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古寺巡礼

著者:和辻哲郎

こじじゅんれい - わつじ てつろう

文字数:142,819 底本発行年:1961
著者リスト:
著者和辻 哲郎
底本: 古寺巡礼
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改版序

この書は大正七年の五月、二三の友人とともに奈良付近の古寺を見物したときの印象記である。 大正八年に初版を出してから今年で二十八年目になる。 その間、関東大震災のとき紙型をやき、翌十三年に新版を出した。 当時すでに書きなおしたい希望もあったが、旅行当時の印象をあとから訂正するわけにも行かず、学問の書ではないということを標榜ひょうぼうして手を加えなかった。 その後著者は京都に移り住み、曾遊そうゆうの地をたびたび訪れるにつれて、この書をはずかしく感ずる気持ちの昂じてくるのを経験した。 そのうちひまを得てすっかり書きなおそうといく度か考えたことがある。 しかしそういう閑を見いださないうちに著者はまた東京へ帰った。 そうしてその数年後、たしか昭和十三四年のころに、この書が、再び組みなおすべき時機に達したとの通告をうけた。 著者はその機会に改訂を決意し、筆を加うべき原稿を作製してもらった。 旅行当時の印象はあとからなおせないにしても、現在の著者の考えを注の形で付け加えることができるであろうと考えたのである。 しかし仕事はそう簡単ではなかった。 幼稚であるにもせよ最初の印象記は有機的なつながりを持っている。 部分的の補修はいかにも困難である。 従って改訂のための原稿は何年たってもそのままになっていた。 そのうちに社会の情勢はこの書の刊行を不穏当とするようなふうに変わって来た。 ついには間接ながらその筋から、『古寺巡礼』の重版はしない方がよいという示唆を受けるに至った。 その時には絶版にしてからすでに五六年の年月がたっていたのである。 そういうわけでこの書は今までにもう七八年ぐらいも絶版となっていた。

この間に著者は実に思いがけないほど方々からこの書に対する要求に接した。 写したいからしばらく借してくれという交渉も一二にとどまらなかった。 近く出征する身で生還は保し難い、ついては一期の思い出に奈良を訪れるからぜひあの書を手に入れたい、という申し入れもかなりの数に達した。 この書をはずかしく感じている著者はまったく途方に暮れざるを得なかった。 かほどまでにこの書が愛されるということは著者として全くありがたいが、しかし一体それは何ゆえであろうか。 著者がこの書を書いて以来、日本美術史の研究はずっと進んでいるはずであるし、またその方面の著書も数多く現われている。 この書がかつてつとめたような手引きの役目は、もう必要がなくなっていると思われる。 著者自身も、もしそういう古美術の案内記をかくとすれば、すっかり内容の違ったものを作るであろう。 つまりこの書は時勢おくれになっているはずなのである。 にもかかわらずなおこの書が要求されるのは何ゆえであろうか。 それを考えめぐらしているうちにふと思い当たったのは、この書のうちに今の著者がもはや持っていないもの、すなわち若さや情熱があるということであった。 十年間の京都在住のうちに著者はいく度も新しい『古寺巡礼』の起稿を思わぬではなかったが、しかしそれを実現させる力はなかった。 ということは、最初の場合のような若い情熱がもはや著者にはなくなっていたということなのである。

このことに気づくとともに著者は現在の自分の見方や意見をもってこの書を改修することの不可をさとった。 この書の取り柄が若い情熱にあるとすれば、それは幼稚であることと不可分である。 幼稚であったからこそあのころはあのような空想にふけることができたのである。 今はどれほど努力してみたところで、あのころのような自由な想像力の飛翔にめぐまれることはない。 そう考えると、三十年前に古美術から受けた深い感銘や、それに刺戟されたさまざまの関心は、そのまま大切に保存しなくてはならないということになる。

こういう方針のもとに著者は自由に旧版に手を加えてこの改訂版を作った。 文章は添えた部分よりも削った部分の方が多いと思うが、それは当時の気持ちを一層はっきりさせるためである。

昭和二十一年七月

改版序

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古寺巡礼 - 情報

古寺巡礼

こじじゅんれい

文字数 142,819文字

著者リスト:
著者和辻 哲郎

底本 古寺巡礼

親本 和辻哲郎全集 第二巻

青空情報


底本:「古寺巡礼」岩波文庫、岩波書店
   1979(昭和54)年3月16日第1刷発行
   2006(平成18)年10月5日第52刷発行
底本の親本:「和辻哲郎全集 第二巻」岩波書店
   1961(昭和36)年12月発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2010年12月4日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:古寺巡礼

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