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チベット旅行記

著者:河口慧海

チベットりょこうき - かわぐち えかい

文字数:306,149 底本発行年:1904
著者リスト:
著者河口 慧海
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チベットは厳重なる鎖国なり。 世人呼んで世界の秘密国と言う。 その果たしてしかるや否やは容易に断ずるを得ざるも、天然のけんによりて世界と隔絶し、別に一乾坤けんこんをなして自ら仏陀ぶっだの国土、観音の浄土と誇称せるごとき、見るべきの異彩あり。 その風物習俗の奇異、耳目じもく聳動しょうどうせしむるに足るものなきにあらず。 童幼聞きて楽しむべく、学者学びて蘊蓄うんちくを深からしむべし。 これそもそも世界の冒険家が幾多の蹉跌さてつに屈せず、奮進する所以ゆえんなるか。

のこの地に進入せしは勇敢なる冒険家諸士になろうて、探検の功を全うし、広く世界の文明に資せんとの大志願ありしに非ず。 仏教未伝の経典の、かの国に蔵せられおるを聞き、これを求むるの外、他意あらざりしかば、探検家としての資格においては、ほとんど欠如せるものあり。 探検家として余を迎えられたる諸士に十分なる満足を供するあたわざりしを、深く自らうらみとす。

されど、余にも耳目の明ありて専門の宗教上以外、社会学上に、経済学上に、あるいは人類に無上の教訓を与うる歴史の上において、その幼稚なる工芸中別に一真理を包摂ほうせつする点において、地理上の新探検について、動植物の分布について等その見聞せるところもすくなからざりしかば、帰朝以来、これら白面の観察を収集して、のぼさんと欲せしこと、一日に非ざりしも、南船北馬暖席にいとまなく、かつ二雪霜の間に集積せるところは、尨然ぼうぜん紛雑ふんざつし容易に整頓すべからずして、自ら慚愧ざんきせざるを得ざるものあり。 日ごろ旅行談の完成せるものを刊行して大方の志にむくいよと強うる友多し。 余否むに辞なし。 すなわちかつて時事新報と大阪毎日新聞とに掲載せしものを再集して梓に上せて、いささか友の好意にこたえ、他日をまちて自負の義務を果たさんと決しぬ。

チベットは仏教国なり。 チベットより仏教を除去せば、ただ荒廃せる国土と、蒙昧もうまいなる蛮人とあるのみ。 仏教の社会に及ぼせる勢力の偉大なると、その古代における発達とは、吾人の敬虔けいけんに値いするものなきに非ず。 この書この点において甚だしく欠けたり。 これ余の完全なる旅行談を誌さんと欲して努力せし所以ゆえん しかれども事意とたがい容易に志を果たす能わずあえて先の所談を一書として出版するに至る、自らうらみなき能わず。 即ち懐を述べて序文に代う。

明治三十七年三月上澣河口慧海誌す

[#改丁]

第一回 入蔵決心の次第〔チベット入国の決意〕

チベット探検の動機

しかしその梵語ぼんごの経文を訳した方々かたがたは決して嘘をつかれるような方でないからして、これには何か研究すべき事があるであろう。 銘々めいめい自分の訳したのが原書に一致して居ると信じて居られるに違いあるまい。 もししからばそんなに原書の違ったものがあるのか知らん、あるいはまた訳された方々がその土地の人情等に応じて幾分いくぶん取捨しゅしゃを加えたような点もありその意味を違えたのもあるか知らん。 何にしてもその原書にって見なければこの経文のいずれが真実でいずれがいつわりであるかは分らない。 これは原書を得るに限ると考えたのです。

原書の存在地
入蔵を思い立った原因

ただこの際自分の父母なり同胞なり他の朋友ほうゆうなりが私のある為に幾分の便宜を持って居る者もあり、また私の教えを受けることを好んで居る信者も沢山ある。 それを打棄てて行くことは実に忍びない。 またかれらは死にに行くようなものだからせといってめるに違いないけれどもそれでは大切の原書にって仏法を研究することが出来ない。 ついてはこれらの情実に打ち勝つだけの決心をしなければ到底出掛ける訳に行かぬと考えました。 この理由は私の決心をするのに一つの補助をなしたもので、その実私は二十五歳で出家しゅっけしてから、寺や宗門しゅうもんの事務の為に充分仏道を専修することが出来なかった。 一切蔵経いっさいぞうきょうを読んで居る中においてもときどき俗務ぞくむに使われる事があってせっかく出家をした甲斐かいがないから、かの世界第一の高山ヒマラヤ山中にて真実修行しゅぎょうし得るならば、俗情を遠く離れて清浄妙法しょうじょうみょうほうを専修することが出来るだろうという、この願望が私のヒマラヤ山道を越えて入蔵にゅうぞうする主なる原因でありました。

決心の理由

よりて我ら仏教僧侶は戒法を持つことが資本である、旅行費である、通行券である。

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チベット旅行記 - 情報

チベット旅行記

チベットりょこうき

文字数 306,149文字

著者リスト:
著者河口 慧海

底本 チベット旅行記(一)

親本 西蔵旅行記下卷

青空情報


底本:「チベット旅行記(一)」講談社学術文庫、講談社
   1978(昭和53)年6月10日第1刷発行
   2007(平成19)年12月3日第43刷発行
   「チベット旅行記(二)」講談社学術文庫、講談社
   1978(昭和53)年7月10日第1刷発行
   2008(平成20)年4月18日第41刷発行
   「チベット旅行記(三)」講談社学術文庫、講談社
   1978(昭和53)年8月10日第1刷発行
   2008(平成20)年6月20日第37刷発行
   「チベット旅行記(四)」講談社学術文庫、講談社
   1978(昭和53)年9月10日第1刷発行
   2008(平成20)年5月20日第35刷発行
   「チベット旅行記(五)」講談社学術文庫、講談社
   1978(昭和53)年10月10日第1刷発行
   2007(平成19)年8月20日第33刷発行
底本の親本:「西蔵旅行記上卷」博文館
   1904(明治37)年3月23日発行
   「西蔵旅行記下卷」博文館
   1904(明治37)年5月14日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※山喜房仏書林から出版された改版で「著者は初版の誤植や誤謬ある部分を自ら訂正し」たとあり、底本の凡例で「山喜房版で訂正、加筆された部分で、その方が意味のよくわかるものは〔 〕を付して併記または挿入した。」とあるので底本通り入力しました。
※底本の凡例で「底本の表記と、英訳本または現地名と異なるものは、*印を付し、文節末に英訳本の綴字、( )内に現地名を示した。」とあるので、この部分は入力していません。
※大見出し「第一回 入蔵決心の次第」には、底本では、「入蔵(にゅうぞう)」とルビが付いています。
※窓見出し「感情問題」で分割された注記に亀甲括弧を補い、「…決まる〕」、「〔事が多い、…」としました。
※底本の親本に無署名で掲載されている挿絵を、同梱しました。
入力:川山隆
校正:仙酔ゑびす
2011年8月31日作成
2012年5月7日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:チベット旅行記

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