慶長訳 Imitatione Christi―

んぬる頃、日本長崎の「さんた・るちや」と申す「えけれしや」(寺院)に、「ろおれんぞ」と申すこの国の少年がござつた。 これは或年御降誕の祭の夜、その「えけれしや」の戸口に、餓ゑ疲れてうち伏して居つたを、参詣の奉教人衆ほうけうにんしゆうが介抱し、それより伴天連ばてれんの憐みにて、寺中に養はれる事となつたげでござるが、何故かその身の素性すじやうを問へば、故郷ふるさとは「はらいそ」(天国)父の名は「でうす」(天主)などと、何時も事もなげな笑に紛らいて、とんとまことは明した事もござない。 なれど親の代から「ぜんちよ」(異教徒)のともがらであらなんだ事だけは、手くびにかけた青玉あをだまの「こんたつ」(念珠)を見ても、知れたと申す。 されば伴天連はじめ、多くの「いるまん」衆(法兄弟)も、よも怪しいものではござるまいとおぼされて、ねんごろに扶持して置かれたが、その信心の堅固なは、幼いにも似ず「すぺりおれす」(長老衆)が舌を捲くばかりであつたれば、一同も「ろおれんぞ」は天童の生れがはりであらうずなど申し、いづくの生れ、たれの子とも知れぬものを、無下むげにめでいつくしんで居つたげでござる。

して又この「ろおれんぞ」は、顔かたちが玉のやうに清らかであつたに、声ざまも女のやうに優しかつたれば、ひとしほ人々のあはれみをいたのでござらう。 中でもこの国の「いるまん」に「しめおん」と申したは、「ろおれんぞ」をおととのやうにもてなし、「えけれしや」の出入りにも、かならず仲よう手を組み合せて居つた。 この「しめおん」は、元さる大名に仕へた、槍一すぢの家がらなものぢや。 されば身のたけも抜群なに、性得しやうとくの剛力であつたに由つて、伴天連が「ぜんちよ」ばらの石瓦にうたるるを、防いで進ぜた事も、一度二度の沙汰ではごさない。 それが「ろおれんぞ」とむつまじうするさまは、とんと鳩になづむ荒鷲のやうであつたとも申さうか。 或は「ればのん」山のひのきに、葡萄えびかづらがまとひついて、花咲いたやうであつたとも申さうず。

さる程に三年あまりの年月は、流るるやうにすぎたに由つて、「ろおれんぞ」はやがて元服もすべき時節となつた。 したがその頃怪しげな噂が伝はつたと申すは、「さんた・るちや」から遠からぬ町方の傘張の娘が、「ろおれんぞ」と親しうすると云ふ事ぢや。 この傘張のおきなも天主の御教を奉ずる人故、娘ともども「えけれしや」へは参るならはしであつたに、御祈の暇にも、娘は香炉をさげた「ろおれんぞ」の姿から、眼を離したと申す事がござない。 まして「えけれしや」への出入りには、かならず髪かたちを美しうして、「ろおれんぞ」のゐる方へ眼づかひをするがぢやうであつた。 さればおのづと奉教人衆の人目にも止り、娘が行きずりに「ろおれんぞ」の足を踏んだと云ひ出すものもあれば、二人が艶書をとりかはすをしかと見とどけたと申すものも、出て来たげでござる。

由つて伴天連にも、すて置かれずおぼされたのでござらう。 或日「ろおれんぞ」を召されて、白ひげを噛みながら、「その方、傘張の娘と兎角の噂ある由を聞いたが、よもやまことではあるまい。 どうぢや」ともの優しう尋ねられた。 したが「ろおれんぞ」は、ただ憂はしげに頭を振つて、「そのやうな事は一向に存じよう筈もござらぬ」と、涙声に繰返すばかり故、伴天達もさすがにを折られて、年配と云ひ、日頃の信心と云ひ、かうまで申すものに偽はあるまいと思されたげでござる。

さて一応伴天連のうたがひは晴れてぢやが、「さんた・るちや」へ参る人々の間では、容易にとかうの沙汰が絶えさうもござない。 されば兄弟同様にして居つた「しめおん」の気がかりは、又人一倍ぢや。 始はかやうなみだらな事を、ものものしう詮議立てするが、おのれにも恥しうて、うちつけに尋ねようは元より、「ろおれんぞ」の顔さへまさかとは見られぬ程であつたが、或時「さんた・るちや」の後の庭で、「ろおれんぞ」へ宛てた娘の艶書を拾うたに由つて、人気ひとけない部屋にゐたをさいはひ、「ろおれんぞ」の前にその文をつきつけて、おどしつすかしつ、さまざまに問ひただいた。 なれど「ろおれんぞ」は唯、美しい顔を赤らめて、「娘は私に心を寄せましたげでござれど、私は文を貰うたばかり、とんと口をいた事もござらぬ」と申す。 なれど世間のそしりもある事でござれば、「しめおん」はなほも押して問ひなじつたに、「ろおれんぞ」はわびしげな眼で、ぢつと相手を見つめたと思へば、「私はおぬしにさへ、嘘をつきさうな人間に見えるさうな」と、とがめるやうに云ひ放つて、とんとつばくろか何ぞのやうに、その儘つと部屋を立つて行つてしまうた。 かう云はれて見れば、「しめおん」も己の疑深かつたのが恥しうもなつたに由つて、悄々すごすごその場を去らうとしたに、いきなり駈けこんで来たは、少年の「ろおれんぞ」ぢや。 それが飛びつくやうに「しめおん」のうなじを抱くと、あへぐやうに「私が悪かつた。 許して下されい」とささやいて、こなたが一言ひとことも答へぬ間に、涙に濡れた顔を隠さう為か、相手をつきのけるやうに身を開いて、一散に又元来た方へ、走つてんでしまうたと申す。 さればその「私が悪かつた」と囁いたのも、娘と密通したのが悪かつたと云ふのやら、或は「しめおん」につれなうしたのが悪かつたと云ふのやら、一円合点いちゑんがてんの致さうやうがなかつたとの事でござる。

するとその後間もなう起つたのは、その傘張の娘がみごもつたと云ふ騒ぎぢや。 しかも腹の子の父親は、「さんた・るちや」の「ろおれんぞ」ぢやと、まさしう父の前で申したげでござる。 されば傘張の翁は火のやうにいきどほつて、即刻伴天連のもとへ委細を訴へに参つた。 かうなる上は「ろおれんぞ」も、かつふつ云ひ訳の致しやうがござない。 その日の中に伴天連を始め、「いるまん」衆一同の談合に由つて、破門を申し渡される事になつた。 元より破門の沙汰がある上は、伴天連の手もとをも追ひ払はれる事でござれば、糊口のよすがに困るのも目前ぢや。

序章-章なし
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奉教人の死 - 情報

奉教人の死

ほうきょうにんのし

文字数 9,596文字

著者リスト:

底本 現代日本文学大系 43 芥川龍之介集

青空情報


底本:「現代日本文学大系 43 芥川龍之介集」筑摩書房
   1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行
入力:j.utiyama
校正:八木正三
1998年6月14日公開
2010年11月4日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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